「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2013年07月04日

「だって奴は独裁者のようにふるまったから」……エジプトのクーデター(モルシ大統領失脚)

エジプトはクーデターになってしまった。定義通りの「クーデター」である。前回、2011年2月のホスニ・ムバラク退陣はまだ「本人が退陣の意向を示す」という形式を踏んでいたが、今回はそれすらもない。国営放送が国家の「暴力装置」によって制圧され(「軍」ではなく「共和国防衛隊」が「治安を守るため」に駆け付けた、のだそうだが)、民主的選挙で選ばれた大統領が国営放送での発言を禁じられ、続いて渡航禁止を言い渡され、「もはや彼は大統領ではない」と宣言された。

その「瞬間」はログ取れる範囲で取ってある。

エジプトでクーデター。モルシ大統領失脚
http://matome.naver.jp/odai/2137288190607625901


今日のことで最も注視すべき動きは、モルシの失脚ではなく、これだと思う。






そして、ハアレツのバラク・ラヴィド記者がこの見立てをしていることは重要だと思う。




こういう見方に対し、「ムバラクなどもう過去の人だ。今更戻ってくるはずがない」といった声もあるが、問題はホスニ・ムバラク本人ではない。かつてホスニ・ムバラクを頂点としていたシステムである。ホスニ・ムバラクが戻ってこようとこなかろうと、彼が体現していた「システム」がそのままにされれば、あるいは戻ってくれば、「革命」などなかったことになる。

エジプトの民衆はそれを求めていたのだという声もある。つまり「革命のやり直し」をしたいのだと。「リセット」したいのだと。そして、「軍」を「民衆の側」につけたつもりでいるのだと。

しかし奴らが何をした? きれいごとや理念、理想論ではなく、実際に、エジプト軍が何をした? そのとき、「国際社会、おいらに力を分けてくれ」と声をあげたのは、誰だった?




その人たちが、今、こんなことを言っている。私は私なりに彼らの言い分を理解しようとしてみたけれど、無理だ。(そして私は、エジプトの「活動家」たちのフォローをかなり外した。ジャーナリストだけフォローしていればいい。)




http://en.wikipedia.org/wiki/People%27s_Assembly_of_Egypt2011年2月のムバラク政権崩壊の結果、軍政を挟んで、「民主的で自由な選挙」が行われ、その結果、イスラム主義政党、というより宗教保守政党が議会選でも大統領選でも勝利した。

大統領選挙は、予想に反して「リベラル」のサッバーヒーさん(ナセル主義者)が大善戦したものの(「欧米メディア」も誰も注目していなかった候補。「アラブの春など欧米の陰謀!」と言い切る人たちも、欧米メディアが無視していた候補が「リベラル」勢トップであったばかりか、もう少しで決選投票に行きそうだったということは無視していてほほえましい)、旧政権の要職者であったシャフィークか、ムスリム同胞団のモルシかを選ぶという「究極の選択」となり、モルシが50%を超えて大統領となった。

議会(キャプチャは via kwout)は、定数508のうち、ムスリム同胞団の会派(が「民主連合」を名乗るというひどさだが)235議席、イスラミスト・ブロック(サラフィ)が123議席で、「タハリール広場」の「革命」を発端からずっと引っ張っていた「リベラル」勢は、控えめに言っても「影が薄い」状態、もっとはっきりいえば日本で言う「たしかな野党」状態であった。

このように、「ムバラク政権を倒し、軍政の弾圧に耐えてみたら、宗教右派(ムスリム同胞団)がエジプトを牛耳っている」ことになっていた。それに加えて、2011年1月〜2月の「革命」には、当初空気を読むばかりで参加しようとせず、最後の方になって参加した(タハリール広場がいきなりものすごい人数になったのは彼らの動員のため)ムスリム同胞団(と呼ぼうが「公正自由党」と呼ぼうが、中身は同じなので本稿では「同胞団」としている)が、「われわれが革命を背負って立った」、「我らこそ革命である」的なことを吹聴しだした。(プロパガンダがヘタクソだ。)

これでは「革命勢力」としてはおもしろくない。おもしろくないどころか、危機感を覚えても当然だ。

さらに、モルシは「独裁者のようにふるまった」。これは非常に愚かなことだったと私も思うが、大統領に選ばれた自分が、大統領に無制限の権限を集中させるようにシステムを作ろうとした(こういったことはわりと簡単に起きるのだなあと思ってみていた)。

つまり、「革命勢力」としては、ムスリム同胞団が横やりを出してきて邪魔することはなかったが逆においしいとこ取りをしたばかりか、自分たちを「揺るがない権力の座」に座らせるのを座視するわけにはいかず、そんな同胞団は排除せねばならなかった、という理屈だ。「ムスリム同胞団に盗まれた革命を、自分たちの手に取り戻す」のだ。

といえば威勢がよくすばらしいが、実際には、冒頭に述べた通り、ムスリム同胞団がせっかく排除してくれたムバラク政権の検察官が戻ってきている(これで数か月後にはホスニ・ムバラクも一緒に起訴されている旧政権の拷問鬼も無罪放免ですよ)。それも「クーデター/政権転覆/大統領排除」の前に、である。

また、今後のキーパーソンとして大注目のシーシー国防大臣は、タハリール広場で抗議行動を行なった女性たちに対する「処女検査」という侮辱を正当化した当人である。
When soldiers violently cleared Tahrir Square on 9 March, 17 women were detained, beaten, prodded with electric shock batons, subjected to strip searches, forced to submit to "virginity tests" and threatened with prostitution charges.

Gen Sisi said "the virginity-test procedure was done to protect the girls from rape as well as to protect the soldiers and officers from rape accusations", according to the state-owned newspaper, al-Ahram.

The Supreme Council of the Armed Forces (Scaf) quickly distanced itself from the comments, but the incident remained a stigma for the military.
http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-19256730


それでもなお、モルシの退陣を「革命だ」と歓迎する「革命勢力」の人々。Twitterで英語で書いている「リベラル」な「民主化活動家」たちも、「これは革命であり、クーデターではない」、「これをクーデター呼ばわりするアメリカは、自分の面倒も見られない(米憲法とNSAの監視との整合性のことを言っている)」、「これは民の声、大統領は弾劾された」などと言い募る。





もう完全に感情的になっていて、「対話」のモードではまったくない。

その「言い募る」人々の中に、議会選に立候補したが、選挙投票直前のタハリール広場近くのデモとそれに対するSCAFの弾圧で、デモ隊支援活動(医療など)に注力したことで選挙運動が十分できず、名前を浸透させることもできずにいて、結局落選したある「革命活動家」の名前を認めて、私は心底落胆した。

議会を通じてやるべきことを、「議会は機能していない」からといって、直接行動でやろうとしているのは、私自身のスタンスがどうこうではなく、それ自体はおかしなことではない。ことに、「革命」後の混乱のなかでは。

しかし、議会選に立候補して落選した人がその行動をとる(そして「議会とは名ばかりで機能していない」とか「議会を機能させないようにしたのは大統領」だとか「名ばかり民主主義にNOをつきつける」とか言い出す)ことは、一貫性の問題である。

さらにまた、今回の「反政府デモ」(日本の新聞用語)を組織化した「反乱 Tamarod」という団体だが、これが極めて胡散臭い。この団体自体が最初っから「軍と民衆は一つ」(2011年2月、タハリール広場で「軍は民衆を攻撃するな」という意味から生じたスローガン)を「民衆の意思を実行するのが軍」という、「議会制民主主義」とは別の思想を意味するものとして掲げていたようだが、この団体が「代表者」として表に出している若者について、2011年の動乱も最初っから取材していたアルジャジーラ・イングリッシュの人たちですら把握していないという。

そして広場では、どこから持ってきたのか、ド派手なレーザー照明を広場に据え付け、花火もどかんどかんと打ち上げる。その費用は、誰が出しているのか。広場でインタビューを受けて「モルシは経済をよくしてくれない。食べるものも手に入らない」と語っていた40歳くらいの男性や、彼と同じような「革命の担い手」にはそんな余裕はあるまい。

それにもかかわらず、「反乱 Tamarod」は、「4月6日」をはじめとする「革命青年」たちの全面的な支持を得ている。リベラル・左派連合も例外ではないそうだ(実際、2011年に英語で活発に情報を発信していた左派の活動家が、アラビア語ではわからないが、英語では奇妙に沈黙している。かつてなら、英語圏が「あれは一体何なのだ」という疑問に満ちていたら進んで解説してくれていたのに)。

そうして、(愚策ばかり重ねた)民主主義的な選挙で選ばれた大統領を、「民衆の意向を受けた」軍がその座から追い落とすということが起きた。(なお、軍が行動を急いだのは、先月、ムスリム同胞団の「シリア支持集会」でモルシが演説したあとだとの説もあるが、たぶん当たっている。モルシはシリアの反アサド陣営の旗を掲げ、反政府武装闘争を熱く支持した。)

そしてモルシが追い落とされた後、エジプトは暫定大統領が就任したのだが、政治的な声明が暫定大統領からではなく、なぜか軍から出されている。その一例。




これを「革命だ」と喜べるほど考えが浅い人々であったか、という落胆。これからまた、彼ら・彼女らの無邪気で熱い「俺たちだけでなんとかする」論が途方もない現実の前に潰されるのを見なければならないのだろう(「俺たちだけでやるので外国は精神的支持をよろしく」と言っていたリビアの革命青年は、あっという間にそれを撤回して「NFZ導入してくれ」と言い出した。シリアも同じで、シリアがより愚かなのは、武装蜂起を起こした人々が、要求すれば「西側」または「国際社会」が動いてくれると当て込んでいたことだ。非武装デモで政府に動揺を与えて交渉をしようという人たちを、彼ら武装主義者は利用し、つぶした)。



一方、タハリール広場の性暴力の問題。これが、少なくとも加害者が特定されて罰されるような世の中になってこそ「システムが変わった」と言えると思うのだが、その気配はない。なお、男性が被害に遭うケースも報告されている(スカイニュースのティム・マーシャル記者)。




そしてこのフラストレーションを共有する人は、世界にたくさんいるだろう。特にエジプト以外では。そしてその「フラストレーション」が「アメリカ人がわれわれに指図する」として反発されているのが、エジプトの極めて残念な現状である(誰かが下準備として反米プロパガンダを撒いていることは確実。そのことはまた別項で)。








最後に、ダジャレをいうのはだれじゃ。



※この記事は

2013年07月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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