「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2013年06月28日

超大物の「死亡説」と、うさんくさい「市民ジャーナリストによるオンライン・メディア」

ここしばらく、ネルソン・マンデラさんの健康状態がニュースにならない週はない。同じく健康状態が心配されているご高齢の方々(エリザベス女王の夫であるエディンバラ公や、キューバのフィデル・カストロといった人々)は「時々ニュースになる」感じだが、マンデラさんの場合は今月はもうほぼずっと、「南アからのニュースといえばそればかり」の状態になっている。Twitterで私の見ている画面でも、毎日必ず、誰かがマンデラさんのために祈り、マンデラさんの写真や言葉をツイートしたりしている。

マンデラさんの「容態」がニュースになるペースがどんどん早くなるのを見ていると、「その時」は刻一刻と近づいているのだろうということが感じられる。それを「全世界の人々」で共有しているというムード。安らかに旅立てますようにと私も祈らずにはいられない。

……と、一般人はそうやっていればよいのだが、メディアはそうはいかない。何かあればよそよりも早く報じ、個人の業績を振り返る記事(オビチュアリー)を出さなければならない。年齢も年齢だし、オビチュアリーはもうあらかた書かれていて、最後に仕上げるばかりになっているだろう。死が近い著名人についての、そのような段階の「準備稿」が、誤って人目に触れる場所にアップされるといったアクシデントは時々発生する。例えばスティーヴ・ジョブズは何度か「殺されて」いたはずだ。

しかし、27日、アメリカのあるオンラインメディアが「息を引き取った」と断言したのは、そのような「アクシデント」ではなかった。

【注意】6月27日に英語圏で拡散中の「マンデラ死亡説」は「ガセネタ」です。
http://matome.naver.jp/odai/2137234371730326601


その「オンライン・メディア」は、「ガーディアン・エクスプレス」という。拠点はネヴァダ州ラスヴェガス。「ガーディアンなんとか」や「なんとかガーディアン」という名称は、英語圏の新聞には珍しいものではないのだが、「なんとかタイムズ」や「なんとかポスト」ほど一般的ではないからか、この「ガーディアン・エクスプレス」が英国の「ガーディアン」と混同されるケースも相次いで発生している(例えばフランス語圏とか、イタリア語圏とか、あるいは英語圏でも英語以外の言語が第一言語であるインドとか)。「ガーディアンというから信用した」という人までいる

詳しくは上記の「NAVERまとめ」の2ページ目以降に書いてあるのだが、この「ガーディアン・エクスプレス」、要は「市民ジャーナリストによるオンライン・メディア」で、その記事の(内容ではなく)文体から見ても、メディアの運営者のやり口を見ても、とてもではないが「信頼できるメディア」とは言い難い。

念のため書き添えておくが、「市民ジャーナリストによるオンライン・メディア」であっても、信頼できるメディアはある。個人的に10年ほどずっと読ませていただいている北アイルランドのブログ、Slugger O'Tooleは、「市民ジャーナリスト citizen journalist」という言葉がまだ一般的になっていなかったころからずっと活動していて、粘り強い活動とキレのある運営によって、「市民ジャーナリスト」と、人権活動家のような人や「プロのジャーナリスト」との共通の「場」としてうまく機能している。大手メディアの報道記事を紹介・論評したり、その時に参照すべき過去記事を整理して示したりといった「アームチェア・ジャーナリストでもできること」(いわゆる「ブログ」の内容)をすることもあれば、討論会や記者会見のような場からのライヴ・ツイートもあり、重要人物へのインタビューもある。アカデミックな論考もあるし、書評もある。プロのジャーナリストの寄稿もある。

ただ、Slugger O'Tooleがそのような「成功例」になっているのは、「中の人」(中心人物)がめちゃくちゃ優秀だからで、同時に、「みんなが書きたいことを書きたいように書けば、いいものになる」的なヌルい「みんな」主義みたいな幻想を持っていないからだと思う。「みんなが書きたいことを書きたいように、理性的に書く」のは、「言論の自由」としては当たり前のことで、それはSlugger O'Tooleでは徹底して実践されているが(罵詈雑言の類はレッドカードを食らうけれども)、「言いたいことだけを言う場」にしておくようなことはしていないし、何よりそこにあるテクストは必ず、「検証可能性」もしくは「高度な信頼性」を保証されている(誰もが検証できるソースが示されているか、プロとして信頼される人が確実な仕事をしている)。北アイルランドのような難しい場であればこそ、そのような取り組みが意識的になされているのかもしれない。

一方で、今回「ネルソン・マンデラ死亡説」をばら撒いているラスベガスの「ガーディアン・エクスプレス」は、そのような「市民ジャーナリストによる、信頼できるオンライン・メディア」ではない。

そうではなく、「書きたいことを、書きたいように、書きっぱなしにできる場」であるようだ。文章としてのクオリティ・コントロールもまったくなされていない。

具体例は「NAVERまとめ」の方に記してあるのでここでは繰り返さないが、とにかく、同じことを繰り返し書いていたり、論理構造がぐだぐだだったり(「雲がないから日差しが強い。したがって日差しが強いということは雲がないがゆえである」的な)、綴りがひどかったり(Los Vegasってどこよwww)、パンクチュエーションが滅茶苦茶だったり(複数形のsにアポストロフィーがついているとか)、高校生の作文か、という印象だ。

そのような「メディア」が、「南アにいるわれわれの書き手のひとりがこのように伝えてきている」といっているのだが、到底信用できるような気がしない。

ただし、サイトの見た目が非常にきれいで説得力があるから、胡散臭く見えない(よく見れば、でかでかと使われている報道写真にクレジットがないし、縦横比を変更してあったりして、明らかに「ブートレグ」で胡散臭いサイトだとわかるのだが)。

それに、27日(日本時間)の時点で "Life Support Shut Down" などと言い切っていたのはこの媒体だけで、見出しがツイートされていたのを見て驚いた人が「えっ、まじか」的に手動(非公式)RTして「拡散」し、そこからさらに「拡散」され、「誤情報ですよ」と指摘されたあとも最初の「えっ、まじか」の手動RTが消されることはなく……というようなことが重なっていて、いつまでもだらだらとその「説」が流されるという状況が続いている。記事URLへの言及数は、27日夜11時台の時点で9000件を超えていた(28日朝には1万件を超えている)。



こうした「拡散」のあげく、「デマこくんじゃない」とあちこちから叱られたのだろう(記事についているコメント欄もそういう投稿ばかりだが)、「ガーディアン・エクスプレス」は "Update" と称して記事に書き足しているが、「実はもう死んでいるのに南ア大統領と政府が隠蔽している」(と言いつつ大統領の名前を間違えている)、「それを証明する新たな事実もある」(と言いつつその「事実」を書かない)などと言い募っている。

……そんなことが先の「NAVERまとめ」の3ページ目に書いてある。もう何というか、disrespectとはまさにこのことだろう。「事実」より「自説」。まともに文章も書けないくせに。(かのIsThatcherDead.comでさえ、このdisrespectっぷりには及ばない。)

その "Update" とは別に、この「ガーディアン・エクスプレス」なる媒体は、「オバマが金曜日に南アを訪問するので、マンデラの死を隠蔽している」と主張している(先の「NAVERまとめ」の2ページ目を参照)のだが、それもまた「街にはこのような噂話がある」程度のことを「われわれの信頼できる情報源によれば」とするような、19世紀的な「ジャーナリズム(笑)」であるようにしか見えない。

で、その「ガーディアン・エクスプレス」が「市民ジャーナリズム」であることがわかったのは、URLを手掛かりにwhoisで調べたら、「中の人」がfrackle.comという「市民ジャーナリズム」のサイトを運営しているという事実があったからだ。frackle.comで集めた「市民ジャーナリスト」たちが書いている場が「ガーディアン・エクスプレス」ということのようだ(ただし、frackle.comのサイトが重くてアクセスできないか、中身がないかで、よくわからない部分もある)。「ガーディアン・エクスプレス」のAbout Usのページを見てみたが、そのような明示はなかったと思う(再確認しようとしているのだが、サーバが落ちていてアクセスできない)。この「中の人」の一連の事業が、私にはどうにも信用ならないものに思える。彼がもう1つ運営しているメディアがあるのだが、その名称がNew Yorker Times Magazineというのだから(New York Times + New Yoker Magazine, 明らかに誤認を狙っているとしか思えない)。

……ううむ。なんか、「ガーディアン・エクスプレス」の文体が感染したようで、この文、まわりくどくぐだぐだしている。

なお、27日に流れた「マンデラ死亡説」にはもう1つ、別の系統のもあった。このために作られたと思われる「CNN速報」の偽物のツイッター・アカウントが「ネタ」で流したものだ。それについては下記「まとめ」の1ページ目:
Twitterの英語圏で「ネルソン・マンデラ」の名がトレンディング・トピックスに上がっているのだが…
http://matome.naver.jp/odai/2137229800318290401


偽アカウントの「ネタ」のほうは、「ガーディアン・エクスプレス」に比べれば、全然単純である(悪質であることには変わりないが)。せいぜい、世界各国の閣僚や要人になりすまして、重要人物を「殺し」まくったイタリア人と同類だろう。

いずれにせよ、マンデラさんのような人の場合、「政府が死亡の事実を発表」するまでは「生きている」。(「本当に息を引き取ったのはいつのことか」というのは、ご家族・近親者の問題ではあるが、「政府の発表」でその死を知る立場の者には、あまり関係のないことだ。)

その「死亡の事実の発表」がないからといって、「隠蔽されている」だのなんだのと言い募ることは、「世界中が注目するかの偉大な人物」の最期を、自説の開陳のために消費しているだけだ。(正直、「もうとっくに死んでるんじゃないの」程度の噂話は街のあちこちにあふれているだろうと思う。日本でもよくあることだ。小渕首相が倒れたときとか……)

「ガーディアン・エクスプレス」のAbout Usのページには、でかでかと、「フリー・スピーチ(言論の自由)」の碑の写真が掲示されていた。「言論の自由」とは、彼らにとって、「自説の開陳の自由」、「論拠、根拠、証拠を示さずに物を言う自由」なのかもしれない。

最新の記事ではないが、下記、どうぞ。Mac Maharajは、投獄されていたころからマンデラさんに非常に近いところにいた人。今も、彼を通してのみマンデラさんの容体が世間に明らかにされているという。


※この記事は

2013年06月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 09:10 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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