「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年03月24日

コックニーでimpossible is nothing体験!

adidasのImpossible is nothingのシリーズのCM、ベッカム編。
http://www.adidas.com/

アディダスがエンベッド・プレイヤーを提供しているので貼り付けてみよう。私の環境では日本語字幕つき。




98年ワールドカップのシメオネへの蹴りの件でいかにヘコんだか、そこからいかに立ち直ったかを語っているのだが、見事にすべて、無声音のTHがFになっている。これはコックニーの特徴のひとつだ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Cockney#Cockney_speech
Example: Faw'y fahsan' frushes flew ova fawn'n 'eaf for Forty thousand thrushes flew over Thornton Heath.

ベッカム出演のCMでは、たとえば28秒くらいのところ、three and a half years → free an a 'alf years, あとdeath threatsがdeaf freatsになっていたり。また、throughが音化けの結果frough (= frew) と聞こえるが、LとRが聞き分けられない日本語ネイティヴの耳には、これが flu(インフルエンザ)に聞こえてしまう!(笑) 結論としては、まあ間違っても「ベッカムのようにしゃべろう」としないことだ。聞き取りも発音も日本語話者には難しすぎる。(笑)

それでもあえて、聞き取りをしてみた。Impossible is nothingだからね。

ブラケット内は「こう聞こえる」という音を表記しようとしたもの。部分的に、微妙に間違ってるかもしれない。
My name is David Beckham, and this is my story.

I still look back to 98. Of course I wish it hadn't['adn't] happened. I sort of[sor'f] reacted as a young boy. I think[fink] I cried for[fer] *laughs* perhaps five or ten minutes literally[licherly]. I was having['aving] death threats[deaf freats], I never felt safe for[fer] three[free] and a half['alf] years. It can knock a person down so much they just go under. After I scored a goal against Greece, all the sport writers, they just stood up and started[star'd] clapping me. To have that from the harshest critics, that was a huge thing. You will go through[frew] tough times, it's about coming through[frew] that[tha'].

literallyってのは、ヴィクトリア・ベッカムもしょっちゅう言ってますね。「っていうか」のような、特に意味のない、言葉の癖のようなものです。イングランドのあのへんの人たちの間で顕著らしい。(確かハリー・ポッターの映画の出演者の若い俳優たちのインタビューでもよく聞いたような記憶が。)

# たまにディクテーションやるとすごく疲れる。学生のとき、よくこんなの30分とか連続でできてたよな。しかしディクテーションするなら別なものをやればいいのにと自分でも思う。

「この人のしゃべり方ってたぶんこういう感じだよね」的に翻訳:
いまだに98年のことは思い出すけどね。もちろんああゆうことがなければよかった、って。あのときはまだ子供でついかっとなってしまった。実際、5分とか10分とか、泣いたよ、あのときは。で、ぶっ殺すとかゆう脅迫もあって、あの後3年半はね、ぜんぜん安心してられなかったんだけど、そうゆうことがあると超ヘコむし、完全に再起不能って感じになるでしょ。で、ギリシア戦でゴール決めたときに、スポーツ・ジャーナリストがみんな立ち上がって拍手をしてくれたんだよね。一番厳しいことをゆってた人たちがああゆうことをしてくれたってゆうのは、もうほんとすっげー大きかったってゆうか。つらい時ってゆうのはあると思うよ、問題はそのつらい時を切り抜けることじゃないかな。




「様」のお絵かきの様子:
http://www.press.adidas.com/en/desktopdefault.aspx/tabid-354/

メッシの絵がかなり好き!
http://www.press.adidas.com/en/desktopdefault.aspx/tabid-363/



同じImpossible is Nothingのシリーズで、St Margaretsという子供たちのチームが出てくる。彼らもUKの英語でしゃべっているので、動画を貼り付けておこう。


とにかく「がんばれ」としか言えない内容である。

※この記事は

2007年03月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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