「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2013年06月09日

新政党の誕生は、明確な形をともなった新しい時代の始まりとなるか。

さて、ひとつの時代が終わった一方で、明確に「新たな時代」が始まっている。その「新たな時代」がどれほど実効力を伴うものになっていくかは未知数だが、そこにかけられている「期待」がとても大きいということは、見て取れる。

6月6日、ベルファストのThe Macで、新たな政党の立ち上げのイベントが行われた(日本でいうと、一流ホテルの宴会場ではなく、青山のスパイラル・ホールで、という感じだろうか)。

その「新たな政党」は、これまであった「セクタリアニズム」がベースの「北アイルランドの政党政治」(「プロテスタント」なら「ユニオニスト」で、「カトリック」なら「ナショナリスト」というベースに、階級やら武装闘争へのスタンスやらで支持政党が決まるような)を「過去」のものにしていこうというメッセージを、明確に発している。

その声を聞くために、数百人は集まった(北アイルランドでの政党のこういうイベントとしては異例の多さだそうだ)。しかも大半は20代から30代と若い世代で、政党のイベントを取材してきたベルファストのメディアの記者も「知ってる顔がいない」というくらいにフレッシュな聴衆だったそうだ。

その「新たな政党」を立ち上げたのは、「ユニオニストはユニオニストでまとまっていきましょう」という方針をとったUUP (Ulster Unionist Party) をしばらく前に離党したBasil McCreaとJohn McCallister. いずれも「リベラル」なスタンスで知られてきた人たちで、特にジョン・マカリスターはUUPの党員としては初めて、シン・フェインの党大会でゲスト・スピーチを行なうなどしており、最近、コロンビアの和平プロセスに関する北アイルランド政界のアドバイザー的な活動を行なったりもしている。





ユニオニズムとナショナリズムの違いは根本的な対立点だから今後も残るだろうが、ユニオニズムの中で、「旗」だの「UVF」だのでとにかく過去へ、過去へと向かいたがる北アイルランドという土地のムードに、息苦しさとか「これじゃない」感を抱えて、投票する政党がないと思っている人たちには、よい選択肢になっていくかもしれない。というか、そうなっていってほしい。

現状、どのくらい「政治的な力」を持ちうるかという点については、ジャーナリストや専門家も疑問視はしている。とにかく組織力ではDUPには勝てないことは明白だ。

ただ、イベント会場に集まった人々が「若い」こと、「これまで政治活動をしていなかった」人たちであることで、「どうなるか読めないなあ」と言いながら期待と希望で目がきらっとしているような雰囲気は、感じられる。

新政党はNI 21と名付けられ、そのロゴにはユニオニズムの色であるオレンジではなく、アイルランドの色である緑が使われている。

その一連の経緯は下記、Storifyにて。



※この記事は

2013年06月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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