「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2013年06月03日

6月1日の英国各地でのBNP/EDL系のデモは、参加者が133人とか150人とかいう感じだった。

6月1日(土)、英国では全土で、BNPとEDL(スコットランドではSDL)のデモが行われると告知されていた。

私はBNPやEDLやSDLのアカウントではなく、それらに対抗するantifa (anti-fascists) のアカウントをフォローしているだけだが、事前の「対抗デモの呼びかけ」でかなり情報は入ってきていた。

BNPは、2000年代は一時「破竹の勢い」とまでは行かないにしても、かなりの勢いを見せた。国政では議席ゼロだったが、カウンシル(地方自治体の議会)レベルではかなりの議席を有していたし、欧州議会にも議員を送り込んでいる。

だが――これね、「左翼は最後に分裂し、右翼は最後で団結する」みたいな、フフンと鼻を鳴らすような箴言が大好きな人には特にしっかり認識していただきたいのだが――この数年間で離脱や離反が相次ぎ、BNPという組織はほぼ瓦解した。離脱や離反の細かい中身はここでは触れないが、いろいろ疑心暗鬼の党首のニック・グリフィンが盟友や側近とされてきた人々までも切っている状態。(なお、これは別に今のBNPに限ったことではなく、英国の極右政党にはいつものことである。英語のウィキペディアあたりで真面目に探せばいろいろあるよ、ソース付きで。)

「BNPが瓦解したところに出てきたのがEDL」という側面もあるのだが、ともあれ、ウリッチ事件に便乗して(「殺害された英兵のために」という口実で)企画された6月1日の極右デモは、人少なすぎだったと報告されている。

最初に、ニュース系のツイートで「ウエストミンスターに150人」というのを見たときには、ゼロ1つ足りてないのかと思ったが、実際、133人だったらしい。(「133」という数値については、リンク先のほかにもソース多数あり。各自あたってください。)しかも、党首のニック・グリフィンが来ていてこの数字だ。

「133人しか集められないBNP」なんてニュースを見る日が来るとは、考えたこともなかった。



※ツイート中の "us" はカウンターデモの側のこと。この警察のラインの向こうの群衆が、ロンドンの「BNP/EDLのデモ」の全員だそうです。拡大表示させ、またもっと近くからの写真と照らし合わせて確認すると、プラカードは「BNP」と「HATE Preachers OUT」(ここでいう「HATE」=「イスラム過激派が英国に向けている憎悪」のこと)。あと、「モスク建設反対」のロゴも見えますね。

土曜日の様子は、各地から伝えられている。例えばコルチェスターでは数十人規模。(この人たち、頭がアレなので、「わが国を守るために闘って死んだ兵士たちに哀悼の意を」と言いながら、ローマン・サリュートしてる。たぶん、この中の何割かは、戦った相手はコミュニストだと真剣に信じてる。)




「極右が強い」バーンズリーでも、バス1台に軽く収まるくらいの人数しかいない。




エクセターは0人。先週、なぜかパブ破壊に終わったブリストルは5人。




ロンドンでは「アナグマさん」たちが出動。「アナグマさん」たちは、数が増えすぎているとの理由で駆除の開始が予定されており、それに反対する動きがあるが、ここでは「アナグマさんじゃなくて極右を通りから駆除」という主旨だったらしい。





トム・ワトソンさんも、ポール・メイソンさんも、いいですなあ。(笑)

一方で、ウエストミンスターではantifa側が58人も逮捕されている。理由は「時間が過ぎても現場にとどまったから」らしい。




そのためにロンドン警察はバスを準備。







EDLのスコットランド版であるSDLが集まったエジンバラでも、規模は「150人」だったそうだ。

SDL protest held outside Scottish Parliament
By FIONA MACGREGOR
Published on 02/06/2013 02:34
http://www.scotsman.com/news/sdl-protest-held-outside-scottish-parliament-1-2951895
FAR right demonstrators confronted anti-fascist protesters in Edinburgh and London during events organised to mark the killing of Drummer Lee Rigby.

In Edinburgh, around 150 Scottish Defence League supporters gathered outside the Scottish Parliament at Holyrood for a rally that passed off peacefully, while in London right-wing protesters from the British National Party clashed with anti-fascist groups.

The SDL supporters congregated at around 1.30pm to lay flowers in memory of Rigby before a series of speakers addressed the crowd on anti-Islamic themes.

The group was met by jeers of “Nazi scum” and cries of “There are many, many more of us than you” from about 300 protesters who were kept apart from the SDL crowd by police barriers.

A minute’s silence in memory of Rigby held by the SDL was respected by the anti-fascist protesters, and the event ended without violence shortly before 3pm.

SDLの側も、カウンターデモの側も、「殺害された兵士のための黙祷」をしてから対決開始というのが、サッカーの試合かと。

記事は上記引用部分のあと、ロンドンでの状況報告を挟んで、エディンパラの詳細を記述する。

いわく、SDLはWaverley Stationに1日の午前11時くらいに集合開始。ユニオン・フラッグやSDLの旗を持っていた。13時には100人ほどが集まったが、その中にはガッチガチのSDL支持者(とスコッツマンは書いているけれど、「活動家」だよね)だけでなく、元兵士、傷痍軍人もいたし、幼い子供を連れた家族連れも何組かいた。SDLのメンバーではなくデモは初めてという人もいた。「ウリッチ事件を受けて、デモの人数を少しでも増やしたいと思って、出てきました」と27歳のクリス・ドナルドソンさん(Leithの人)は語っている。

SDLのデモ隊は大声で「スコットランドの花」と「ブリタニアよ、統治せよ」を歌い、「ムスリムの爆弾魔は出てけ」とか「リー・リグビー(殺された兵士の名)は1人だけ」(←サッカーのチャント)といったスローガンを唱和してスコットランド自治議会へと出発。

デモ隊には少数の女性がいたが、その1人で27歳のアレクスさんは、「こういうものに参加したことはこれまでないんですが、リー・リグビーさんのことがあったので、それで来ました。あんなひどいことがわが国の町で起きるなんて、ちょっとどうかと思うんですよね。何とかしなきゃいけないと思います」。

(うむ。これまでのEDL系デモの「"真相" を知ったので正義感で参加」というのとはちょっと違いますね。)

デモ隊が進んでいくときに通った道沿いのフラットから、女の人が怒りの声をあげて言い合いになり、窓から水がばしゃっと、という一幕もあったという。

リグビーさんが殺害されたときに着ていたのと同じような、Help For Heroes(負傷した軍人のための活動をしている組織)のTシャツを着た人がデモ隊には多くいた。また、Black WatchやThe Riflesといった部隊・連隊名の入った上着を着ている人も多くいた。

一方、隔壁の向こうではSDLのデモの人数を凌ぐ規模のカウンターデモ。こちらは共産党の旗やらUnisonの旗やら。

一方SDLの側ではリグビーさんの名前の入った旗のほか、イスラムとテロリズムを同一視するようなバナーも。例えば21歳のダニエル・スタロックさんは「リー・リグビーさん。忘れません。卑劣な者の手によって奪われたその命を。安らかに。SDL」というカードを添えた花束を置いたが、リグビーさんが殺されたことを反イスラムのデモの中心にしていると、anti-fascistの陣営は怒っている。「SDLとナチはコミュニティを分断しています。あの人たちは移民を止めたがっている。そんなことは間違っています。それにリグビーさんのご家族は、あのような態度をリグビーさんと関連づけてほしくないと言っているんです」と、68歳のキャサリン・スーターさん(Fifeの人)。20歳のレイチェル・ケインさんは「エディンバラの街にファシズムとレイシズムを持ち込まれるのはいやです」と語る。「エディンバラには多種多様な文化があり、すべての人が歓迎されるけれども、ファシストは例外です」

B0084UYH3YTHE FANATICS
Simon Tomlin
Hakon Books 2011-11-20

by G-Tools

041546501XNew British Fascism: Rise of the British National Party (Extremism and Democracy)
Matthew J Goodwin
Routledge 2011-04-28

by G-Tools




うを。。。


※この記事は

2013年06月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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