「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2013年06月01日

私は「陰謀論者」ではない。

私は「陰謀論者」ではない。"「陰謀論」としての病" などというエントリを書くくらいに。

「大物ディシデント・リパブリカン活動家」のコリン・ダフィの拘束と釈放に「ごにょごにょ」と思うくらいにはむにゃむにゃだし、31日(日本時間)から「急速に悪化」しているトルコのイスタンブールの「公園の木を切るなデモ」について、「木を切るなデモという体裁で行われている何か」と認識する程度にはうさんくささを感じているが(現に何者かが「ニセ写真」をまいている)、それは「背後に陰謀が」ということが言いたいわけではないし、「背後に陰謀が」という結論ありきの思考ではない。そのことは、普通に(という言い方が暴力的なのはわかっているが、今、非常に体力がないのでこんな雑な言い方をすることを許していただきたい)文章を読んでいる方には、おわかりかと思う。

なので、私自身が「陰謀論」の人だと思われると、ほぼ「アレルギー」の反応を示す。



……いや、その「アレルギー」ではなく。

さて、こんなのがあったのね。



んで、これ。こういうことするとTwitterのフォロワー数が減るんだけどw

.@ta***** "大国の州によってはテロル関係のinfoは、用語検索がある、という事だけ、お伝えしてみたいと感じ" ……ほんと、何ですか、これ。「用語検索がある」とか、意味がわからないんですが。当方が書いてもいないことについてそうおっしゃられても、単に薄気味悪いです。
at 06/01 20:55

























念の為の追記:
上記において、私は@ta*****氏を陰謀論者呼ばわりしているのではない。@ta*****氏が私を陰謀論者と認識しているのではないかと考え、それは事実に当たらないと論拠を示して主張しているのである。

そこでは、@ta*****氏自身が陰謀論者であるかどうかは関係ない。

私自身、日常的にあることだが、自分が関心を持ってないことでも、周囲の誰かが関心を持っていることを知っていれば、自分がその関連の話題を見たときに、その誰かにその話題を伝える、ということはする。

まったく架空の例だが、例えば、私の友人がニコラス・ケイジの大ファンである場合、自分の見ている画面にニコラス・ケイジの新作映画に関するツイートが流れてきたら、「これ読んだ?」と書き添えて教える、など。

私自身はニコラス・ケイジは「うん、『バーディ』は名画ですね」程度の認識しかなくても、である。

そのくらいのことは、誰でもしていると思う。

そして私は、@ta*****氏が私に対し、そのようにふるまっていると思ったのである。上のキャプチャ画像ではあまりに異様に見えるので伏せたが、@ta*****氏は「北米」のことを「アメリゴ・ベスプッチが発見した大陸」などと遠回しに述べており、明らかにtin foil hat系の物言い(「そのものずばりの単語を使うと表示されない」と、彼らは思いこんでいる)をしているが、それは当方がそういう物言いを好む人物だと思われているのだろうと考えた。

それ以上でも、それ以下でもない。@ta*****氏について、どこの誰でどのような考え方をしていようと、私は一切の関心を抱いていない(プロフィールとして氏自身によって表示されていることくらいは、当然、読んでいるが)。

ただ、あのように「あなた、こういう情報に興味があるでしょう」的な形をとって、「@nofrillsは陰謀論者である」などという内容の言説をばら撒かれるのは、私にとって、ものすごい不利益をもたらしかねないので、こうして明確化している次第である。



なお、なぜ「ニコラス・ケイジ」を思いついたのかはわからない。自分に関心のないものとして真っ先に思いついたのが、たまたまそれだったのである。(思いついたということは関心がゼロではないのだが、そういうポストモダンだかフロイトだかわけのわからない話はするつもりはないので、Twitterなどでもこの項をネタにそういう話をふってこないでください。)

※この記事は

2013年06月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:57 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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