「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年05月30日

「急性心不全」がそんなに珍しいか。

私は激怒している。



何があったかというと:



この、あまりにも突然で、あまりにも早すぎて、あまりにも無念な訃報について、こういう連中がいる。



もちろん、こういう、“カギカッコつきで「急性心不全」と強調する”手法による自説の喧伝は、この一例のみではない。Twitterで吉村さんの訃報について検索すれば複数表示される。はやばやとうんざりして検索するのをやめた私が確認しただけで3件(3アカウント)あった。

その3件のうちの1件は、ネットで旧知の間柄の人である。
(「旧知の」というのは、念のために説明しておくと、私が最初に使っていた「チャンネル北国TV」というコミュニティ的な色彩の強いブログのユーザー同士として、ということだ。同じようなつながりの人々は何十人かいたし、10年後の今もつながっている人もいる)
↑この赤い文字の部分が読めない人が多いようなので強調。5月31日。




言っておくが、私も考え方は「反原発/脱原発」である。それもかなり昔からだ。ただその言葉を使いたくない。その言葉を使っている連中にうんざりしてしまったからだ。一緒にするな、というよくある感覚である。

プロ・フットボーラーの松田直樹さんが、練習中に急に倒れて亡くなったとき、「脱原発」を言う連中の一部は、「福島の事故でのセシウムが心臓に蓄積していたのではないか」と公然とのたまった。誰がそういうことを言っていたのかはいちいち記憶していない。ただTwitterでそういう根拠のない言説がまかり通っていたということだけで十分だ。私は、私が自分からフォローしている人たちが、「何これ」という感じに反応していたので知った。(とか書くとまた「心臓に蓄積するというのはなんちゃらかんちゃらで、その意見が世に出ないのはなんちゃらかんちゃらで」とかいう人がいちゃもんつけてくんだろうな。)

そこには、松田という稀代のプレイヤーに対する敬意など、微塵もなかった。上で見たのと同じような、「知らない人ですがお若い方ですね」というようなものだ。

若くて、特に気配もなく、急性心不全で急死する例が、そんなに「珍しい」か。福島第一原発が事故を起こす前はなかったとでもいうのか。

どこの星に住んでたんだ。

さらにまた:











それはそれとして、うちの親族は何人も癌で死んでいる。それも(使いたくない言葉だが)いわゆる「放射脳」の連中に言わせれば、「放射能のせい」なのだろう。ただし「福島の」ではなく、大気核実験の時代の。





















もう1件見つけちゃった。



これを「下衆」と呼ばずして、何を「下衆」と呼べばいい?

急性心不全で人が死んでるのは、東日本だけなの?



こういう連中がいる一方で、このようになっているのが日本の現実。こういう連中がいるからうんざりして関心持たなくなったという人はいるよ(ファーストハンドで知ってる)。






※5月31日、ここにあったツイートを1件消去。理由は本人からの不快感の表明。
https://twitter.com/KanadeAkiyoshi/status/340419186000007168
https://twitter.com/KanadeAkiyoshi/status/340422338237562880



やれやれ、呆れたもんだ。90歳の三國連太郎の死因まで、カギカッコつきで「急性心不全」だってよ

うちのばーちゃん、90歳超えて、急性心不全で死んでますが、何か?



うは、これ来ちゃった。




念の為、キャプチャーで論拠を示しておきます。30日の23:20ごろ取得。



わたなべりんたろうさん、Smashing Magさん、タワレコ名古屋パルコ店さんのような追悼のツイートの中に、「原発事故でセシウムが心臓に蓄積」云々の医学的には裏付けのない説を信じる人々による、故人の業績ではなく、死因だけがカギカッコや文中での位置により、不自然に強調されたツイート。(※太字になっているのはそれが検索ワードだからです。)

必読:






ゆっくり合掌することもできていない。



追記。ほとほとうんざりだ。人の怒りに便乗してお前の優越感を満たすなら、チラシの裏にでも書いておけ。



以下、自分のツイートより。
「急性心不全」と騒いでいる連中の卑劣さに私が今まで気づかなかったなどと、ここに書いてもいないことを勝手に読み取られ憤慨尚更である。バズビー基金についての警告などなかったことにされているのか。>拙: 「急性心不全」がそんなに珍しいか。 http://t.co/hMtBfLhNLq
at 05/31 19:12

自分で彼らを批判せず、私の書いたこの文に便乗して彼らの批判をはやし立てている連中もまた、彼らと同じく卑劣である。批判したくば、自分の言葉で、自分の場で、批判せよ。>拙: 「急性心不全」がそんなに珍しいか。 http://t.co/hMtBfLhNLq
at 05/31 19:15

他者の行う批判に便乗したあげく、批判者をあげつらうことまでして「私はとっくに気づいていましたよ」的に自己の優越感を満たしたいか。(以上、自分のブログのZenbackに表示させるための連投)>拙: 「急性心不全」がそんなに珍しいか。 http://t.co/hMtBfLhNLq
at 05/31 19:17


さらにアップデート。
やたらと情報量の多い、ネット上でしかつながりのない何十人の1人のオンラインでの言動について、10年前に同じウェブサービスを使っていてコメント欄などに足跡が残っているからといって、当方がいちいち注進するのが当然なのか。そもそも当方ははなゆー氏をTwitterでフォローしておらぬ。
at 05/31 19:38

あるいは、はなゆー氏の言動が気に食わぬからといって、「縁を切る」のが当然なのか。完全に開かれた場であるTwitterやNaverまとめ、ブログでいかにして「縁を切る」ことができるのか。Twitterでブロックしてあっても勝手にコピペしていく輩は存在する。(誰とは言わないが)
at 05/31 19:40

10年前はそれなりにやり取りがあったが、あまりの言動に呆れ果て、この5年以上はほとんど没交渉であるが、関係は絶っておらず、当方が先方からTwitterで言及されることもある、というような背景には思い至らぬのが普通であろう。1/2
at 05/31 19:44

で、「あのように他人の死因を詮索することは卑劣だ」と指摘するブログを書くときに、そんなところまで書かにゃ、「今ごろ気づくとは鈍感」とか言われるわけ? だいたい、ブログの本文で「はなゆー氏」だけを批判しているわけではない。2/2
at 05/31 19:46

はなゆー氏(だけじゃないけど)の言動を批判すると、批判したということについてまで「遅い」とか「今更」とか「鈍い」とかごちゃごちゃ言われるんなら、もうめんどくさいから沈黙します、ってなりますわね、これは。誰が誰の首を絞めているのか。
at 05/31 20:11

※この記事は

2013年05月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 21:10 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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