そして今、2006年5月のブログのエントリを読み返している。7年も前に書いた時事ネタの文章だと、ほぼ「他人」の文章であっても不思議ではないのだが、実際ディテールは記憶から抜け落ちているものの、基本的には距離感はない。自分のコアの部分に近い文章なのだろう。あるいは、これを書いた後にこれがコアに近いところにおさまったか。
そのくらいに、衝撃的な事件だった。その衝撃を、ネットで多くの人々が「シェアする」現場にリアルタイムで居合わせて(当時のSlugger O'Tooleの極めて理性的なコメント欄)、私もその衝撃を(完全にではないだろうが私なりに)自分のものにした。
2006年05月18日 なぜなら彼は「カトリック」だったから――Ballymena少年襲撃殺人(1)
http://nofrills.seesaa.net/article/22305742.html
15歳の少年が、夜間に繁華街のピザ屋にピザを買いに出て、別の少年たちのグループに襲撃され、ぼこぼこにされた。襲撃された少年は何とか家まで戻り、即座に病院に搬送された。しかし命はもたなかった。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/4752571.stm
その少年、Michael McIlveenはカトリックだった。彼を襲撃したのはプロテスタントの――いや、正確には「ロイヤリスト」と言うべきだが――10代男子のグループだった。
マイケルはほかの友人たちと一緒にテイクアウェイのピザ屋に出かけていた。その帰り道で、「ロイヤリスト」のグループが彼ら「カトリック」のグループを襲撃した。ほかの子たちは逃げることができたが、マイケルは追い詰められて、ぼこぼこにされたのだ。死ぬほどに。「カトリック」だったから。
2006年05月18日 セルティックのユニとレンジャーズのユニ――Ballymena少年襲撃殺人(2)
http://nofrills.seesaa.net/article/22305830.html
そこでは人の集まりはどこまでも「集団」であって、個人個人ではない。「スンニ派によるシーア派を狙ったテロ」で「15人が死に30人が負傷した」、「両者はかくかくしかじかの理由で対立している」(あるいは「スンニ派はシーア派に対抗している」)と説明されて終わりだ。死んだ15人それぞれの個など、省みられることもない。それが「紛争」ってもの、その現れ方のひとつだと思う。
「紛争は終わった」ことになっても、その紛争のメンタリティは終わるわけじゃない。IRAが武器をおいて、ストーモントのアセンブリーが再開したからって、「プロテスタント」対「カトリック」のメンタリティは過去のものになっていない。「紛争」真っ只中を知らないはずの10代後半の子たちが、「カトリック」を襲撃する。
……
17日、Ballymena(バリミーナ)でマイケル・マッカルヴィーンの葬儀があった。1000人近くが参列したという。BBC Newsの北アイルランドのページのトップに、その記事があった。
2006年05月18日 「下の下」――Ballymena少年襲撃殺人(3)
http://nofrills.seesaa.net/article/22305895.html
要約すれば、「人種差別主義者に殺された黒人の葬儀を人種差別主義者が襲撃したとする。その場合に問題とされるのは『社会の分断』ではなく『悪い人間』[ママ]だろう」というコメントに対して、「殺人に比べれば投石などどうということではないし、この事件には人種差別のコンテクストもある。個々の責任を問う前に事件のシンボリズムを見たがるのは確かに問題とすべきだろう。しかし、この投石事件は、マイケルの殺害の根となったセクタリアニズムがいかに深刻かを示すものだと思う。人種差別での殺人の場合、殺した側がわざわざ葬儀に来て、殺された側を侮辱していくだろうか? この投石はそういう話だ。しかも自慢げにそういうことをする。『ハクがつく』とか『意味のあることだ』と考えているのだから。こういったシンボリズムの作用する場では、単に幾人かの個人の行動だとは言っていられない。そう言っていると、ある程度は頭が回るから自分では手を汚さない連中に目を向けることがなく終わってしまう」というレスがついている。
……
コメント欄はあと、前の論争(宗教をめぐるもの)の続きになってしまうが、「あのスレでは充実した議論ができた」「この話題ならみんなで話せるのでは」というように収束する。
最初の記事:
http://nofrills.seesaa.net/article/22305742.html
に明らかなように、この事件は北アイルランドのセクタリアン・ディヴァイドの向こうとこちらをつないだ。「絶対に連中は敵」という言辞を弄してきた人々が、互いを思いやり気を使い、互いに言葉をかけあうということを公然と行なった。「カトリック」の死を悼むイアン・「教皇は反基督」・ペイズリー(父)の態度といい、81年ハンストの25周年(四半世紀)という重要な節目の行事を取りやめたシン・フェインの態度といい、それまでは「ありえない」と思われていたようなことだ。
それから7年。
相変わらず、セクタリアン・ディヴァイドがなければ生きていけないような錯覚に陥っている人たちの発言力は維持されている。それどころか強まっているかもしれない(「旗騒動」)。それがDUPでなくなっただけで。
2006年5月にピザを買いに行ってセクタリアン暴力の対象とされ、そのまま帰らぬ人となった「ミッキー・ボー」は、今も生きていれば22歳だ。大学に行っていたかもしれない。結婚していたかもしれない。
そしてこのセクタリアン暴力は、終始、「普通の犯罪」として扱われた。「テロリズム」ではなく。
北アイルランドの「テロリズム」を生じせしめた背景の上に成り立っている暴力であるにも関わらず。
そして、私が記憶している限り、誰もこれを「テロリズム」とは呼んでいなかった。
ロンドンのウーリッチの英兵襲撃事件が、実はイッちゃった個人の政治的狂信ゆえのほとんど「猟奇的」な犯行であったかもしれないのに、最初からどのメディアでも「テロリズム」と呼んでいたのとは対照的に。そんな無意味な比較をついついしてしまう。
※この記事は
2013年05月25日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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