最も重要なことは、容疑者の1人(黒い帽子の男)がロンドン生まれでロンドン育ちの英国人(ナイジェリア系)だったこと、彼の家は熱心なキリスト教徒(チャーチ・ゴウアー)だったこと、学生時代は明るく友達も多かったこと、10年ほど前に彼がイスラム教に改宗したこと、そしてその頃(ポスト9-11の時代)に英国でさんざんニュースになった「過激な宗教指導者」とつながっていたこと、そして容疑者2人とも、MI5は「要注意人物」と位置付けていたこと(「爆弾テロ」に気をつけて網を張っていても、まさか車と肉切り包丁で軍人を襲うとは思っていなかったかもしれない)。それらの情報が一か所にまとまった記事を各報道機関が出している。BBCの記事が中でも情報が多いと思う。
こうして乾いた説明をされると、ボストン・マラソン爆弾事件のツァルナエフ兄弟(の、特に兄)を取り巻く状況とよく似た印象を受ける。おそらく、同じような状況にある「テロリスト予備軍」は大勢いて、その行動が未然に防がれるケースもまた多いのだろう。ブライトン爆弾事件のあと、メインの標的(マーガレット・サッチャー)を逃したIRAが、"Today we were unlucky, but remember we only have to be lucky once" 「今日は我々に運がなかったが、我々はたった一度だけ、運に恵まれればよいのだということを、覚えておいていただきたい」という声明を出したことを思い出す。つまり、彼らにそれを絶対に行なわせないためには、諜報機関や警察は常に運に恵まれていなければならない。そして諜報機関や警察にも(他の人々と同様に)100パーセントはない。これが「テロリズム」のひとつの側面である。
これから容疑者は起訴されるだろうし、そうなればまた具体的なことが明らかになる。というか、具体的なことが明らかになるまでには、公判の開始を待たねばならない。それまで、この「猟奇的」とすら言える事件に関心がもたれているかはわからないが、ひとつだけ確実なように見えるのは、この事件によって「コミュニティ・リレーションズ」(←英国でよく聞かれる用語)上の「危機」が生じかねないという懸念を、多くの人が抱いているということだ。
昨日、その「危機」の可能性を示す出来事が、ネット上で起きた。「デマ」の拡散である。
Why Oldham is trending in the UK
http://storify.com/nofrills/why-oldham-is-trending-in-the-uk
Oldham (オールダム) はグレーター・マンチェスターのエリアにある街である。この地名が「ニュース」になったのは、2001年のことだった。この年は、9月の米国での例のできごとがほかのすべての重要ニュースを押し流してしまったかのような有様だが、実はその前に、英国では非常に重要なことが起きていた。ひとつはReal IRAのイングランド作戦の本格化、そしてもうひとつは極右勢力の煽動による人種間・コミュニティ間の緊張の高まりである。(いずれも、9-11事件とその後の波の中で、動きとしてほとんど「消えた」状態になったが。)
For three days in late May 2001, Oldham became the centre of national and international media attention. Following high profile race-related conflicts, and long-term underlying racial tensions between local White British and Asian communities, major riots broke out in the town.
http://en.wikipedia.org/wiki/Oldham
詳しくは、この「暴動」について書かれた書籍か、ウィキペディアでのエントリ(しっかりとしたソースつき)をご参照いただきたい。
http://en.wikipedia.org/wiki/2001_Oldham_riots
![]() | Rioting in the UK France David Waddington Willan 2013-01-11 by G-Tools |
今回注目すべき問題は、この「人種暴動」が引き起こされる前の段階で「緊張が高まって」いく中で、「デマ rumour」がばら撒かれていたことである。
In considering what might follow the straw man of "state multiculturalism", it's worth looking back at Oldham, Burnley and Bradford and remembering that the riots began as a community response to the rumour or the fact of far-right attacks on Asian neighbourhoods. Recently, the anti-fascist magazine Searchlight identified large swaths of the population vulnerable to far-right propaganda.
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/may/11/decade-since-oldham-bnp-swamped
(昨年12月から今年2月にかけての北アイルランドでの「旗暴動」でも「北アイルランド警察はIRAの手先。その証拠として……云々」のような「デマ」の流布が見られたが、この「旗暴動」の仕掛け人の1人は元BNPである。現在は、BNP党首ニック・グリフィンと喧嘩別れしたような形で、独自の団体を作っているが。)
2013年5月22日のロンドン、ウリッチの陰惨な事件の直後、現在最も活発な「反ムスリム」の排外主義団体であるEDL (the English Defence League) がウリッチにデモをしかけ(60人くらいは集まったらしい)、ケント州やエセックス州でモスクが襲撃され、襲撃犯が警察に逮捕されるなどのニュースが流れる中、それなりに慣れた「極右ウォッチャー」はほぼ疑いなく、「デマ」の流布に注意していただろうと思う。
そこに、本当に出てきたのが今回のこの「オールダムのデマ」だ(内容は日本語ではネットには書かない)。その出所をたぶんたどることができたので、Storifyしておいたわけだが、今後も注視は必要であろう。関心のある方はSunny HundalさんとかHope Not Hateとか、EDL News(名称が紛らわしいが、やってることは「EDL Watch」)などをフォローしておくのがよいだろう。
「デマ」の出所と思われるもののキャプチャ画像:
— nofrills (@nofrills) May 23, 2013
なお、EDLは正体を隠してFacebookにダミー団体っぽいページを作っているようだ。こうなると、もう「カルト」の行動である(が、極右には珍しいことではない)。
'RIP Woolwich Soldier': over a million people may have accidentally 'liked' a covert EDL Facebook page
By Jake Wallis Simons
Last updated: May 23rd, 2013
http://blogs.telegraph.co.uk/news/jakewallissimons/100218409/over-a-million-people-may-have-accidentally-liked-a-covert-edl-facebook-page/
なお、このような「カルト」的な行動は、いわゆる「イスラム過激派」の間でも非常によくみられる。「勉強会などの名目で人を集めて、中身は布教」という例のパターンだ。
今回、ウーリッチの事件で物騒極まりない刃物を振り回して恐ろしい行為を行なったあの「黒い帽子の男」も、何かのきっかけで「カルト」的なところに行ってしまったのだろう。
インディペンデントのキム・セングプタが、彼が「はまった」宗教指導者について、書いている記事。
'Woolwich suspect inspired by cleric banned from UK for urging followers to behead enemies of Islam.'@independent ind.pn/11epeaH
— AndrewBuncombe (@AndrewBuncombe) May 24, 2013
この「宗教指導者」、Omar Bakri Mohammedは数年前に英国から国外退去となり、今はレバノンにいる。元々はシリア人で、現在、バシャール・アサド政権側が「反政府側はみなテロリスト」と主張し、(実際には最初に立ちあがった人々はこの連中ではなく「欧米かぶれのリベラル勢力」だったにもかかわらず)それがある程度の説得力を有しているのは、こういう人物が実際にいるからである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Omar_Bakri_Muhammad
ところで今回、BBC Newsをウェブストリームで見るなどしていたが、「IRAのテロの時代」への言及が非常に多かった。主に「テロからの防衛」という観点でだが、1970年代から80年代にかけてIRAはイングランドで何度も英軍を標的に攻撃を行なっており(北アイルランドでは2000年代もだが)、そのときに英軍が行動を変えねばならなくなったことがある。
昨日、デイヴィッド・キャメロン首相はダウニング・ストリートで声明を出し、その中で「私たちが日常の生活のありかたを変えれば、それはテロリストの勝利を意味する」という "Keep calm and carry on" 精神満載の姿勢を明示したのだが、そのすばらしいメッセージは、メッセージとしては筋の通ったものなのだが、現場には難しいものである。
「IRAのテロの時代」、英軍人は軍施設の外に出るときは、軍人と分かる身なりをしていかないこと、ということになっていた(実際に「規則」だったのか「通達」レベルだったのか、あるいは「暗黙の了解」だったのか、厳密なところは要確認であるが、事実上は「規則」であった)。
今回の攻撃を受けて、MoDはその「規則」の復活を望んでいたという。自組織のメンバーを守りたい立場としては、当たり前のことである。
しかしダウニング・ストリートとホワイトホールでは、それによい顔をしなかったという。そのように、明確にやり方を変えてしまうことは、「テロに屈する」ことになるからだ。
英国が英国らしさを発揮するのは、この後なのだが。(どのように理屈をつけて、軍人が基地の外では軍人とわからないようにふるまうという「事実上の規則」が導入されるか……。きっと「個人の自主的な選択」だろうと思うけれど。)
※この記事は
2013年05月24日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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