「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2013年04月10日

マーガレット・サッチャーが死んだあとに書かれ語られた言葉の量に、ただ圧倒されている。

4月8日、マーガレット・サッチャーが死んだ。そのことで書かれ、語られ、何らかの形で私のところに流れてきた言葉の量に、ただ圧倒されている。

【訃報】マーガレット・サッチャー元英国首相
http://matome.naver.jp/odai/2136542699248871101


続 【訃報】マーガレット・サッチャー元英国首相(英報道記事アーカイヴ)
http://matome.naver.jp/odai/2136546973056028201

※アイルランド(北アイルランドの「半分」を含む)の反応は↑の「まとめ」の最後の方に。重いですよ。重いし、複雑。とても1日や2日で「語れる」ことではない。

これらの「まとめ」のページは、私がTwitterにログインした状態でThatcherで検索した結果、Topとして表示されていたツイートを、(カテゴリー分類などの編集は加えたが)基本的にただアーカイヴしたものである。「取捨選択」などの能動的な編集作業はほとんど加えていない。

ただし、Twitterの性質上、「Topとして表示されていた」という段階で、既にフィルターがかかっている。私がこれまでTwitterでどのようなリンクをクリックし/クリックせず、何をRTし/RTせず、どれにリプライしたか/しなかったかといったことをベースに築かれた「パーソナライゼーション」というフィルターだ。(それについては、またいずれ。)

だから、「偏っていない」ものではない。そもそも、マーガレット・サッチャーについて「偏っていない」言説は、単純な事実の羅列(身長が何センチであるとか)でもなければ、ほぼ不可能だ。この人物について語ること、いや「語る」以前に何かを述べることは、そのくらいに、「わたし」の立ち位置に直結している。そういうふうになっている。

マーガレット・サッチャーはただの「政治家」ではない。現象(phoenomenon)であったし、その結果、「文化」でもあった。深く、組み込まれている。そういう政治家は、日本だとおそらく田中角栄くらいだろう(といっても私は田中角栄についてはわけもわからず「よっしゃよっしゃ」と物まねしていたくらいの記憶しかない。上の世代の「角栄」への「思い入れ」を間接的に知っているのみだ)。

その人物について、誰もが一言、言わずにはいられない。そんな政治家。

個人的に今回は、「亡くなった」系の言葉を、どうしても使う気になれない。仕事でもなければ使うことができない。それは「わたし」の言葉ではない。英語でpassedと書かれていれば、単なる「対訳」として「亡くなった」と書けるが、diedやis deadでは「死んだ」としか「訳」せない。ほかの人の場合はdiedを「亡くなった」と「訳」していても、マーガレット・サッチャーではそれができない。せいぜいが「他界した」だ。むしろ、「おくたばりあそばした」とか言いたい。

This is an ex-former Prime Minister of the UK.




実のところ、「30年ルール」で毎年12月末に開示されている「当時は機密指定文書だったもの」などをチラ見しつつ、このような「感情的」でtribalな見方は当時の政治的な意図によるプロパガンダによる部分が大きいということはわかっているつもりだし、本当に何がどうだったのかはもっと「冷静」に見なきゃいけない、とは思っている(たびたび書いているように)。しかし、「雀百まで踊り忘れず」なのだ。私はこの人について「亡くなった」という日本語を使うことは、できない。それが事実だ。別に死んだことを喜びはしない。墓の上で踊れとかも思わない。ただ、「亡くなった」と言えない。

同じようなことが、スペクトラムの反対側でも起きていると思う。つまり、どうしても「逝去なされた」的な言葉でしか語れない人がいるはずだ。涙を浮かべ、ため息をつきながら。

80年代に「洋楽ロック」に親しんできた人々の多くの間では広く知られていることだが(ただしボンジョヴィとかジャーニーとかをヘビロテで聞いてた人たちにとってどうなのかは知らない)、マーガレット・サッチャーという人はいわば政治的マーマイト、You love her or hate herである。優等生的というか「中間的」な、「好きでも嫌いでもない」という扱いはありえない。「常備はしているが、なくなったら困るというほどでもない」という、(私にとっての)ラー油やマヨネーズのような存在ではなく、はなっからうちの食品棚に居場所などない肉の缶詰のようなものだ。(みなさま、どうぞご自由に、バイキング姿でお歌いあそばせ。

そんな存在だから、世間の情報も極端だ。

基本的に「崇拝している」か「蛇蝎のごとく嫌っている」かのいずれかで、そして「パーソナライズ」された結果、私のところには前者の言葉はほとんど入ってこない。

「崇拝」系のでロード・シュガーのツイートは見たが、アーカイヴに入れたかどうか……とにかく、1時間もしないうちに1000件新着するというペースでは、ただ流れていくものを前に、ほとんど何もできない。

ピアース・モーガンのも流れてきたが、基本的に「こいつ大嫌い」なので、これは積極的にフィルターをかけた(2つ目の「まとめ」において)。

そういった「大物」系を除くと、「崇拝」系のは自分でフォローしている人のツイートしか表示されず、それらはデイリー・テレグラフの記者や保守党の政治家やその息子といった人々のものであり、特に「濃い」崇拝者はいない。サッチャーを「尊敬」することがデフォルト、という人々だ。

一方、「蛇蝎のごとく嫌っている」系は私にとっては情報のデフォルトの状態で、つまり自分にとっては「普段と変わりない光景が展開されている」感じ。そこでは、「サッチャーが死んだ」といってパーティーしちゃうような無遠慮なプロパガンディストたちも、そういうのとはちょっと距離を置いてる左翼の活動家たちも、みなそれぞれに「終わり」を見て、語っている。

しかしこの「終わり」は、「悪い魔女は死にました。めでたしめでたし」ではなく、その「悪い魔女」が現役時代にできなかったようなキチガイじみた政策が、その「魔女」とは別の人々によって、次々と現実のものになっているという悪夢である。そうか、サッチャーが死んだか、と感慨にふけったあとで、その前日のニュースなどを見れば、なぜか「サッチャーがいた昔はまだましだった」(「昔はよかった」ではない)というため息をついている、おかしいな、という事態だ。

ところでアメリカだが、あなたがたは阿呆なんですかとしか言いようのない言説がちょこちょこと出ている。なぜ基本的な確認もしないんだろう、と。

Twitterはアメリカの企業だからだと思うが、英語でTwitterを使う限り、「アメリカ」はデフォルトで基本の位置に組み込まれている。私がどんなに「アメリカ」に関心を払っていなくても、デフォルトで、Huff PoだのDaily Beastだのの記事が表示される。私、めったにクリックしないんだけどね、これらのブログ・メディアの記事は。(一方で、私がTwitter上で関心を示していない@APや@BreakingNewsアカウントのツイートはあまり多くは表示されていないので、HuffPoだのDBだのは何か特別なアルゴリズムでもあるのかもしれない。私がフォローしている人が特別に重視している、とか。)

んで、そこらへんから寝ぼけたようなピンボケのような「サッチャー様」的言説が垂れ流されてくる。多くはクリック目当てで中身のない記事なので、「わたし」にとっては本当にウザいノイズだ。ジミヘンのCDを買うためにCD店に行ったらもれなく入り口脇のAKB48の特設コーナーを通過しなければならない、みたいな感じのウザさだ。

その極致が、米大統領。ほんっと、ブレーンは何をしてるんですか、と。
https://twitter.com/BarackObama/status/321269768457953280

このような「"フェミニスト"としてのサッチャー」というのは、特にアメリカのオンライン・メディアの記事で多く見られた切り口だ。私はもう心底ウンザリしてしまって、「まとめ」にアーカイヴすることもしてないが、「サッチャー名言集」みたいなお手軽なオンラインの記事で「女性のエンパワーメント」の色をつけているような見出しが散見された。

サッチャー自身は「女性のエンパワーメント」(それが「フェミニズム」のコアのひとつである)など、していない。「自分のエンパワーメント」はしたが、「女性」(というか日本の80年代フェミニズムの言い方だと「女たち」か?)という考え方はしていなかった。



この点についてツッコミを入れる、というか単にファクト上のエラー(間違い)を指摘する発言も多い。10日にずいぶん多くの見出しを見た。アイリッシュ・エグザミナーの下記記事は論旨明解で特に予備知識も必要なさそうで、非常に読みやすかった。




(ただ、「女性の社会参画」などとは最も縁遠いところにいる保守党のノーマン・テビットまでそういうことを述べていたようだから、何かその方向での「死者の美化」という修正主義的プロパガンダが行われている可能性もある。ドナルド・レーガンの死の直後もかなりそういう「美化」はあったと記憶している。サッチャーについては「フェミニスト」として語り直そうという無残な試みと、「環境保護に熱心」という無様な修正主義が出ている……サッチャーの「公害対策」は炭鉱の労組潰しとエネルギー政策のためであって、「環境保護」ではない。おそらく、ロード・ベルのところの広告代理店が総力を挙げて「語り直し」に取り組んでいるのだろうと思うが。)

あと、ラッセル・ブランドですね。1970年代半ば生まれの「サッチャーの子供たち」として、非常によい文章を書いている。ただし、「イギリスについてはほとんど何も知らない」という人には難しすぎるかもしれない。






追記。

単に「量に圧倒される」だけの時間が過ぎるのを待っていたら、その間に4月9日(2003年バグダード陥落……記事に気づかなかったけど何か出たのかな)、4月10日(1998年グッドフライデー合意。これは別に書いている)と、以前から密かに心の中で準備していた「記念日」が過ぎていた。

マーガレット・サッチャーについては、生前、実にうんざりするほどに語られてきた。現代のイギリス社会と政治と、何より「文化」に組み込まれているので、何を見ても「サッチャーの影」がある。トニー・ブレアの政策はどのくらい「サッチャー的」であったか、デイヴィッド・キャメロンは「サッチャリズム」をどう変えていくのか、などなど。政治以外にもすべてのことについて、「サッチャーを知らない子供たち」は別だが、語り手が強く影響を受けているので(「80年代に育った子供」やその前の世代はすべて、だ)、何かを語る際に顔をのぞかせる。

数年前に倒れたときに「年齢が年齢だし、そろそろ死ぬだろう」という空気があったのだが、その段階ですでに「国葬にすべきか否か」で(政治家ではない人々の間で)激論が交わされ、その後何度か倒れて入院するたびに、モリッシーではないが「ねえ、いつ死ぬの、いつ死ぬの」的な悪意のかたまりとしか言いようのないものも、まさに「定期的に」流れてきては、「不謹慎な!」という「怒り」も流れてくる、というのが続いていた。

そんなサッチャーについて、もう語るべきことなど何もないはずなのに、また新たな「語り」が出てきている。つまり、「美化」という語りが。これは死後になって起きているものであり、生前はたぶんありえなかった。

例えばこれだ。1つ目の、KattyKayBBCのが「当時本人が語っていたこと」、2番目以降のRebeccaPeytonのが「美化」。なお、Boathaはタイポで、正しくはBothaである。








Pik Bothaという人の名前を、無知な私は知らない。流れてくる描写から南アの(元)政治家だということは誰にでも把握できるが、どの時代のどういうスタンスの政治家なのかはわからない。ぶっちゃけ、白人なのか黒人なのかもわからない。この大量の情報の流れの中で、そういうことまで確認できるほどの能力的な余裕を私は持たなかったのだが、BBCの記事は見た(一応、読んだ)。。。って、そのBBCの記事、今ウェブ検索しても見つからないじゃん(本気で検索すれば見つかると思うが、リンクはったところでどうせクリックなどされないのだから、その手間をかけてもいいと思えることではない。各自検索してください)。ほかの「保守系」の言説が上位に表示されてて。何という物量。まさにプロパガンダ戦争だ。

まあいい。今、ようやく情報の奔流と距離を取ることができたのでPik Boathaについて簡単に調べものをしているのだが:
http://en.wikipedia.org/wiki/Pik_Botha

「アパルトヘイト政権最後の数年の外務大臣」だそうだ。

ふーん。

このような「発言主は誰か」ということがわかりづらい、失礼ながら「世界クラスのハウスホールドネーム」ではないが、実はものすごく色の強い人物による、偏っていないはずがない発言が、「誰が言った」という部分は捨象されて、その発言内容だけが流通する。「サッチャーは南アのアパルトヘイト政策撤廃に貢献した」と。

(10年前に、発言主がサハフ情報相だということをさっぴいて、「アメリカ軍などいない!」という言葉だけが流通したことはなかったでしょう。でもここで起きているのはそういうことだ)






(この「旧態依然としたトライバリズム言説」だけでもうんざりするほど多いんだけどね。「誰もが一言」の状態だから。あと、One Direction世代の「サッチャーって誰?」の奔流。なお「トンデモな修正主義」の実例は、「NAVERまとめ」にかなりたくさん入れてあるはずなので、そちらをご参照のほど)




※この記事は

2013年04月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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