いい映画だった。もう一度見ると思う。北アイルランドについて継続的に見ておられる方、このブログで、北アイルランドについて関心を抱いてくださった方ならきっと、見て損はしない。
音楽(「IRAの出てくる映画」にありがちなこってこての音は出てこない)も映像もすばらしかったが、何といっても「寒い」感じのバックグラウンドに浮かぶ「コレット」のアンドレア・ライズブロの横顔のラインの美しさ。あれはレオナルド・ダ=ヴィンチの絵だ。
上映館は多くない。東京では3月16日から公開されているが、4月から5月にかけて、全国各地で公開が始まる。上映館一覧を参照。(川崎は昨日で終わってしまっているらしいので銀座へどうぞ。)
http://shadow-dancer.com/theaters/
時は1993年。当時流行っていた、前身頃の上から下まで全部ボタン留めのワンピースに、ざっくり編みのニットのカーディガンを羽織った20代の女性、コレット。ロンドンの地下鉄に乗る彼女を、何の説明もなく、カメラは淡々と写し続ける。空いている座席に座った彼女の膝の上には、当時流行っていたタイプのトートバッグ。カメラが、その何の変哲もないバッグにズームすることで、「それ」を(わかりやすく)物語る。
私がロンドンで経験していたボム・スケアの中には、コレットのような人がやったものがあったかもしれない。
コレットはIRAメンバー(義勇兵。いくつかの映画紹介文では「シンパ」とされているが誤り。明確に義勇兵)。地下鉄駅での作戦を決行するため、ロンドンに派遣された。しかし既に当局は彼女をマークしていた……。
物語は、比較的単純だ。ネタバレせずにこの映画について書くことは、私には難しい。始まりは、1970年代(北アイルランド紛争初期)の、「カトリック系住民」(というメディア用語がいかに寝ぼけたものであるか)の家の中から。この家の内装(壁紙、レースのテーブルクロス……)から、手触りのあるような映像で描き出される。
映画の中での説明は、極限まで少ない。IRAの大義だとか、英国の国家防衛だとかいう点についてのゴタクは、出てこない。映画の中の何人ものIRAメンバーも「行動」あるのみで、「演説」はぶちかまさない。だから、ある点ではとても「わかりづらい」(観客サービスのない)映画だ。でも普通に考えれば、IRAに入って活動している仲間内では「演説」の必要などないのだから、IRAのユニットの中を描いたものとすれば「リアル」な作りだ。(彼らが常に政治的な議論を戦わせていた、などというのは、あるとすれば、たぶん幻想だ。)
ただ、この時期(1993年)に開始された「ピース・プロセス」について、個々のメンバーがどう思っているかは、明確に言葉で語られる。そこから、彼らが1998年(グッドフライデー合意)にどう判断し行動したかは類推できる。それが、2013年の実際のニュースと自分の中で勝手に結びつく。
コレットの家の裏手にある丘陵は、ブラック・マウンテンだろうか。
実際には、映画の撮影はベルファストではなくダブリンで行われているので、あの丘陵はブラック・マウンテンではないのだが、「これはパイプではない」的に、そう「見える」ことを見込んでロケハンが行われているのだろうと思う。
そのような「背景」を置いて、「ドラマ」は主人公のコレットというひとりの女性に絞って描かれる。だが、描かれるのはほぼ「心理」のみで、コレットの「ドラマ」もほとんど説明されない(子供のころの劇的な体験は語られるが)。コレットがすべてを引き替えにしても息子のマークを守りたいということは描かれるが、小学生のマークの父親は誰なのか、なぜ父親がいないのかということの「説明」はない。(だからそういう「説明」がないと安心して映画を見ることができないという人は、別の映画を見た方が楽しめる。)
それは、おそらく、これを見た個々の人々(「北アイルランド紛争」の当事者が、そこには少なくない)の中で、好きなように「物語」をつけてもらうためだろうと思う。見た人それぞれが、それぞれのようにrelateするために。(ひょっとしたら「壁にかかっている写真」のようなもので、実は説明されていたのかもしれないが。)
実際、この「物語」は「北アイルランド紛争」でなくてもあり得た「物語」だ。例えばフィリピンの左翼つぶしでも、フランスのアルジェリア戦争でも、イタリアのマフィアでも。国家当局が、武装勢力・反体制勢力の中にいる誰かを「情報源」とする、その徴募の過程での心理戦。「息子さん、かわいいですね」。
(かのLulzSecのSabuがFBIのイヌになったきっかけも、「逮捕・起訴されたら有罪になり何十年も投獄され、子供に会えなくなる」と言われたことだったという。)
物語は、ベルファストのコレットの一家を、1970年代に襲った悲劇から始まる。コレットの父親は「リパブリカン」だが、この「リパブリカン」という言葉が「IRAの闘士」を指すということについての説明は、この映画はしない。
「リパブリカン」のたまり場のパブが映画に出てくる。重要なことがそこで起こる。そのパブには、入り口のドアに「歌禁止 no singing allowed」という貼り紙がある。その意味を、私は文字通りにしかとらえられない。でも、あのように画面に出てくるということは、あの貼り紙は何かを語っているのだろう。気にしない人には気にならないディテールだろうが、知ってる人には通じるような何かなのかもしれない。この映画の監督のジェイムズ・マーシュは、ドキュメンタリーの仕事で高い評価を受けている(オスカー獲得)。
そうやって語られるこの「物語」は根源的に《悲劇》である。
北アイルランド紛争で情報屋になっていたことを明かして公的に発言している人々の多くが、「私の行動で人命が救われた」と述べていることを、私は知っている。IRAの襲撃計画を、事前に警察に告げたことで、襲撃対象が殺されずに済んだ、といったことだ。
しかし、それはいわば「勝者が作る歴史のナラティヴ」にほかならない。そういった「歴史」には刻まれることのない《悲劇》が、実際にそのようなことがあったのかどうかということは関係なく、ここで「物語」として語られる。
それが普遍性を持つのは、「ひとりの人間」の物語として成功しているときだ。
そういう「普遍性」を有するためには、「北アイルランド紛争」、「リパブリカンの闘争」という個別性の高いバックグラウンドは、なるべく抑えたほうがよいという判断だろう。(ちなみに、原作ではコレットの夫は英軍に殺されている。その「物語」を、映画は捨てた。その英断。)(なお、原作を書いた人はこの映画の脚本も書いている。)
原作(入手困難。図書館に当たった方がいいです):
![]() | 哀しみの密告者 (扶桑社ミステリー) トム ブラッドビー Tom Bradby 扶桑社 1999-04 by G-Tools |
内容(「BOOK」データベースより)
美しきテロリスト、コレット。弟と夫をイギリス軍に奪われ、IRAに身を捧げてきた彼女は、故郷を遠くはなれたロンドンで逮捕されてしまった。幼い子どもたちを捨てて監獄に入ることはできない―ついにコレットは、イギリス側に情報を内通する“密告者”となった。……
きっと、大勢の「コレット」がいた。
(個人的には、ふと気づけばジーン・マコンヴィルのことを思っていた。)
「失踪者」の1人であるJean McConville……夫に先立たれ、女手ひとつで10人(!)の子供を育てていた彼女は、1972年12月、英軍に情報を流していたとしてIRAに拉致され殺害され、埋められた。遺体は2003年、海岸を散歩中の人によって偶然発見された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jean_McConville
次のエントリで、1993年という年についてなど、少し事実について振り返りたいと思うが、本エントリの最後に映画レビューっぽいことを書いておきたい。
この映画を「くそリアリズム」から救っているのは、コレットの「色」だ。逆に言えば、「リアルに見せたい」のなら、コレットにあの色は着せなかっただろう。映画の中で最も生々しい「リパブリカンの軍葬」の描写の中でさえ、それはちらりとのぞいている。
「コレット」のハンドラーを演じるクライヴ・オーウェンは例によって「眉間にしわ」と眼力と、それから今回はイマイチしまりのない腹。「コレット」の兄のジェリーはエイダン・ギレン(Some Mother's Sonsでの、ハンスト闘争に参加したIRA義勇兵のイメージが、個人的に非常に強い)。弟のコナーにDomhnall Gleeson(ブレンダン・グリーソンの息子だそうで、すごい俳優がごろごろしてますな、アイルランドは)。IRAユニット長のケヴィンにDavid Wilmotで、キャストの何人かは『アンナ・カレーニナ』に出ているということで、もうあの作品の映画化はいいよ、どうせべったべたの悲恋ものにされてるんでしょ……と思っている私でもちょっと見に行こうかなと思うレベル。
そして、ステュアート・グレイアム。この人がピーター・ロビンソン役で2000年代の「ピース・プロセス (TM)」のドラマとか作られたら、私、卒倒してしまう……という俳優さんだが、そんなことを言ってもたぶん他人には伝わらない。これまでの出演作に、『Hunger』の「看守」、『眠れる野獣』の「カイル」……って、どっちも日本公開は映画祭だけだ(『Hunger』は東京国際映画祭、『眠れる野獣』は北アイルランド映画祭)。いや、『眠れる野獣』はベスト・ワンですよ、北アイルランドものの映像作品の中で……ロイヤリスト武装組織の中、「IRA」に対する憎悪から何から、「紛争」を描き出している(「北アイルランド紛争」というとIRAしか語ろうとしないものが多いのだけど)。
閑話休題。で、そのステュアート・グレイアムが、(北アイルランド警察の建物に間借りしている)MI5のクライヴ・オーウェン(マック)にいろいろと融通したりしてくれるのだが、彼がどういう役職かは特には説明されない(言葉のアクセントで、彼が「北アイルランドの人」であることは明確だが)。画面に出てきて「マック」と会話して……というだけで「役割」を果たしている。
『シャドー・ダンサー』はそういう作りの映画だ。
※この記事は
2013年04月06日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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