kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年03月14日

新たな教皇は、アルゼンチンの枢機卿だという。軍政時代のことがツイートされてきた。

先ほどのBBC Newsのトップページ。



トップニュースはローマ教皇が決定したこと。次が中国の習近平 Xi Jinping 氏の国家主席選出(“その名が知られるまで、どちらかと言えば地味なイメージだった習氏ですが、去年の秋に党の総書記の座に就いて以降、トップダウンの政策で着実に存在感が増しています。なかでも、「政治腐敗をなくす」「公費の無駄遣いをやめる」といった政策は国民の受けも良く、習氏のイメージアップにもつながっています”とテレ朝のニュース)、3番目が、うまくキャプチャーできなかったのだが、カンボジアのクメールルージュによる凄惨極まりない自国民の大虐殺の中心にいたイエン・サリの死亡のニュース




で、私の見ているTwitterで教皇の話題が流れてくるのを読まされるのは大変に疲れる上にただの無駄なので(大した量は流れてこないのだが、流れてくるものはネットミーム的なものを含めよくわかっていないアメリカ人のバカ騒ぎだとか……「Google Readerの終了は教皇が決めたんだよ!」みたいな、どこが笑いどころなのかわからないようなギャグとか……、それに対する批評だとかが多い)あんまり見ていないのだが、それにしても「南米から初めての選出」という乾いた《事実》が、南米とは直接の関係のないところでの言説においてまで「情緒」まみれになって叫びたてられるそれが、自分の頭の中で「“現場からお伝え”するワイドショーのレポーター」の甲高い声に変換されて、うるさくてたまらない。てか、事前に「イタリアとは関係ない、非白人の初の教皇か」って騒ぎ立ててた同じ人々(報道機関)が、「イタリア系の白人の教皇(ただし拠点は南米、それってすごいでしょ)」で騒いでいるのを見たら、教会そのものとは関係のないところで、「マスメディア」を生暖かい笑みで見守るしか対処のしようがないわけで。

ともあれ、アッシジの聖フランチェスコにちなみ、自身を「フランチェスコ」(まだ次の方が出てきていないので「1世」ではない。英語報道に多いのだがこういう基本的なことも踏まえない書き方は失礼)と称することにした新教皇は、アルゼンチンの人だ。ブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿 (Cardinal Jorge Mario Bergoglio)。76歳。南米から初、イエズス会から初の選出になるという。
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-21777494

で、CNNの日本語版の記事からだが:
http://www.cnn.co.jp/world/35029464.html?google_editors_picks=true
ベルゴリオ枢機卿は率直な人物として知られ、カトリック教会の中で最も保守性の強い派に属する。アルゼンチンでは同性婚や避妊具の無料配布に反対する立場から、フェルナンデス政権と対立してきた。

ブエノスアイレスでイタリアからの移民の家庭に生まれ、貧困層の代弁者として知られる。大司教時代も公邸ではなく集合住宅に住んで、運転手付きのリムジンは使わずにバスで通勤。食事は自分で調理していたという。


最初にこういう情報を(英文で)見たときには、「なるほど」と流したのだが、「同性婚や避妊具の無料配布」のような“アメリカ人にもわかる”対立点だけでなく、もう少し深い文脈があるのかもしれないと思ったのが、次のツイートを見たときだ。



ツイート主のジェイムズ・S・ヘンリーさんは米ニューヨーク拠点の調査ジャーナリストで、このツイートは(例によって)ギリシャのニュース・キュレーションの名手、アステリスさんからのRTで知った。

ツイートのリンク先は、「教会と独裁者」というタイトルのブログ。スペイン語で書かれているものを英語に機械翻訳(by Google翻訳)したURLだ。

Google翻訳のスペイン語→英語は、フランス語→英語ほどの精度がなく(スペイン語をまるで知らないので私には何がどうなってこうなっているのかはわからない)、特に接続詞と前置詞が連続している部分などが曖昧化されてしまい、意味が取れるか取れないかといったら「取れない」レベルである。

この「英文(もどき)」をベースに、何かを述べたり論じたり、考えたりすることは避けなければならない。

単に「イグレシア」=「教会」と単語を置き換えてくれているもの、程度に見るべきだろう。ここを手がかりに何かを調べることはできるもの、という程度に。

それでも、大筋でどういう話なのかは、ジェイムズ・S・ヘンリーさんのツイートにも助けられて、把握することはできる。




で、ヘンリーさんが「メイン・ストリーム・メディアは書いていない」と述べている点を取り急ぎ確認してみた。たまたまロイターの記事を開いていたのでその記事をざっと見たが、「政治的」な言及は下記だけのようだ(「民衆の反応」みたいなセクションは読んでいないので見落としはあるかもしれない)。
He is willing to challenge powerful interests and is deeply concerned about the social inequalities in Argentina and elsewhere in Latin America. He has had a sometimes difficult relationship with President Cristina Fernandez and her late husband and predecessor Nestor Kirchner.

Francis has spoken out strongly against gay marriage, denouncing it in 2010 as "an attempt to destroy God's plan".

太字にした部分は、「現政権、前政権との関係は時として難しいものだった」という意味。

このパラグラフ・ライティングだと、クリスティナ・フェルナンデス現大統領の政権も、その前のネストル・キルチネル(現大統領の夫、故人)の政権も「社会的不平等」を放置または拡大させた側であるかのように読めるが、その時点で「???」となる。ただし私はアルゼンチンについてはほぼ何も知らないし、かつてこのルモンド・ディプロの仏→日翻訳記事(2007年)などで「重要なポイントを整理し把握した」程度でしかないので、読むべき行間を読むことができていないのかもしれない。そもそも、クリスティナ・フェルナンデスの現政権のもとで格差が拡大しているのか縮小しているのか、みたいなことも、まるで知らない。だから何も判断できない。

ただ、この書き方では、上で見たCNNと同じく、「同性婚」をめぐって「現政権、前政権との関係は時として難しいもの」になっていた、というようにも読める。

というわけで、「お人柄を語るエピソード」(それは実際に興味深いし、おもしろい)を中心に、「情緒」、「感興」たっぷりで書かれたテクストがあふれかえっている中では、こんなふうな「曖昧な」テクストをもっと厳密に書いたものはないのか、ということを調べるのも、ほぼ無理だ(不可能ではないかもしれないが)。

……というところで、少し別の話題のヘッドラインを見るなどしたあとで、ふと、「さっきのスペ→英のテクスト内の固有名詞が手掛かりになるのでは」と思って検索してみたら、大当たりした。




Argentine Cardinal Named in Kidnap Lawsuit
April 17, 2005|From Associated Press
http://articles.latimes.com/2005/apr/17/world/fg-cardinal17

見出しにあるKidnapとは、アルゼンチン軍政下で、カトリックの司祭が2人、軍政側に拉致されたという事件のことである。枢機卿はそれに関連していると(メディア用語でいう)「指摘」されたわけだ。(この時点で枢機卿側は「昔の中傷だ」と反応していたそうだが。)

これで、ヘンリーさんがツイートしていた「新教皇とアルゼンチン軍政との関係」云々は、根も葉もない絵空事でもなければ、今さっき言われ出したことでもないということが確認できた。

ただし、上記APの記事は2005年のものだ。8年も前。この訴訟の結果はとっくに出ているだろう。

本気で調べようと思ったら、そこらへんから確認を始めることになる。

なお、ベネディクト16世が選ばれたそのときに、「昔はヒットラー・ユーゲントだった」という事実が「指摘」されていたかどうか、もう私ははっきりとは記憶していない。(ドイツの歴史に対してはポピュリスト的に厳しい)BBCなど英メディアでは最初っからそう書かれていた気がするが、はっきりとは覚えていない。それでも、退位なさったときにはその話は「人物の経歴の一部」としてほぼ必ず触れられていた(BBCやロイターなどを見る限り)。

アルゼンチンが最近まで苛烈な軍政下にあったことは事実であり、76歳で大司教という地位にある方がそれとどのような関係であったのかについては、楽観的な言い方かもしれないが、ほっといてもどこかのメディアが書くだろうとは思っている。



先日、アイルランドのマグダレン洗濯所についての政府報告書が出たときに「みなさん、ご存じのあの件の結論が出ましたよ」というつもりで洗濯所のことを書いたら、「こんなひどい施設があったなんて知らなかった」という反応を思っていたより多くいただいた。つまり、肝心の政府報告書のことよりも、その施設の存在が「ニュース」になってしまった。10年も前に映画になってたことなのに(それもかなり話題になった映画だ)。当方としては「え、そっからですか……」ということでかなり面喰ってショックを受けた。むろんそれはこちらの「想像力の不足」なのだが、何をどう書いたら何が伝わるのか、さっぱりわからない。コントロール不能の感覚だ。

なので、アイルランドについて把握している度合いを10とすれば、1にも満たないくらいにしか把握していないアルゼンチンの非常にショッキングなことを書くのは、非常にためらわれるのだが、「軍政」について言及した以上、それがどういうものであるか、説明とソースを示すくらいのことは最低限しておくべきだと思うので少し書く。といってもリンクと引用だけだ。

映画「ナイト・オブ・ペンシルズ」とアルゼンチン三万人の行方不明者
2000年8月   井乃上薫
http://homepage2.nifty.com/Zapatista-Kansai/PEN2.htm


この映画は、1976年にラ・プラタ市で実際に起こった事件を、パブロ・ディアスさんの証言をもとに作ったものである。残された行方不明者達は、後に海軍将校が告白したように、生きたまま睡眠薬を飲まされて飛行機から投げ落とされたり、銃殺されたりした。1983年に民政移管されてから現在に至るまで、各地の墓地から数百体の身元不明の遺体が発見されている。

 軍事政権成立から民政移管までの七年間にアルゼンチン全土でおよそ三万人が行方不明になっており、そのほとんどが最初の三年間に集中している。しかもその大半が14才から26才までの若者−つまり高校生・大学生である。軍当局は反政府活動を行ったゲリラの一掃を目的としたというが、大半はパブロたちのような非武力的改革を目指した学生グループや、左翼的思想を持つとおぼしき学生、もしくは何のかかわりもない学生や一般市民であった。

 ……軍政成立当時、左翼ゲリラによる活動が多発していたものの、国内は全面内戦状態にはなかったのである。いわば平時において一般市民に向けられた“疑わしきは根絶やし”の思想的ジェノサイドともいえる国家テロだったのである。

 アルゼンチンでは民政移管後、アルフォンシン大統領のもとで1984年に恩赦法が施行され、軍事政権期の犯罪は一切が不問に付されることになった。しかし98年10月のチリのピノチェト元大統領の逮捕で、南米の軍事政権下の犯罪を訴追する気運が高まり、ビデラやビニョーネ元大統領、マセラ元海軍司令官などアルゼンチン軍政期の責任者達が逮捕されるに至った。ただし、恩赦法によって軍政期の殺人・拷問に関してはもはや罪を問うことができないので、目下、政治犯として拘留されていた人々が出産した子供の誘拐罪と文書偽造罪で裁判が進められているのである。

 当時、誘拐された人々の中にはたくさんの妊婦がいた。彼女たちは産み月まで生かされて、子供が産まれると取り上げられ、殺された。この子供たちは軍人や軍人の友人に養子として渡されたり、外国に売り飛ばされたりした。

「子供が生まれると取り上げられ」たこと、それらの子供が「養子として渡されたり、外国に売り飛ばされたりした」ことは、アイルランドのマグダレン修道院(洗濯所)での出来事と共通しているが、別に「カトリック国だから」起きたことではない。昨年公開されたジム・ローチ監督の「オレンジと太陽」という映画は、英国が何をしていたか(そんなことしてたなんて、正直、私も知らなかった)を暴き出している。

アルゼンチン軍政下で出生時に誘拐された女性、実の両親判明
2008年04月25日 03:10 発信地:ブエノスアイレス/アルゼンチン
http://www.afpbb.com/article/politics/2382695/2863049

 海軍将校Policarpio Vazquez氏の娘として育てられた「Evelyn」さん(31)は、DNA鑑定の結果、イタリア人の母Susana Pegoraroさんと、ドイツ系の父Ruben Bauerさんの間に生まれたことが判明した。

 急進派の活動家だった両親は1977年6月、軍政下の弾圧で、軍独裁に反対する数千人とともに失踪(しっそう)した。


2012年7月6日金曜日
元アルゼンチン軍政首班ホルヘ・ビデラに赤子奪取で禁錮50年の判決
http://vagpress-salvador.blogspot.jp/2012/07/blog-post_06.html

▼▽▼亜国法廷は7月5日、軍政期(4代7年=1976~83年)に軍当局が組織的に若い両親を殺害して奪った赤子を軍人や警官らに与えた事件で、最初の軍政大統領ホルヘ・ビデラ退役陸軍中将(86)に禁錮50年を言い渡した。

▼拷問所として使われた海軍機械学校(ESMA=エスマ)を運営していた海軍の長だったオスカル・バニェク退役提督に40年、ESMA諜報部長だったホルヘ・アコスタに30年、サンティアゴ・リベロ退役将軍に20年の判決がそれぞれ下った。軍政最後の大統領だったレイナルド・ビニョーネ退役将軍(85)は15年だった。

▼赤子をもらいうけた夫婦の夫には15年、妻には5年が言い渡された。

……


アルゼンチン=軍政時代の虐殺の証拠出現=聖州でも真相究明委員会発足
(ブラジルの)ニッケイ新聞 2011年12月17日付け
http://www.nikkeyshimbun.com.br/nikkey/html/show/111217-23brasil.html

 軍政時代(1976〜83年)のアルゼンチンにおける政治犯虐殺を示す証拠が次々に出現したと、15〜16日付エスタード紙が報じている。

 15日付エスタード紙によると、同国北部トゥクマン地方にある陸軍の古い武器倉庫の溝の中から15体の遺体が発見された。15人のうち1人は元上院議員であることが判明したが、死体の一部はバラバラにされ、燃料をかけて焼かれたものもあったという。

 また、16日付同紙によると、米州人権委員会(CIDH)がアルゼンチンのセルジオ・トーレス連邦判事に15日、軍政時代にアルゼンチン空軍が行った「死の飛行」の模様を収めた130枚の写真を提出した。

……


こういう背景のあるアルゼンチンからの「歓喜の国際ニュース」と、粛清というか思想的ジェノサイドという点でこのアルゼンチン軍政による国家テロをもしのぐことを行なったカンボジアのクメール・ルージュの中心人物の1人であるイエン・サリの死亡のニュースが同じ画面にある、という皮肉。しかも間にはさまっているのは中国の新指導者のニュースだ。

※以上、引用文中の強調は引用者による。また、ウェブ画面での読みやすさのため、改段落には改行を補った。



Update:
新教皇とアルゼンチン軍政の暴虐との関係
http://matome.naver.jp/odai/2136334696207305301


英語圏でもこの「問題」が大きく報じられた翌日、ヴァチカンが声明を出した。

Vatican denies Dirty War allegations against Pope
15 March 2013 Last updated at 15:01 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-21802684

※この記事は

2013年03月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 14:30 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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