「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年03月08日

英語での情報収集のために。

ざっくり言って、日本で生活をするのなら、英語はしゃべれなくたって構わないと思う。ただ、英語で書かれたものを見て、必要な情報を得ることができないと、端的に言えば「視野が狭くなる」。

本来、普通に「進学校」と呼ばれるような高校を卒業している程度に英語についての知識があれば(「英語力」じゃないよ。アルファベットの読み方とか基本的な文法とか……最近、ほんとに文法教えないから「文法」という用語が通じるかどうかわからんけど)、英語で情報を得ることはさほど難しくない。でも何か知らないけど、ほんっとに、英語で書かれたものを読むということをするというだけで、異様なものを見るような目で見られることもある。大げさに表記すると、「えーっ、ペーパーバックをすらすら読んじゃうんですかーっ。すごいですねーっ。英語ペラペラなんでしょう」みたいなの。

うんざりです。(笑)

というわけで:

【ケーススタディ】英語圏のニュースをざっくりと追ってみるときの流れ
http://matome.naver.jp/odai/2136261113762953201


あるニュースがたまたま目の前で展開したので、それを書き留めてみた。非常に痛ましいが、非常にわかりやすいニュースだ。特に前提知識などは必要ないし、高校生でも英語は得意科目ですと言えるくらいの人なら、余裕で流れを追っていただけるのではないかと思う。

以前、今はもう削除されてしまった誰か他人のブログで、「英語が使えればその分楽しくなる」というエントリがあって、私はそれに非常に共感した。

(一部の「産業」が脅してるように)必須ではないけど、あるとないとでは大違いだ、という存在。もこみちレシピのオリーヴオイルみたいな。その程度にユルく見ていた。

でも、東日本大震災以降、「英語は使えないと、困ったことになる」んじゃないかと思う機会が増えた。

具体的には、「ヒラリー・クリントン国務長官が、日本は【"デマ"の再生産はしたくないので伏せる】国家であると述べていた」などという事実無根と思われる情報を聞かされたときに信じ込んでしまうなど。そんなことを聞かされ、「口から出まかせの嘘だな」などと思うことができなければ、心理的負荷が異様に高まる(場合によっては「病気になる」)。

というわけでときどき、「ものっすごい基本」みたいなことを書いていけたらと思う。

※この記事は

2013年03月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 15:00 | TrackBack(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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