「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年03月06日

ベネズエラ、チャベス大統領死去

【訃報】ベネズエラ、ウーゴ・チャベス大統領死去(英語圏の報道のメモ)
http://matome.naver.jp/odai/2136252064146230401


Twitterでニュースがbreakした瞬間(ロイター)をたまたま見ていたので、そのあと、一気に広まってTLがこのニュース一色の状態になったあたりを「まとめ」てある。

しかし……

いや、こういう人のニュースをTwitterで見てても、疲れるだけで、別に得るものはない。いや、得るものはありました。(ある程度は)詳しい人々が「この記事はいい」といって勧めてくれる記事があるので(New Yorkerのオビチュアリ。あと、ガーディアンのも評判いい)。

でも、そうやって「読んでよかった」と思えるもの<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<「個人のボヤキ」をやたらと読むことによる疲れ、なんですよ。

特にアメリカ人。情報偏り過ぎ。(ほんと、アメリカはインテリ階級からして「わが国」が「攻撃される」ことに慣れていないし、「批判される」こと、「相手がこちらの望んでないことをする」ことはすなわち「攻撃される」ことだと受け取ってるんだな、というのがよくわかった。というか「またか」なんだけど……。8歳児か、みたいな。)

「悪魔化」というのがどういうことなのかがよくわかる事例ではあるのですが、疲れました。

チャベスはこの3年くらいはひどくパラノイアになってていろいろとトンデモになってた。もう少し時間があったら、たぶん「権力を死守する」方向に行ってただろう。前回の選挙、2012年の10月だっけ11月だっけ、あれはチャベスにしてはきわどかった(55対45くらいの比率で勝った)。そこにパラノイアが巣食う余地がある。

死亡の発表の直前の副大統領のスピーチでも、「あんなに健康体だったのに、病気になったのは西側の陰謀」という例の説(昨年12月にキューバに治療に行ったときには既にこの説を流していた)が繰り返されていて、何というか、もう……。

で、チャベスは「がん」だったというのは公表されているのだけれども、どのようながんだったのかは最高機密だそうです。キューバの病院の、フィデル・カストロの医療記録と同じ棚に入ってるらしい(ガーディアンのロリー・キャロルの記事より)。

だから「胃がん」なのか「肺がん」なのか、「食道がん」なのか「脳腫瘍」なのか……といったことは、わからない。ふつう、亡くなったら公表されるものだけど。

なお、英国のディプロマシーはなかなか味わい深い状態で全開ばりばりです。詳細は:
http://matome.naver.jp/odai/2136252064146230401

※この記事は

2013年03月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:50 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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