「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年02月16日

flickrでのご縁で、ついに私がスラオさんにデビューした。

slugger.jpg

バレンタインデーに、ついに私がスラオさんデビューしたことを、ここでもお伝えしておくべきだろう。
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/somebody-loves-us/

話せば長い。事の発端はFlickrである。

私はいろいろと成り行きでOnly in Japanというグループの管理人(サブ)をしている。といっても最近はFlickrから遠ざかっていて、グループも放置状態である。サブの管理人の私が放置しているだけなら問題なさげなのだが、メインの管理人も蒸発状態で、さらにはスパミングが発生するなどグループは混乱を極めているのに誰も何もせず(私は自分のグループでもないのに削除人になるとかいう考えは毛頭ない。言葉がなくても写真が語れるflickrでは根本的に「やりたいようにやれば」主義でいいと思ってるし)、あたしゃメインの管理人に何度か連絡しているんだが反応がなく、しょーがないので私が削除人という憎まれ役を引き受けており、それにより9000枚以上に及ぶグループの写真に目を通すという作業を余儀なくされている。(といっても全部はとてもじゃないが見られないが。)(というわけでこっちのブログが更新できません。コメントへのお返事も遅れてます。すみません。)

そのような折、一枚の写真を見たのである。東京の高尾山で撮影された、「変な英語」のTシャツの写真だ。前に見た記憶はあるが、そのときにはメインの管理人は復帰しとらんのかとグループの様子を見るためにサムネイルでざーっと見ただけであった。

が、今回、グループ・プールの整理かたがたよく見てみると、「高尾山で見られる動植物」の看板を背に、高尾山の彼のTシャツに堂々と書かれていたのは・・・
I (apple?) NI.

NYではなく、NI。これはNorthern Irelandに間違いない!!

というわけで、スラオさんのミックにタレこんだのである。2月14日に。バレンタインデーに。

かくして、2007年2月14日は、私のSlugger O'Tooleデビュー記念日。北アイルランドにいるわけでもないのに。それどころか行ったこともないのに。(笑)

で、スラオさんのミック(彼もまたflickrユーザーである)は、Sluggerに記事を立てただけでなく、写真を撮影した人に「北アイルランドのグループ・プールにも投稿をぜひ!」と頼み、写真を撮影した人は、わけわかんないかもしれないけど、なぜか高尾山で謎のTシャツを着た男性の写真を「北アイルランド」のグループ・プールに投稿するという偉業を成し遂げた。(いやほんとすいません。)

すばらしい。カレン・ロバートに体現される日本と北アイルランドの親善は、ついにここまで広がったのである! 今後、FlickrのNorthern Irelandのプールを訪れる人は、この記念すべき日のことを胸に刻んでおいてほしい。

あー、しかしこの写真、何度見てもおかしい。(笑)
撮影者さん、GJです!

* Slugger O'tooleでのコメント:
大阪、2006年4月1日

小野ちゃんは小学生、学校でレポートの課題を与えられた。課題は「私が北アイルランドを愛する理由」だ。彼女はお父さんに訊いてみた。お父さんはたんすを引っかき回した結果の物品を持ち寄るようなチャリティ・バザーでTシャツを買ったのだ。

「北アイルランドを愛するとは!」とお父さんは叫んだ。「あんな血なまぐさいギャング連中とか、宗派別の暴力に明け暮れるアホとか、口先だけの政治家とか、食うだけ食ってろくなもんじゃないよ、まったく。愛せるわけがないじゃないか」。

というわけで、小野ちゃんは今度はお母さんに同じ質問をしてみた。「北アイルランドを愛するのはなぜか、と言われてもねぇ」とお母さんは少し考え込んだ。

そしてお母さんは、「あんな変な国、愛せるわけがないじゃないの、ねぇ」と小野ちゃんに言った。

家族の誰に訊いても、誰も北アイルランドのことをよく言わない。猫でさえもだ。

というわけで、次の日、彼女は学校の歴史の授業で、誰よりも短いレポートを提出したのだった。

「私は北アイルランドを愛しています。なぜなら他には誰も愛していないからです。」

バレンタインデーだってのに、おまいらにはチョコもカードも何もなし。にやり
Posted by Greenflag on Feb 14, 2007 @ 04:29 PM

続けてsusanさんは「Tシャツの胸のマークは『はぁと』なのだろうか。自分にはターゲット・マークに見える」と言い、次のJustinさんは「このTシャツ、絶対Falls Roadで買ったんだよな」と言い(Falls Rdはリパブリカン、特にIRAのハートランド)、次のPaddyReillyさんは「この人の外見から判断すると、北アイルランドじゃなくて『アルスター・フライ』が好きなんじゃないの」と言い、次のDonnachaさんはsusanさんに答えて「ターゲットじゃなくてオレンジだ。いずれにせよ、これら2つは入れ替え可能という人もいるだろうけど」と言う。(オレンジはユニオニスト側のこと。)

みなさん、口が達者です。正直、感動しました。

お礼までに、カレン・ロバート(ジュビロ磐田/U-22日本代表)のことをカキコしておこうと思います。(お父さんが北アイルランドの人なんだよね。)

※この記事は

2007年02月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 06:44 | Comment(4) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この「高尾山の男」のTシャツについて、何かご存知の方がいらしたら、ぜひ教えてください。北アイルランドの人たち@スラオさんコメント欄がほんとに知りたがっています。
http://flickr.com/photos/ceephax303/99722340/

私としては、I (LOVE) NY. の間違いだと思うのですが、胸の丸いのがターゲットマークのように見えるとかいうのがほんとに強烈なようで、これは私の目には「図案化されたりんご」に見えるのですが、真ん中の「穴」が謎なんです。
Posted by nofrills at 2007年02月16日 09:08
お〜!nofrillsさん、ついにスラオさんデビューしちゃいましたか!おめでとうございます(…でいいんですよね?!)

それにしてもこのTシャツ、ものすごく欲しいんですけど。よく見ると「NI」の後のドット(?!)が何かの形になってるような…?う〜ん謎。何が言いたい?!一体何を訴えようとしているのかこのTシャツは!見れば見るほど欲しくなります。

Posted by TR at 2007年02月18日 21:41
http://www.flickr.com/photos/ceephax303/

いま、I ? N.I.の写真のNew バージョンをアップしました。興味があれば、ご覧下さい。

では。
Posted by Airo at 2007年02月25日 00:23
>TRさん
うへへへ。。。(*^ ^*)

>Airoさん
これはこれは、わざわざありがとうございます!

・・・とりいそぎですみません。
Posted by nofrills at 2007年02月26日 17:59

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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