「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2007年02月10日

Banksyとユリ・ゲラーを結ぶ点と線(?)とテイトでの展示

Banksyがキャンヴァスにアクリル絵具で描いた作品、"Bombing Middle England" がサザビーズでのオークションで£102,000で落札された。彼の作品では最も高値。
Record price for Banksy bomb art
Last Updated: Thursday, 8 February 2007, 09:50 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/6340109.stm

これを受けてBanksyは自身のサイトで、"I can't believe you morons actually buy this shit."(「まさかほんとに買う奴がいるとは信じられません。プ」)と喜びのコメントを出している。
banksy-sothebys.jpg

一方で、ブリストル(Banksyの出身地)では、3年前に彼がペイントした壁が家付きで売りに出されているそうだ。
http://arts.guardian.co.uk/art/news/story/0,,2007630,00.html

家の持ち主は、これまでにも売却の話はあったが、買い手が壁は塗りつぶすというので断ってきたという。よって今回は壁を売りに出し、家はおまけ、ということにしたのだそうだ。

この「壁売ります。家付き」はなかなかスパイスの効いたいい話なのだが、最近Banskyというと「セレブが買いたがる」とか「オークションで高値」とかいった話が多くてちょっとつまらん。。。と思いかけて、TATEのあれのことを思い出した。

「TATEのあれ」というのは、TATE BRITAINでの "State Britain" という展示のことだ。パーラメント・スクエアでのBrian Hawの抗議行動のプラカードを、Mark Wallingerというアーティストが再現したもの。1月の終わりから始まって8月の終わりまでやっている。入場無料。
http://www.tate.org.uk/britain/exhibitions/wallinger/default.shtm
http://arts.guardian.co.uk/art/visualart/story/0,,1991719,00.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/6264311.stm
http://www.indymedia.org.uk/en/2007/01/359983.html
※ガーディアン記事にはスライドショーへのリンクがついてます。

Brian Hawは、2001年6月から「イラクへの経済制裁」、およびその後の「イラク戦争」に抗議して、国会議事堂のまん前のパーラメント・スクエアで座り込みを続けている男性。大量のプラカードを据え付け、スクエアにテントを張って、この5年半のあいだ、そこに居続けている。
http://www.parliament-square.org.uk/

Flickrに上がっているブライアン・ホーのポートレイト:
Anti-war protester by bsk
* a CC licensed photo by bsk, Taken on July 16, 2004

Brian Haw by lewishamdreamer
* a CC licensed photo by lewishamdreamer, Taken on April 12, 2006

2005年、「国会議事堂から1キロ内での無許可集会等を禁じる」などの条項を含むthe Serious Organised Crime and Police Act(重大犯罪・警察法)を制定したあと、英国政府は、この「座り込みおじさん」を排除しようと法的手段に出たが(今回の展示のあるテイト・ブリテンも、「国会議事堂から1キロ内」に部分的にかかっている。それも取り込んだ展示となっているようだ)、司法は「法律をさかのぼって適用することはできない」と判断、ブライアンの勝訴となった。しかしその後もブライアンと警察の「バトル」は続いている。特に大きく報じられたのは、2006年5月、警察が夜討ちをかけ、パーラメント・スクエアのプラカードを勝手に持ち去った「事件」だが、このときに持ち去られたプラカードのなかには、Banksyが描いたものが2点あった。


*a CC licensed photo by Seb*[Non Monsieur!], Taken on May 9, 2006

警察が勝手に持って行ったときにも既にBanksyは「作品に値段がつく有名アーティスト」になりつつあったと思うが、現在ほど高値ではなかったと思う。あのプラカード、どこでどう保管されてるんだろうか。

問題の本質は「誰が描いた(から貴重だ)」とかいったことではないにせよ、あのプラカード、市場で売り買いされる値段ということでは、ものすごいことになっているはずだ。警察がブライアンのところから勝手に持って行ったのは財産権の侵害、それも相当の金額。もし「うっかり廃棄」とかになってたら・・・。

とか思って何となく記事を検索してみたら、6日付けインディペンデントのPandraというコーナーに、こんな記事が出ていた。

How the Old Bill beat Uri to Haw's £5,000 placard
By Oliver Duff
Published: 06 February 2007
http://news.independent.co.uk/people/pandora/article2241429.ece

いわく、Banksyからあのプラカードをプレゼントされたブライアン・ホーと、警察と、ユリ・ゲラーの3者で、あのプラカードを取り合っているという。

何でユリ・ゲラーが出てくるのかよくわからないのだが、2006年5月に警察が勝手に持ち去る前に、ゲラーは「ピース・シンボルを描く2人の兵士」のプラカードを買いたいと言っていたのだそうだ。ゲラーいわく、「私は兵器というものには反対していますので、車でブライアンの側を通ったときにあの絵を見て即座に車を止め、スクエアの芝生の上を走って行って、譲ってもらえないかと頼んだんです。£5,000でどうだろうか、と。今でも手に入れたいですよ。警察からあの絵を出す手段があるのなら、出したいですね」。

一方のブライアンはゲラーのことを「ずうずうしい奴(cheeky boy)」と言っている。「ある晩突然やってきたのだが、顔を見ても誰だかわからなかったので、目の前でスプーンを曲げてユリ・ゲラーだと証明してもらった。スプーンは曲がったよ。サインもしてもらった。でもコーヒーをかき回すのに使ってきたから名前は消えちゃったけどね。もし名前が消えてなかったら、eBayに出すんだけど」。

・・・そんな、テレビのバラエティ番組の台本のようなことがほんとにあったとは。

ブライアンまた曰く、「売り物じゃないと言っているのに、ユリ・ゲラーはあの絵が欲しいと言ったんだ。£1,000でどうか、と。相当イライラしてたなあ。今じゃあ、あの魔法の手でもうちょっとゼロを書き足さないと足らないだろうけどね。いずれにせよ、あの絵は警察が勝手に持って行ったんだ」。

なお、Banksyはブライアンのために新たにプラカードを描こうとしているらしい。ピンクのハート型の絞首刑用の縄だそうで。



Banksyの「作品」の画像、彼のサイトで高解像度で無料ダウンロード可能です。何でも、彼の作品を高解像度で印刷してeBayで高値で売るという行為が横行しているらしい。
http://www.banksy.co.uk/shop/

1844137872Wall and Piece
Banksy
Century 2006-11

by G-Tools


0954496000Cut It Out
Banksy
Weapons Of Mass Disruption 2004-12-14

by G-Tools


0955471206Banksy Locations and Tours
Martin R. Bull
Shell Shock Publishing

by G-Tools

タグ:Banksy art Brian Haw

※この記事は

2007年02月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 09:49 | Comment(3) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ども。夕べ、チャンネル4で political award 2007という政治家賞番組がありまして(なんとゴールデンタイムの晩7時10分から1時間)、政治家でない一般人部門の most insupiring political personality of the year をブライアンが受賞しました。ブライアンは授賞式の会場に来てまして、パーラメントスクエアのかれのプラカード(現在幅3メートルのみ。森住さんの写真もあります)前には、(警察による不当な介入に備えて?)チャンネル4が用意したセキュリティガードが立っておりました。
Posted by 在英のチコ at 2007年02月12日 06:01
ども。Channel FourのMost Inspiring Personみたいなのの話は、このエントリを書いたときにブライアンのサイトで見かけました。現在の幅3メートルの写真も、Flickrで見つかりますね。He's very much alive. という感じでよかったです。(^^)
Posted by nofrills at 2007年02月16日 08:16
ブライアン・ホーさんの看板類を再現した作品で、Mark Wallingerが今年のターナー賞を獲得しました。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/7124575.stm

今年のターナー賞候補は、先進国の深刻ぶったポストモダン的悪ふざけみたいなものではなく、もっと「わかりやすい」メッセージ性のあるものが多かったみたいです。Zarina Bhimji とか。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_pictures/7050583.stm
Posted by nofrills at 2007年12月04日 11:39

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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