kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年01月25日

【リトビネンコ事件】22日にITVが放映した「インタビュー映像」について。

リトビネンコの著書(共著)の再発についてのエントリのコメント欄で教えてもらったのだが、月曜日、BBCが「リトビネンコ関連番組」の2本立てを行なった日に、ITVが「リトビネンコのインタビュー映像」を放送したそうだ。

「インタビュー(interview)」と言っても、その映像はメディアの取材の「インタビュー」ではなく、イタリアの検事/検察官による「審問」の映像である。つまり「資料テープ」。「メディアの取材」ではないので注意。

Litvinenko footage emerges
9.47, Mon Jan 22 2007
http://www.itv.com/news/index_de20839cb1d32bc0891bbbd13c6a4c1e.html
Footage has emerged showing Litvinenko being interviewed by an Italian prosecutor in February 2006, months before his apparent assassination in London.

大意:
暗殺と思われる事態で死亡する何ヶ月か前の2006年2月、イタリアの検事/検察官によって審問を受けるリトビネンコの映像である。


この映像がこれまで明らかにされていなかったのは、リトビネンコ本人の意向による。

In the interview, Litvinenko said he feared for his life and wanted the recording to remain secret because fellow officers, including Anatoly Trofimov, had been murdered.

大意:
この中でリトビネンコは、アナトリー・トロフィモフを含む元FSB職員が殺害されているために生命の危険を感じており、録画映像は秘密にしておいてほしいと語っている。


映像の中でリトビネンコが何を語っているのかは後回しにして、彼が「生命の危険を感じている」と語っていることの根拠の点からいこう。1点目は「アナトリー・トロフィモフ」の件、2点目は家族への脅迫。

■アナトリー・トロフィモフ
「アナトリー・トロフィモフ」という人名は、私が記憶している限り、この事件でこれまで言及されている記事などは私は見ていないが、英語版ウィキペディアに項目が立っている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anatoly_Trofimov

英語版ウィキペディアによると(以下、大意)
アナトリー・トロフィモフはFSB副長官を引退した人物で、2005年4月に正体不明のガンマンによって、モスクワ北部の自宅近くを車で走行中に銃撃され死亡した。車には夫人と4歳の娘も同乗していた。夫人もまた銃撃で負傷し、死亡した。娘は命に別状はなかった。

トロフィモフは旧ソ連のKGBで捜査/調査部局(investigation department)の副部長を務めており、そのときに、Sergei Kovalyov, Gleb Yakunin, Alexei Smirnov, Yuri Orlovといった反体制派についての捜査を監督していた。

その後、FSBの副長官となり、モスクワ地区の責任者(head of service)を務めたが、1997年に連邦主計局(?federal accountants)の「職務違反および不備」の調査の後に、当時のエリツィン大統領によって解職された。ロシアの新聞Kommersantによると、トロフィモフは、エリツィンの選挙運動での資金不正疑惑の調査を指揮していた。

2006年、英国選出の欧州議会議員(MEP)のジェラルド・バッテン(UKIP所属)が欧州議会で、トロフィモフがアレクサンドル・リトビネンコに対し警告していたと述べた。いわく、イタリア政界にはKGBのエージェントが多くおり、中道左派のイタリア首相で前の欧州委員会委員長のロマノ・プロディは「イタリアにおける我々の手の者(our man in Italy)」である、との警告だ。ブリュッセルの新聞EU Reporterの2006年4月3日の記事によると、「このほかに、在ロンドンの元KGB工作員が、この話は事実だと述べている」。

しかしこの話はその後「根拠のない醜聞」であるとされてきた。つまり、2006年のイタリアの選挙運動の期間中に、ミトロヒン委員会の委員長、ベルルスコーニ首相(当時)のもと、グッツァンティ上院議員(フォルツァ・イタリア党)とマリオ・スカラメッラによって、でっち上げられたものであるというのである。

在ロンドンの元KGB大佐、オレグ・ゴルディエフスキーは、ローマの新聞La Reppublicaの2006年12月7日の記事で、ゴルディエフスキー自身がリトビネンコの話が事実だとしたことは一度もない、と明言している。それどころか、ゴルディエフスキーは、2006年4月にはトロフィモフは殺害されており、プロディに対するリトビネンコの話について何も言えなかったのだから、リトビネンコの話がどこまで真実に即したものなのかも疑わしい、と述べている。なお、スカラメッラは2006年12月にロンドンからナポリに戻ったところで逮捕され、主にプロディ首相に対する誹謗中傷作戦の関連で取り調べを受けている。

リトビネンコはトロフィモフと個人的に知り合いであり、メディアに対し、トロフィモフ殺害は政治的暗殺に間違いないと考えている、と語っている。また、リトビネンコが言うに、トロフィモフはチェチェン戦争にもプーチンのFSB長官任命にも反対していた。リトビネンコ自身もまた、2006年11月に、謎めいた状況の中で死亡した。

あれこれ政治的主張が入り組んでいると見ておくべき件ですが、出てくる人名が多いんで整理。

トロフィモフがかつて調査していた反体制派:
Sergei Kovalyov(1930〜)
http://en.wikipedia.org/wiki/Sergei_Kovalyov
1969年にソ連で最初の人権団体を設立。1974年に逮捕され強制労働。ゴルバチョフのペレストロイカでモスクワに戻る。サハロフ博士も彼の活動を認めている。1994年からチェチェン戦争に反対を公言。エリツィン政権もプーチン政権も批判。2002年、1999年のモスクワのアパート連続爆破事件(リトビネンコが「FSBの仕業」と主張しているもの)についての調査を求める活動をはじめたが、メンバーのセルゲイ・ユシェンコフが殺害され、ユーリ・シュチェコチヒンがタリウムを盛られ、法務相談役で調査担当のミハイル・トレパシュキンが逮捕されて活動ができない状態となる。

Gleb Yakunin(1934〜)
http://en.wikipedia.org/wiki/Gleb_Yakunin
60年代、70年代とキリスト教徒の立場から思想・信教の自由を訴えてきた。当局に逮捕され、1980年に有罪判決、投獄、強制労働。ゴルバチョフのペレストロイカでモスクワに戻り、司祭として活動。1990年議員に当選。1991年に名誉回復。

Alexei Smirnov
http://en.wikipedia.org/wiki/Alexei_Smirnov
「ニュートリノ物理学」の人ということしかわからない。

Yuri Orlov(1924〜)
http://en.wikipedia.org/wiki/Yuri_Orlov
核物理学者。1956年に人権活動によりモスクワの研究所での仕事を失い、アルメニア(当時ソ連の一部)で事実上の亡命生活。1973年にモスクワに戻り別の研究所での仕事を始めるが、サハロフ博士やソルジェニーツィンへの支持を公言、1976年には「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」を設立。1977年に逮捕、強制労働。1983年、オーストラリアの蔵相がアンドロポフ議長にOrlovの解放を求めるも無視され、1986年にソ連市民権を剥奪の上で解放、ソ連のスパイとの身柄交換で米国へ。以後、コーネル大で物理学研究。現在も在米。

「トロフィモフが、『イタリアにはKGBがいっぱいいる』とリトビネンコに警告した」と欧州議会で述べたジェラルド・バッテン:
http://en.wikipedia.org/wiki/Gerard_Batten

この人については前に書いたんですが(@2006年11月21日)
ジェラード・バッテンは1954年生まれ、UKIP (the United Kingdom Independence Party: 反EU、反移民のアレゲな政党)の創設メンバーのひとり。
http://en.wikipedia.org/wiki/Gerard_Batten
うわー、Wikipediaでdeleteされそうだー。なので本人の公式サイト。
http://www.gerardbattenmep.co.uk/
ロマノ・プロディのことを「ソ連のスパイ」と言っている。筋金入りって感じですね。で、「プロディはスパイ」説の元が、リトビネンコ。

「プロディはKGB」説の出元がバッテンなのか、リトビネンコなのか、私にははっきりわからなくなってきました。。。最初はバッテンがリトビネンコに「プロディはKGBじゃないのか?」と水を向けた、とも考えられる。(理論上。)そのへんは、ウィキペディア程度じゃ全然調べられないね。

■リトビネンコの家族への脅迫
2006年2月のイタリア検察のインタビュー(審問)を発掘して2007年1月に放送したときのITVの記事によると:
Litvinenko also said he and his family were enemies of the people in Moscow.

He added: "First, the Russian secret services wanted to imprison me. Then I was threatened with the murder of my six-year-old son.

"My friend and his wife were shot dead at the entrance to their house. Since then my persecution has become more intense - a bomb was thrown through my window.

"I am being persecuted."

大意:
またリトビネンコは、彼自身も家族もモスクワの人々の敵であると述べている。「第一に、ロシアのシークレットサーヴィスは私を投獄したがっていた。次には私は6歳の息子を殺すぞという脅迫を受けた。私の友人とその妻【=トロフィモフ夫妻のこと】も玄関先で射殺された。それ以来私への追及はいっそう激しくなっている。家に爆弾が投げ込まれたこともある。私は追及されている。」

話の流れとしては、「だからこのフィルムは内部資料にとどめてほしい、明らかにしないでほしい」ということだと思う。

なお、「家に爆弾」というのは2004年の夏に火炎瓶が乳母車で玄関に持ってこられたとか、2004年10月にザカーエフとリトビネンコの家に火炎瓶が投げ込まれた(<ジョニー・デップが映画化するらしいデイヴィッド・サッターのレポート/ガーディアンにはJulia Svetlichnajaの文章)とかいったことだろう。ザカーエフが「2003年に」と語っている記事もあるけど、1回ではなかったのかな。

そこまであからさまに脅され、それが「ロシア側からの脅し」だと本人は確信していて、しかもザカーエフという「ロシアの敵」の隣(か向かい)に住んでいながら、警備は特につけていなかったというのがいまひとつよくわからないのだが(夫人はhe never try to be extra protected, like camera or special bodyguard. And he every time felt very safe in London, and he was very happy here.と述べている@BBC, Panorama, 22 January 2007。つまり「カメラも身辺警護もつけていなかった」し「ロンドンでは安全だと感じていた」)。バグラーアラーム(防犯ベル)くらいはあったのかもしれないけど(マズウェル・ヒルならそのくらいは当たり前、周囲から浮かないと思う)。・・・というか、夫人のこの発言は、コンテクストから抜き出されたもののようにも見えるし(本来、Outspoken exile who lives in constant fear、つまり「常に怯えて暮らしていた」といった書かれ方に対するものではないかと)。

家には火炎瓶が投げ込まれ、本人は「私の生命はおびやかされている」と言いつつ、ロンドン北部のそこそこリッチな住宅街の家に防犯カメラもつけず、妻と幼い子供と一緒に暮らす・・・しかも本人、亡命ロシア人(犯罪者として手配されていた)で、英国のPMC(RISCとかTitonとかErinysとか)とも仕事で関係がある。もうちょっと説明があれば納得できるところかもしれないが。

まあいいや。ITVが発掘して放映したイタリア検察の資料テープに戻ろう。

その中でリトビネンコは次のように述べているという。
Litvinenko said: "When the Russian secret services want to promote their own people in power, they may use terrorist methods.

"In fact in politics, the main method they use is terrorism - like the bombings of apartment buildings in Moscow or the poisoning of the presidential candidate in Ukraine."

大意:
リトビネンコは次のように述べた。「ロシアのシークレットサービスが自分たちの一員を権力の階段をのぼらせるときには、テロリストの方法を使うことがある。実際、政治においては、彼らが使う主な方法はテロリズムである。モスクワのアパート爆破や、ウクライナの大統領候補【=ユーシェンコ】に毒を盛った例のように。」

このビデオの内容(「プロディはKGB」説についての聞き取り)から考えると、この発言は枝葉の部分だと考えるのがよかろう。で、内容は「いつもの主張」に過ぎない(<言葉が悪いけど許してください)。

なお、「プロディはKGB」説については、ITVの記事には書かれているけれど、私は個人的に飽き飽きしているんで割愛。この話はどれを見ても同じである上に、証拠がないから、単なる読み物としてもまったく魅力なし(おもしろくもなんともない)で、本当に見るのもうんざりです。



1999年のアパート爆破事件が実はFSBの仕業だった、というリトビネンコの主張は、英語版ウィキペディアのLitvinenkoの項にソース添えて書かれています。個人的には、あれが実はFSBの仕業だったとかいうのも別に驚かないし、ウソだとも思わないです。Provisionl IRA/Real IRAとKevin Fultonのような例もあるし。

ただ、リトビネンコの言っていることがすべて正しいとも思えない。リトビネンコ自身が見たり聞いたりしたことを書いたり喋ったりしているものはある程度は信頼できるのだろうとは思うけれども、自身が直接知らないことについて推測をする段になると、この人の言っていることは相当にめちゃくちゃです。(例えば2005年7月7日のロンドン連続爆破のときに、彼は「FSBが背後にいる」と言っていた。このときの具体的な発言は、私としては「9-11は米国政府の自作自演」という説と同程度にしか信頼できませんが、アイマン・ザワヒリらアル・カーイダの連中がロシアで訓練を受けていた、という内容。)

ついでに書いておくと、この人、「世界のテロ」を語るわりには、1990年代前半のIRAのことは知らないみたいだし、でもショーン・ガーランドのことは知ってるようだし(<どこまで知ってるのかは知らんが)、だからショーン・ガーランドのことは話に出てくるんだけど、何というか、事実を確認する前に結論を決めて物を言っているような印象を強く受けます。もっとはっきり言ってしまうと、よく知られているキャッチーな人名を並べて「みんな、KGB/FSBが訓練していた」と言っているだけじゃないか、と。

(「IRAは地域限定のテロだから」とか言わないでね。それを言い出したらショーン・ガーランドはどうよ、という話。)

※この記事は

2007年01月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:02 | Comment(2) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 以前の記事にご返事できないですいません、「欧州情勢は複雑怪奇」そのもの状況ですね。個人的には、連邦を解体して、ゴルバチョフを失脚させた(主犯はエリツィン)のを容認した(ブッシュ父とライス)のが全ての誤りの元だとして短絡してしまうのですが。

ちなみに、ハイナー・ミュラーがバイロイトで「トリスタンとイゾルデ」を上演した時、ゴルバチョフが見に来て、卵が二人のほうに投げられたのですが、ミュラーはひょいとよけたけれど、ゴルバチョフには見事に当たったのを印象深く憶えています、10年以上前でおぼろげなのですが。
Posted by N・B at 2007年01月26日 09:57
>N・Bさん
どうもです。以前の記事のこととかはどうぞお気になさらずどうぞ。

> 「欧州情勢は複雑怪奇」そのもの状況ですね。

それぞれに思惑があって、その歯車が噛みあっていなかった(変な風に噛みあってしまった)のだろうな、と思います。

親戚が一昨年、パックツアーでサンクト・ペテルブルクに行ったときに、市街はそりゃもう豪華絢爛なのだけど、オプショナルツアーで移動するときに少し外に出たら「まるで違う」とびっくりした、と言ってました。(そういうのはロンドンなどでもあるのですが。)

ゴルバチョフは今、ニューヨーク・タイムズにレギュラーで書いていますね。先日、ガーディアンのComment is Freeで知ったのですが。
http://nofrills.seesaa.net/article/31666395.html
Posted by nofrills at 2007年01月27日 01:15

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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