「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年01月20日

アイルランド語でアイルランドを旅してみたら……その2

さて、立て続けにアイルランド語についてのエントリになってるんですけど(これではまるで「アイルランド語強化月間」。おかげで1と2と3は覚えたが)、15日のエントリ、「アイルランド語でアイルランドを旅してみたら……」の続き。

アイルランド島をアイルランド語だけで旅して回るMaganさんのルポ、No Bearla(No English)の第2回放送分が上がっているのを先日見つけた。今度は英語字幕つきなので、私にも理解できる。

さて、前回ダブリンの街で「普段の生活でアイルランド語を使おうとする人はほとんどいない」という事実に直面したレポーターのManchán Maganさん(アイルランド語のネイティヴ・スピーカーで、学校で英語を習ったアイルランド人)、今回はダブリンを後にし、北に向かう。

No Béarla, Clár a Dó, Cuid a hAon(第2章第1節)
http://www.youtube.com/watch?v=KOduuL1R3Js


Maganさんは、北アイルランドに入る前に、まずはCo Meath(ダブリンの北側)のRáth Cairn(英語表記でRathcarne)から数マイルしか離れていないAthboyという街に立ち寄る。Ráth Cairnはゲールタハト(ゲール語地域)で、MaganさんはAthboyでアイルランド語が使われているかどうかを確認したいと考えている。

というわけで、MaganさんはAthboyの街頭で「アイルランド語を使う人」を探すのだが、返ってくる答えはNoばかり・・・8:33くらいのベースボールキャップの男の子が、「Ráth Cairnなら大勢がアイルランド語を使っているけど、ここでは」と答え、そのあとの女子学生たちは「アイルランド語は死んだか」という質問(an Gaelic)に「え、何て? 何て? ちょ、誰かわかる?」「アイルランド語は死んだか、って? 違う?」「ていうかそうだよね、きゃはは」とという調子。Maganさんは「正直、がっかりです。人々はフレンドリーなんですが、アイルランド語は使われていない。ゲール語地域からたった数マイルだというのに」と言いつつ、「向こうにあるホテルなら通じるかも」とスタスタと歩いていく。

ホテルではフロントの女性は「アイルランド語はできないんです」と言いながら、「中にアイルランド語ができる者がいますので」。Maganさんは中のバーに入る。アイルランド語で応じる女性従業員は、「アイルランド語ができる人はいますよ。ただシフトに当たっていない日は出てこないので。どのくらい使えるかも人によっていろいろありますし」といったように説明する。

その後、Maganさんはゲールタハトに向かう。Wikipediaによると、Ráth Cairnのゲールタハトは、1935年にConnemaraから27家族が移り住んできたときにできた。ということは、その前はこの場所ではゲール語は絶えていたということになるのだろう。(実際、英国による強制移住や同化政策などで、ゲール語を話す人は島のもんのすごい西とかに追いやられていたという。)現在はこの街のアイルランド語のサマースクールが開かれるなどしており、アイルランド各地から子供たちが参加している。

Ráth Cairnのコミュニティセンターのパドレイグ・マクラハさんは、「アイルランド語は大丈夫ですよ。ただ英語のプレッシャーの下に置かれてはいますが。ここは陸の孤島のようなものです。Meathではアイルランド語に高い関心がありますが」と話す。次にMaganさんは学校を訪れる。子供たちとはアイルランド語でコミュニケートできる。だが大人たちはなかなか難しい。マクラハさんは「親は自分自身はアイルランド語ができないにせよ、子供には身につけてほしいと思っています」と話す。

Maganさんは「この辺でアイルランド語を話す人と会えますかね?」とマクラハさんに尋ねる。「むろん犬も歩けばというわけにはいかないでしょうが、どこかには確実にいますよ」とマクラハさんは答える。

Maganさんは「アイルランド語話者には会えなかったが、アイルランド語に対する態度が肯定的であること、子供たちに学ばせようとしていること、これらはよい兆候だ。今回の旅で、最も肯定的な態度を示しているのは子供たちだ」とまとめながら、Rath Cairnをあとにする。

そしてどこかのホテルに入るのだが、受付の人はやはりここでもアイルランド語はだめなのですと応じる。ジェスチャー(と常識)で何とか通じるも、ルームサーヴィスを頼むと「食べるもの」が「ビール」になってしまう。(オンライン辞書で見るとわかるのだが、foodを意味するゲール語はbiaである。)

第2章第1節はここで終わり。

No Béarla, Clár a Dó, Cuid a Dó(第2章第2節)
http://www.youtube.com/watch?v=11eAAe5TU38


Maganさんは、北とのボーダーに近いDundalkでドッグレース場に向かう。そして、レース場でアイルランド語を使って賭けをしようとするのだが、例によって苦難の連続である。ともあれ、1人はアイルランド語話者がいて、Maganさんは勝ってレース場を後にする。

翌日、MaganさんはDundalkの街でアイルランド語話者探しを開始。今度はいきなり入った店でアイルランド語を使うのではなく、街角でごく基本的なことを知っているかどうかの質問をしてみることにした――「アイルランド語放送局のTG4をどう読むか」などである。"T G Four" は英語読み。アイルランド語では "T G Ceathair" という。(カタカナで書くと「キャハ」になるはずだが、「カー」のように聞こえる場合もあるなぁ。)サッカーシャツを着たような若者の団体さんがなかなかの好成績のようだ。

このあと、有名な古典についての質問がされる。人々にその古典(Our Father, who art in heaven, Hallowed be thy Name....とか、Soldiers are we, whose lives are pledged to Ireland; Some have come from a land beyond the wave.)をアイルランド語で暗誦してください、という質問だが、これはまさに「はるはあけぼの、やうやうしろくなりゆくやまぎは、すこしあかりて・・・」や「ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのひびきあり・・・」の暗誦をしてみてください、というのとそっくりだと私は思う(あと般若心経とかも)。中学や高校で暗誦した(させられた)古典は、仮にその言語自体が自分たちの日常の言語とは多少異なっていても、何となく忘れずに覚えている。

MaganさんはDundalkでのレポートを、「ダブリンのように冷淡な態度で接されることはなかったが、やはりアイルランド語で会話はできなかった」と結び、「では次はベルファストです」と言って先に進もうとするが、車が故障するというアクシデントに見舞われる。

例によってアイルランド語だけで乗り切ろうと、Maganさんはアイルランド語を話せる修理工を探して苦労する。何とか「少しは話せる修理工」を見つけることができた。「僕は機械に関するアイルランド語の語彙を知らない。彼はアイルランド語がそんなにできるわけではないが、できる限りで言葉にしようとしていた」。車は無事に動き出す。

第2章第2節はここまで。次はいよいよベルファストだ。15日のエントリで触れたBBC記事では次のようなことが書かれていたのだが、実際にはどうだったのだろう。
ベルファストのナショナリスト地域、Falls Roadでは、アイルランド語しか使わないMaganさんは人々の好意に迎えられた。

一方でユニオニストの地域であるShankill Roadでは、「最初はおもしろがられました――何人かが、英語で、無理に話せと言われたらやだけど、そうじゃなければ素敵な言語だ、と言っていました。しかし、シャンキルでアイルランド語を使い続けたら、近いうちに病院に担ぎ込まれることになるぞと警告を受けまして」。


No Béarla, Clár a Dó, Cuid a Trí(第2章第3節)
http://www.youtube.com/watch?v=RRQc8D0tVso


うーん。興味深い。興味深すぎる。

Falls Roadのエリア(ナショナリスト/リパブリカンのハートランド)、字幕によればa small Ghaeltacht between The Falls Rd and The Shaws Rdでの「アイルランド語」の存在と非存在。

字幕から:
According to the native speakers, this is a small Ghaeltacht between The Falls Rd and The Shaws Rd, one of the largest growing Ghaeltacht areas. I wanted to check this statement out, and I decided to focus on the place, which is called the heard of the Ghaeltacht, here on the Falls Road.


Maganさんが訪れたのは、Cultúrlann McAdam Ó Fiaichという地域文化センターのような施設である。公式サイトによると、元はプレスビテリアンの教会(つまりプロテスタントの教会)だった建物を、1991年に文化センターとして再生したものだという。その名前は、19世紀にベルファストでアイルランド語復興運動を興したRoibeard McAdamというプレスビテリアンのビジネスマンと、20世紀のアイルランド語復興運動の偉人Tomás Ó Fiaichを記念したものである。
http://www.culturlann.ie/

そこでは毎日の日常生活がアイルランド語で行なわれる、とある男性が語る。Maganさんは「建物の外ではどうでしょうか。通りではアイルランド語を話している人に会えますか」と尋ねる。男性は「アイルランド語で少し話をしようという人はいますよ。流暢に話す人もいるでしょう」と答える。Maganさんは「それはよかった。じゃあ行ってみます」と応じる。

ここでthe Doorsの "People are strange" が流れる。やな予感。(笑)この曲、ダブリン編でも使ってたよなぁ。どうでもいいかもしれないけど、ジム・モリスンはアイリッシュ・アメリカンだった。あと、実際私も、言葉の違いに起因する精神的な落ち込みのときにこの曲が頭をぐるぐるしたものだ。(できればこの曲は知らずにいたほうがいいというくらいに沈む曲なんだが、フィルムに出てきちまってるもんはしょうがない。)

地域の大規模スーパーマーケットかショッピングセンターのようなところの駐車場で、通りかかる人たち(20代から30代の人たちか)に「アイルランド語は?」と声をかけるMaganさん。誰も色よい返事をしない。音楽のボリュームが上がる。悲しい。(T T) ひとりの女性が「ほんの少しだけ話す人ならいるけど」という。

すると50代後半か60歳くらいに見える男性が現れる。Maganさんは「この地域でアイルランド語を使う人たちが多いのかどうかを知りたいのですが」と言う。男性は「ふだんはアイルランド語はよく聞きますよ。アイルランド語話者と会わない日はめったにないですね」という。Maganさんは続けて「アイルランド語は強くなってますか、弱くなってますか」と尋ねる。男性は「強くなってますよ」と答える。

Maganさんは店内(総合スーパー)で40代と思われる女性店員にオレンジジュースはどこかと尋ねるが、彼女はアイルランド語をあまり解さない様子だ。さっきの男性との会話から「店内にいけばアイルランド語を話す人がいるんですね」「そうですよ。さっきも言った通り、アイルランド語話者と会わない日はめったにないです」といったやり取り。「アイルランド語の将来は明るい」と。

続いてMaganさんは、20代の男性店員にアップルジュースの場所を尋ねる。ほんの少しだけは通じている。

街角で、20代の男性に「アイルランド語はできますか」と尋ねるMaganさん。「まるっきりできません」と英語で答える男性。「アイルランド語は大好きですけど」

スーパーのパン売り場でブラウンブレッドの場所を尋ねるMaganさん。やはりまったく通じない。

街角の男性。「いることはいるけどね、100人とかそういう単位で」。(個人的に、この人の英語に英語字幕がほしい!)

西ベルファスト編はここで終わり。続いてMaganさんが向かうのは、Falls Rdのすぐ近く、ロイヤリストのハートランド、Shankill Rdだ。ナショナリストというかリパブリカンの壁画を背に、「これからシャンキルに行きましょう」とMaganさんはカメラに向かって言う。

のっけから「ここらでアイルランド語を話しているとまずいことになるよ」と温厚そうなおじさんに警告されるMaganさん。ロイヤリストの壁画に赤・青・白に塗られた街にユニオンジャックに1912。もうこてこてである。道行く人々の態度はさほど冷淡とか攻撃的というものではないけど、Maganさんと関わりを持とうとしてはいない。さっき警告したおじさんは「アイルランド語はパディの言葉だしな」と言う。

ちょいワル系というかちょっとコワモテのサングラスの大柄な男性が、Maganさんに「アイルランド語の印象」を尋ねられ、「政治的フットボール」という言葉が出る(字幕がほしい! 背後の車の音がなければいいのに)。

「どのようにして言語が政治化されたのか」というMaganさんの質問に、ちょいワルおやじが「北アイルランドではリパブリカン・ムーヴメント(主にシン・フェインとIRAのこと)が使っていたからなぁ。彼らが『これは私たちの歴史、私たちの文化、認めよ』と言っていたものだ」と説明する。映像はロイヤリストの壁画。

さっきの温厚そうなおじさんが「アイルランド語は滅びると思いますか」と尋ねられ、「そういうことにならないよう願う」と答える。「ゲール語は好きだからね」

次に「ありゃぁブリティッシュじゃねぇからな」という典型的なワーキングクラスの毒舌おじさんが出てくるのだが、まじめに字幕がほしい! さっぱり聞き取れない! 何度かトライしましたが断念しました。(6:22くらいのおじさんです。どなたか、わかった方いらっしゃったらコメントお願いします。。。)

この場面の音楽は、調べてみたら、サラ・マクラクランのPossessionという曲。
http://www.sarahmclachlan.com/discography/lyrics.jsp?song_id=89
Listen as the wind blows
from across the great divide,
Voices trapped in yearning,
memories trapped in time, ...


ここで第2章は終わり。次はドニゴールに向かいます。









※この記事は

2007年01月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:39 | Comment(2) | TrackBack(0) | 言語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ゲール語強化月間がよほどストライクなのか、ほぼ毎日コメント書いてしまってます。

2005年のIRA武装解除ステイトメントの時もかなり衝撃を受けたのですが
(覆面なしだとかSeana Walshだとか内容云々にではなくて、あまりのベルファスト訛りの聴き取れなさに)、今回の
「No Bearla ベルファスト編」はさらに輪をかけて衝撃的でした。

私なりに解釈してみたのですが、アイルランド語は全く話せないけど大好きだと言っていた彼は、「100人ぐらいは話せる人がいる」という言葉に「That's pretty good(結構いるね)」と反応したMaganさんに対して「そう思うの?俺は少ないと思うね(I think that's pretty bad)。俺らみんなしゃべってなきゃダメだろ。」的なことを言ってましたね(たぶん)。自分は全くしゃべられないって言ってたくせに(笑)。もうthinkが完全に「ヘンク」になっちゃってます。

UVF幹部並に強面のおじさんは「個人的に見てもたぶん一般的にもユニオニストコミュニティーでも特にシャンキルでは(ゲール語の印象は)political footballで使われてたもの」みたいな感じのことを言ってるのかな?

それこそケン・ローチ監督の映画にそのまんまチョイ役で出ていそうな最後のおじさん(個人的にかなりお気に入り)に至っては…"Lost in Translation"状態です。
かろうじて「テレビジョンが‘テレフ’とか‘テレフィ’なんとかになるんだろ?いやマジで。現代の言葉はそのままの方がいいだろ。しゃらくせえよ。」ぐらいに解釈したのですがどうでしょう。←かなりの意訳です。もうここまでくるとguessと雰囲気で訳すしかないですよね。「これどこの局?」以降はもう完全にお手上げです。

これを観ていて、映画「クライング・ゲーム」の中でオカマの彼(彼女?)が主人公(ベルファスト出身)のアクセントを「Treacleみたい」と言っていたのを思い出しました。まさに言い得て妙だなあと。
ゲール語もいいけどベルファスト訛りもかなり素敵です。
Posted by TR at 2007年01月21日 19:54
>TRさん
どうもありがとうございますー。

> 2005年のIRA武装解除ステイトメントの時もかなり衝撃を受けたのですが

私も同じです。内容は先にニュースサイトで読んでいたのですが、実際にビデオを見てみたら・・・。

# 「武装闘争停止宣言」の映像は、下記ページの下のほうから見ることができますので、興味がおありの方はどうぞ。YouTubeでも探せばあるはず。
http://www.guardian.co.uk/Northern_Ireland/Story/0,2763,1537901,00.html

> 「そう思うの?俺は少ないと思うね(I think that's pretty bad)。俺らみんなしゃべってなきゃダメだろ。」

お気楽おにいちゃんの最後のセンテンスは、確かに、We all should speak Irish. ですね。お気楽にもほどがある。(笑)

> UVF幹部並に強面のおじさん

確かに。<「幹部並」(笑) Well, I think from my personal perspective and probably a broader perspective, for the unionist community exp the Shankill, it was something that was used for political football... というような感じ。

historyのiの音などが完全に「エ」になっているのとか、何度か聞いていると特徴はつかめるような気が。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mid_Ulster_English

> それこそケン・ローチ監督の映画にそのまんまチョイ役で出ていそうな最後のおじさん(個人的にかなりお気に入り)

まさに。<「ケン・ローチの映画」(笑)「下町の労働者」(職業はタクシー運転手、肉屋、塗装工、配管工など、手に職をつけてないと無理なもの)としてぜひスクリーンでお目にかかりたいです。

> かろうじて「テレビジョンが‘テレフ’とか‘テレフィ’なんとかになるんだろ?いやマジで。現代の言葉はそのままの方がいいだろ。しゃらくせえよ。」

そんな感じですね。telefとかtelefiとかmodernとかbetterとかstupidとか。(絶望的に聞き取れない。。。)

「どこの局でやるの?」のあとは、「politicalなやつになんじゃねーの」と毒舌はいて笑ってるように思えるのですが、絶望的にわからない。Thanks very muchのmuchが「もっち」なのは、ああ、北のほうだなぁ、と思います。

あと、温厚そうなおじさんがa lovely wee languageって言ってることを上で書き漏らしてました。

> これを観ていて、映画「クライング・ゲーム」の中でオカマの彼(彼女?)が主人公(ベルファスト出身)のアクセントを「Treacleみたい」と言っていたのを思い出しました。まさに言い得て妙だなあと。

確かに。音と音がべたべた・・・と続いていく感じですよね。北関東のことば(栃木など)にちょっと似てるなぁ、と思いました。

ストーモントの議場もご堪能ください。ジェリー・アダムズ、議長、イアン・ペイズリー、議長と続いて、アライアンスのフォード(イングランド出身)が発言する場面で「聞き取れる」ことの感動を味わえます。
http://www.youtube.com/watch?v=cwrcVZn_iyo

GAならこれも。Gerry Adams' press conference calling an Extraordinary Ard Fheis on policing(1月12日か13日かそこらへん)です。
http://www.youtube.com/watch?v=2y7brNWH-2s
これ、出だしは聞き取れなくて当然ですよね。
Posted by nofrills at 2007年01月21日 22:48

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼