「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2013年01月07日

ベルファスト、今、起きていることについての少しのメモ

最初は「3日で終わるでしょ」と思っていたのが終わらず、「いつまでやってるの」となり、それが「クリスマスでもやっていかねない」、「越年しかねない」になったのが、本当に越年したベルファストの「旗」騒動。

さすがにクリスマス・デイの前後(イヴからボクシング・デー)は何もなかったようだし、その後、年が改まるまでは、旗持った人(子供を含む)がうろうろするくらいで大きなことにはなっていなかったようだが(一方で、ディシデント・リパブリカンのボム未遂というえらいこっちゃな事態があった)、日本で3が日が終わったころからまた、本格的に「第二章」的な感じになっている。

日々、「あれがあった、これがあった、こんな発言がなされた」レベルのことの積み重ねはTwitterにて。そっからわかることを、断片ではなくまともに読める文章として書いておきたいのだけれども、その基礎となる情報がうわなにをするやめろな状態なので、書きあぐねている。(丁寧にソースつけて記録しておかねばならないとは思う。)

最新の情報はこれ。北アイルランド警察(PSNI)トップの発言だ。

Belfast flags trouble: PSNI chief says senior UVF members are involved
7 January 2013 Last updated at 13:59 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-20929658
The PSNI chief constable has confirmed that individual, senior loyalist paramilitaries have been involved in orchestrating violence during union flag protests in east Belfast.


6日、日曜日のBBC Newsのトップページ(UKとかではなく全体のトップ)に、ついに「ベルファスト」が登場していた。



今、起きているのは基本的にはユニオニスト側のコミュニティのパニック発作と、それに便乗した武装組織(というよりギャング組織)の駄々(目的は金。ピースファンド)であろう。さらに、それを「徹底的に取り締まる」ことのできない警察という問題、つまり北アイルランドの「治安」にまつわる構造的な問題(ちょっとアレな言い方をするけれど、UVFは「英国の治安組織の死の部隊 Death Squad」なので)がミルフィーユ状態で、低強度紛争後の社会の抱えるプロブレムの玉手箱状態と言うべきだろう。

※書きかけ

※この記事は

2013年01月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:55 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。