「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2012年12月31日

"Very thin line between life and death" 北アイルランド、ベルファストでまた警官を標的としたボム

30日(日)、ベルファストからまた物騒な話。警官の車に、爆発物が仕掛けられているのが発見され、軍の爆弾処理班が出動、爆破処理された。


正直、「大みそかはどうせまた旗持った人たちの話がトップニュースなんだろうな」と思っていたのだが(ニューイヤーのセレブレーションに便乗するだろうと思っていた)、それとは別方向でガックリ、である。

報道によると、標的とされた警官は日曜日、家族とともにサンデー・ランチに出かけようとしたときに車をチェックして、爆発物に気づいた。

警官が標的ということだけでも、仕掛けた側が例の人々であることは明白だ。BBC Newsはdissident republicansと呼んでいるが(俗語ではdissiesともいう)、あの人々については、ガーディアンのヘンリー・マクドナルドの記事にあるこの呼び方で表すべきだろう。

Police officers regularly check underneath their cars as they are continued targets of republican dissident terror groups. The anti-ceasefire republicans murdered police constable Ronan Kerr in April 2011 using a similar booby-trap bomb device.


ガーディアン記事では、2011年4月のオマーでの警官爆殺事件が引き合いに出されているが、記憶にあるだけで、その前に既に2件、同様の事件は生じている。

まず、3年と少し前の2009年10月、東ベルファストでの事件。標的とされた警官のガールフレンドが車を使ったときにボムが爆発し、そのガールフレンドが負傷した(幸いにも軽傷だった)。
http://nofrills.seesaa.net/article/130413230.html

このボムと今回との共通点は、場所だ。
で、BBC記事に埋め込まれているMark Simpsonの分析にあるのだが、東ベルファストは非主流派だろうが主流派だろうが、リパブリカン、というかカトリックが多い地域ではなく、PIRAだろうがRIRAだろうがCIRAだろうがINLAだろうがONHだろうが、リパブリカンの組織が歩き回れるようなところではない。

http://nofrills.seesaa.net/article/130413230.html

The targeting of a police officer in a mainly unionist area of Belfast suggests again that republican dissidents have access to intelligence on the personal details of police officers.

http://www.guardian.co.uk/uk/2012/dec/30/suspicious-device-police-car-belfast


それから、こちらも3年近く前の2010年1月、世間も私もIRA(「アイリス・ロビンソン・アフェア」的な意味で)で頭いっぱいだったころの事件。
http://nofrills.seesaa.net/article/138415123.html

これは「標的」とされた警官(「カトリック」で、GAAのプレイヤー)が片脚を切断する事態となった。

今回の、大みそか直前の日曜日のボムは、東ベルファスト、というかストーモントのエリアでのことで、当の警官は非番どころか家族を連れて食事に出かけるような日が狙われた。

今回のこの事件について、BBC NIのスティーヴン・ノーランの番組が、その筋専門のジャーナリスト、ブライアン・ローアンにインタビューしている。音声12分くらい。聞いていると気分をどんどん沈めてくれる(not "鎮めて")。ローアンは "dissident IRA coalition" と呼んでいる。

このエントリの表題の "Very thin line between life and death" は、このインタビューの最初の方のローアンの言葉だ。「生きるか死ぬかは紙一重」。

An off-duty police officer and his family had a lucky escape yesterday after a booby trap bomb was found under his car. Dissident republicans are being blamed. It's understood the officer and his family were getting ready to go for lunch when the bomb was discovered.

http://audioboo.fm/boos/1135821-security-journalist-brian-rowan-gives-his-assessment-of-the-dissident-threat-after-an-undercar-bomb-is-found-in-east-belfast


こんな暴力のために、誰もけがをしたり死んだりしませんように。

グッドフライデー合意から15年になろうという年が、もうすぐめぐってくる。

BBC News NIのトップページには、このニュースの下に、「デリーのCity of Culture 2013がいよいよ始まる」という記事がある。



ブライアン・ローアンはつい数日前に、ベルファスト・テレグラフに「ディシデンツの脅威」についてのごっつい記事をアップしたところだ。







This latest assessment comes just weeks after the murder of prison officer David Black, and after police seized Semtex explosive devices capable of piercing armoured vehicles.

In a reference to those finds, the source said: “We’ve done well to get ahead of them.”

It’s a sentence that describes a constant intelligence battle and the fine line between life and death − what dissidents would term success and failure.

http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/republican-terror-gang-aims-to-kill-more-in-each-attack-16254720.html


※この記事は

2012年12月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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