「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年12月31日

マーティン・マクギネスが北アイルランドの自治政府の仕事に専念。

ハンスト中のボビー・サンズの獄中立候補&当選をとっかかりとして現実化し、すぐに主流となったシン・フェインの「アーマライトと投票箱」世代(シン・フェインのトップが、ダブリンではなくベルファストに来た世代)のひとつの終わりだ。

マーティン・マクギネスが英下院に持っていた議席を返上する。北アイルランド自治政府の仕事に専念するためだ。といってもシン・フェインは英議会には議席だけ持ってても出席しないので、実務面では何も変わらない。

数年前にジェリー・アダムズが、故郷ベルファストを泣く泣く後にして新天地ダブリンに政治家としての拠点を移したときも(ええと、これはいろいろ成分高めの記述にしてみたんですよ)、2つの「国」の国会議員を兼職することはありえないので、英下院の議席を返上し、ダブリンの議会に立候補した。

ただし、「英下院の議席を返上し」ってのが、単に「辞職願」とかその受理とかで済まないのが、歴史と伝統の英国。

国家元首によって何かに任命されちゃうんだよね。形式的に。

だから、スラガーがパネェことになる。




Martin McGuinness applies to become paid officer of the Crown ...
http://sluggerotoole.com/2012/12/30/martin-mcguinness-applies-to-become-paid-officer-of-the-crown/


ニュース記事は下記。もう何か月か前から補選の話も出てます。

Sinn Fein's Martin McGuinness resigns as Mid-Ulster MP
30 December 2012 Last updated at 20:43 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-20871049

Martin McGuinness resigns as MP
Monday, 31 December 2012
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/uk/martin-mcguinness-resigns-as-mp-16255956.html

さて、マーティンはこれで「元IRA司令官」で「元英国会議員」になれたね!(あと数日すれば「元・国会議員を辞めるためには手続き上強制的に任命されちゃう何か」にも!)

おまけ。40年前の12月30日……。




※これ、立件はされてないんだと思う。

それにしても、「南北の分断を認めない。ボーダーの存在を前提とした議会は正当なものではない」という主義主張から、ずいぶん遠くへうわなにをするやめ……

※この記事は

2012年12月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:09 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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