「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年12月28日

年末恒例、30年ルールでの英国政府機密文書の機密指定解除(今年は1982年分)

こればかりは「リンク集」にならざるを得ないので、サクサクとNAVERまとめで。

年末恒例、英「30年ルール」での開示文書まとめ(今年は1982年の分…フォークランド紛争文書大量!)
http://matome.naver.jp/odai/2135668385934619201


UK全体では「フォークランド紛争、フォーーーー!!! ジミー・サヴィルもあるよ!」という感じですが、北アイルランド的には、1981年のロングケッシュのハンスト後のあれこれが……って、これ、ウエストミンスターがパニクってたんですな、ということが生々しくていやん。

さらに、ベルテレさんがパネェくっていやん。


※写真、何の写真だかわかりますよね。言わなくていいですよね。

でも、現状一番おもしろかったのはこれ。「プロテスタント」側のメディア、Newsletterより。


http://www.newsletter.co.uk/news/headlines/fifty-officials-grilled-on-robinson-leak-1-4625164
THERE were six Civil Service inquiries in the space of seven years into the leaking of documents to either Ian Paisley or Peter Robinson, a 1982 file released under the 30-year rule reveals.

For the second year in a row, government records published by the Public Record Office in Belfast include an entire file about information being leaked to Mr Robinson, the then East Belfast MP.

As First Minister, Mr Robinson has in recent years attempted to stem leaks from the Stormont Executive. In 2011, Mr Robinson and the then acting Deputy First Minister John O’Dowd asked for an inquiry into the leaking of Executive documents to the media, arguing that trust was in danger of being eroded “through the actions of individuals who, for whatever motives, are pursuing a selfish and negative agenda”.

But in late 1981 and early 1982, Mr Robinson’s actions led to a detailed NIO inquiry which attempted – and failed – to identify his informant.


※これまでの「30年ルール」での開示文書についても、NAVERまとめをご参照ください

※この記事は

2012年12月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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