kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年01月05日

ルーマニアEU加盟で

なぜか人を踊らせ、ニュージャージー州在住のティーンエイジャーに自分撮りビデオを作らせ、それをネット上に公開させてしまう魔性のポップソング、Numa Numa(日本では「のまネコ」で知られているが)こと"Dragostea din tei"は、モルドヴァのボーイバンドがルーマニア語で歌った曲だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Numa_Numa
http://en.wikipedia.org/wiki/Dragostea_din_tei

Numa Numaのビデオ(ニュージャージーの子の)を知り合いから教えられて見たときにげーらげら笑ったんだけども(特にSalutのところ)、曲がどう聞いても英語じゃないんで、何語だろ、と思って調べてみたらルーマニア語とのことで、ほーこれが黒海のあたりのローマ帝国の名残の言語の響きか、と茶でも飲みつつ異国に思いを馳せる・・・わけはなく、やっぱりげーらげら笑っていたのだが、歌っているボーイバンドがルーマニアじゃなくモルドヴァ出身だと知って、地図帳を引っ張り出してきたものだ。なんでも、モルドヴァ語とルーマニア語はほとんど同じらしい。そのくらいに密接な関係にあるということだ。

そのモルドヴァとルーマニアの行き来がちょっと大変になったらしい。ルーマニアのEU加盟の余波だ。

Moldovans rush for Romanian visas
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6231465.stm

They say Moldovans resent the restrictions demanded by the EU, as Moldova was part of Romania until the end of World War II, when it was absorbed into the Soviet Union.

Before 2001, Moldovans did not need passports to enter Romania.

つまり、2001年までは、モルドヴァ人はルーマニアへはパスポートなしで入れた。まったく国内旅行の感覚だ。というのも、第二次世界大戦の終わりまでは、モルドヴァはルーマニアの一部だったから。第二次大戦でモルドヴァがソ連に吸収されて、2つの「国」に分かれたが、ルーマニアもソ連の衛星国のひとつだし、実際、ソ連崩壊までも、国境はあってないようなものだったのかもしれない。

モルドバって実際すごい小さい国なんだよね。西はルーマニア、東と南と北はウクライナ(旧ソ連)。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/moldova/index.html

外務省の略史から:
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/moldova/data.html
1367  現モルドバ共和国が位置するベッサラビア地方をモルダヴィア公国(現ルーマニア)が領有
15世紀  オスマン帝国の宗主権下に置かれる
1812  露土戦争の結果、ブカレスト条約によりロシア領に編入
1917  ロシア革命、人民投票によりソヴィエトとの併合を決議
1918  ルーマニア、ベッサラビアを占領
1920  パリ条約でルーマニアの領有を承認
1924  ソ連、ドニエストル河東岸にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の構成部分として「モルダヴィア自治共和国」を創設
1940  ソ連、独ソ不可侵条約秘密議定書に基づくドイツとの合意に従い、ベッサラビアを占領
1940  ソ連、モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国を創設
1947  連合国とルーマニアの平和条約でベッサラビアのソ連への委譲を確認
1989  モルダヴィア人民戦線の結成
1990.6.6  共和国を「モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国」から「モルドバ・ソヴィエト社会主義共和国」に変更
1990.6.23  共和国主催宣言
1991.5.23  国名をモルドバ共和国に変更
1991.12.21  独立国家共同体創設協定議定書に署名


というわけで、Numa numaの歌を歌っていたモルドヴァ人の彼は現在米国ロサンゼルス在住で、ロックバンドをやってるそうです。Numa numaの英語版もmyspaceにあがってます。
http://www.myspace.com/balanmusic

タグ:EU EU拡大 音楽

※この記事は

2007年01月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼