kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年04月05日

Sinn Feinに潜入していた元スパイが射殺された。

まずは昨年12月に書いたエントリから引用:
こんなに展開になるとは予想もしてなかった。先日不起訴となった「ストーモントゲイト」事件の容疑者、実はシン・フェイン/IRAから送り込まれたスパイであるどころか、そのまったく反対、シン・フェインの内部、それも上層部で、1980年代からMI5のスパイとして活動していた。。。


2006年4月、この「元スパイ」が射殺体で発見された。

Sinn Fein British agent shot dead
Tuesday, 4 April 2006, 19:22 GMT 20:22 UK
http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/4877516.stm

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上記BBC記事によると:

昨年12月に、「MI5のスパイ」であったことが明らかになって以降、ベルファストを離れ、居場所も明らかにしていなかったデニス・ドナルドソンは、アイルランド共和国のカウンティ・ドネガル(ドニゴール)の、電気も水道もないコテージで暮らしていた。隣の家まで1マイルあるような場所だ。

カウンティ・ドネガルはアイルランド島の北西端で、すぐ東側は北アイルランドである。

英国時間の4月4日17:00ごろ、そのコテージで、ドナルドソンは遺体で発見された。右腕をひどく撃たれていた。(もう1つの記事によると、頭も撃たれていた。)

近所(といっても1マイル離れている)の住民が同日朝に、車を運転しているドナルドソンを目撃している。

デニス・ドナルドソンは1950年、ベルファスト生まれ。1970年には既にIRA/Sinn Feinのメンバーになっていたようだ(1970年のSt. Matthew's chapelでの攻防に参加して「ローカル・ヒーロー」と讃えられた)。1970年代には英当局のインターンメント(法的手段を与えない身柄拘束)政策で身柄を拘束されている(そして「苛烈な尋問」を受けているであろうことは想像に難くない)。

友人にはあのボビー・サンズ(1981年、メイズ刑務所のハンストで死亡)がいて、ドナルドソンがサンズの肩に腕を回してカメラに向かって2人とも笑顔を向けている写真のサンズの顔は、リパブリカンのアイコンとして壁画などになっている。

1980年代、ドナルドソンは英国の情報機関から声をかけられ、それに応じた。すなわち、報酬を受け取ってシン・フェイン内部から情報を流すこと、つまりスパイ。

なぜスパイになったのかについて詳細は語られていないが、個人的につらい時期に誘いをかけられた、ということだけは語られた。外野からの的外れかもしれない推測だが、仲の良い友人を極めて「宣伝」的なハンストで喪い(あのハンストは、言い方は悪いが、シン・フェインのプランだ)、友人ら10人を死なせた組織に対する気持ちが、深いところで安定したままだったとは考えにくい。だが、ドナルドソンの拠点はベルファスト西部、リパブリカンの本拠地中の本拠地だ。結婚もしていて子供もいるし、自分だけでなく家族を危険にさらすことになるかもしれない「スパイ」という道を、どうして彼は選んだのか?

スパイとなった後もドナルドソンはシン・フェイン/IRAの中枢部で重要な役割を担当し続けていた。1980年代終わりには、レバノンのヒズボラとの人質解放交渉やら米国での話し合いの席やらに、シン・フェインの代表として参加。2000年には北アイルランド・アセンブリーのシン・フェインのグループ・アドミニストレーターとなる。

またその間(下記Wikipediaから引用):
He was the second in command of the IRA's Internal Security Unit, an elite group of IRA Volunteers who sought out, interrogated and executed suspected informers.


そして2002年、「ストーモントゲイト」事件、すなわち「北アイルランド・アセンブリー内で、シン・フェイン/IRAがスパイ活動を行なっている」として、ドナルドソンら3人が逮捕されるという事件が発生。

2005年12月、同事件で不起訴となったドナルドソンは、自身が英当局のスパイとして20年ほど活動していたことをダブリンにおいて告白。その告白の1週間後、彼はシン・フェインを追放(除籍)となり、その後、姿を消していた。

http://en.wikipedia.org/wiki/Denis_Donaldson
http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/4877680.stm

2006年3月19日、アイルランド共和国のthe Sunday Worldの記者が、ドナルドソンの居場所をつかんだという記事を同紙に書いた。

そして2週間強が経過した4月4日、同紙記事に書かれたドネガルのコテージで、ドナルドソンは射殺体で発見された。遺体のそばにはショットガンのカートリッジが2つ落ちていた。

Wikipedia(上記)によると、同日午前10時か11時ごろに近所の住民が彼の姿を目撃したあと、16時ごろに銃声を聞いている。遺体は(アイルランド共和国の)警察によって、17時ごろに発見された。

BBC記事によると、

- IRAはステートメントを発表。IRAは、ドナルドソンの死には「一切何らの関係はない」としている。

- シン・フェインのジェリー・アダムズ党首は、「今回の殺害について、党(シン・フェイン)および和平プロセスを支持するすべてのリパブリカンは関係がない」と考えていると述べ、事件を強く非難している。

- アイルランド共和国のアハーン首相はこの死を「残虐な殺人(brutal murder)」と表現。

- 英国の北アイルランド担当大臣のピーター・ヘインは、事件を「野蛮である(barbaric)」と述べた。ブレア首相も事件を強く非難している。

(つまり、共和国も英国も「テロリズム」であるというより「犯罪」であると位置づけている。文脈はまったく違うんだけど、ロイヤリストの「ドリス・デイ」ことジム・グレイ射殺のときもそういう位置づけだった。つまり、「テロ」ではないという位置づけ。)

ドナルドソンが遺体で発見された翌々日の6日には、ブレア首相が北アイルランドを訪問し、アハーン首相とともに、膠着状態にある北アイルランド・アセンブリーについての打開策のblue printを示すことになっていた。(これについての協議は数週間続けられてきた。)

一方で、和平プロセスのキーを握るDUP(ユニオニスト/ロイヤリスト)のイアン・ペイズリー党首は、ドナルドソン殺害事件が、政治プロセスに影響するとの考えを示した。(BBC

"If this man has been murdered because of his connection with the IRA/Sinn Fein, and because of the past happenings, then it strikes a blow at what the two governments are trying to do," he said.


その後(だと思うが)、アハーン首相は、アイルランド警察がドナルドソンに対し、生命の危険を警告していたということを明らかにした。
Police 'warned' agent of threat
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/4879022.stm

また、英国とアイルランド両首相は、今回の事件は和平プロセスを止めることはないとの見解を示し、ヘイン大臣は木曜日(6日)に予定されているNIアセンブリーについての発表に変更はないと述べた。
Agent's death 'won't stall peace'
http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/4877944.stm

ヘイン大臣の言葉を上記記事から:
"If we were to allow the peace process to be derailed we'd be giving into violence, in this case a grisly, gruesome murder, perhaps deliberately calculated to throw a spanner in the works and make the political process difficult," he said.
_
"We're not going to allow that to happen."


……まだなんか、頭の真ん中がじーんとしているので(昨年12月にドナルドソンが告白して姿を消したときに、「小説ならこういう展開になるだろう」とは思っていたのだが)、BBC以外の記事はあとで読みます。

ちなみに、シン・フェイン/IRAに潜入していたスパイで身元が割れた人は、多くが拷問され情報を引き出されたあとに射殺されている。あるいは身元を隠して北アイルランド外、もしくは英国外にいる(Kevin Fultonとか)。広く知られている例外はショーン・キャラハン。この元IRA潜入スパイはイングランドでわりとオープンに暮らしていて、セキュリティ・コンサルタントとして生活し、また、ユニオニスト主要政党のUUPのアドバイザーも時々しているとか。

その辺のことに興味がある向きは下記記事参照。
The murky world of informers
http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/4877704.stm

※この記事は

2006年04月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:23 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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