「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年04月12日

「冷戦」の終わりの始まりか。(北アイルランド)

何とびっくり、DUPが態度を変えた!!!

DUP ending UK-Irish body boycott
Last Updated: Tuesday, 11 April 2006, 11:38 GMT 12:38 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/4899066.stm

今月24日に予定されている英・アイルランド共和国の合同機関、
the British-Irish Interparliamentary Bodyの会合に、DUPが出るというのだ。(メンバーは副党首のPeter Robinsonと、Iris Robinson, Nigel Dodds, Jeffrey Donaldson各議員ら。)

DUPは北アイルランドで「ここは英国、私たちは英国人」を主張し続けている人たちである。

こういう主張、根っこまでさかのぼれば、19世紀末のHome Rule(アイルランド自治法、つまり英国と、英国が植民地支配をしていたアイルランド島とを切り離すもの)への反対に行き着く。(さらにその根っこは、ということも言えるのだが、そこまでさかのぼってもあまり意味はないと私は思う。)

Home Ruleへの反対がエドワード・カーソンの運動につながり、そして北アイルランドの南からの分離につながった。

時代はずっと飛んで現代。

DUPはグッドフライデー合意(1998年成立の北アイルランド和平合意)に反対した。

そして、その後ますます強硬になって、「シン・フェインはテロリストなので、政権に参加させるなんてもってのほかです」という主張を展開してきた。今もまだそうである。

DUPは国会議員を9人も擁する党だから、the British-Irish Interparliamentary Bodyにメンバーを出すこともできるのだが、そこまではせず、とりあえず出席はするらしい。(Slugger O'Tooleによれば、オブザーヴァーを派遣するとのこと。)

そしてユニオニストの立場からの意見を出すということだ。ジェフリー・ドナルドソンは「今回DUPがこのようなことをするからといって、DUPがこの機関自体に特別の役割があると認めているということではない」と述べた上で、出席することについて「ユニオニストとしての意見を述べるため」と説明し、現在のDUPについて「これまでは関わろうとしてこなかったかもしれない人たちに手を伸ばそうとしている」と語り(つまりはRep. of Irelandと接触しようとしているということだ)、「そういった人々にわたしたちのメッセージを聞いてもらうことも重要と考える」とコメントした。

このコメントを文字通りに受け取るべきなのか、DUP支持者へのある種の「弁解」と受け取るべきなのか(つまりDUPが既に「新たな道」を選択していることを示すものと考えるべきなのか)、わからない。

一方で、UUPは今回もまだこの機関はボイコット。

the British-Irish Interparliamentary Bodyはグッドフライデー合意後の1990年に設立された機関で、英国とアイルランドの両国会(およびウェールズ、スコットランドそれぞれの議会と北アイルランドの議会とマン島の議会とチャンネル諸島の議会)の議員からなる。その目的は「相互理解に貢献する」ことである。
http://www.biipb.org/

「英国の一部」である北アイルランドに、英国とは別の国であるアイルランド共和国の政府が関わるのはなぜかというと、Anglo-Irish Agreement (1985)というのがあるからである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo_Irish_Agreement

そしてそれゆえに、UUPはthe British-Irish Interparliamentary Bodyをボイコットしている。グッドフライデー合意は推進したのに。

北アイルランドは複雑である。。。

UUPについてはこんな記事があった。4月11日にBBCで、UUPの元党首でGFAを推進した主役のデイヴィッド・トリンブルについてのドキュメンタリーが放映されたそうだ。ダウニング・ストリートの変化(NI大臣の人選からもわかるが)についてトリンブル自身が語った部分もあったようで、興味深いんだが、残念なことにこのフィルムはBBCサイトではまったく見ることができない。

Rise and fall of a peacemaker
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/4896904.stm

この記事に、ジェリー・アダムズ(シン・フェイン)がトリンブルに「お互いによく知り合うことが重要」と言って、週末一緒にどこかに行きましょう、と誘った、というくだりがある。トリンブルはアダムズにではなく隣のマーティン・マックギネスの方にかがみこんで「誰かをよく知ること、すなわちその相手を好きになることではない」ということを言ったそうだ。(^^;)

トリンブルという人は決して平和的な対話の人ではなく、UUPはthe Troublesのころに最大の支持を得ていたユニオニストの政党で(DUPは泡沫政党だった)、そのUUPのトリンブルが和平合意を主体的に推進したことは、文字通りにノーベル平和賞ものだった。
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Trimble

2005年の英国総選挙でUUPは決定的な後退をし、ウェストミンスターにわずか1議席しか持たない小政党となってしまったのだが(その後、トリンブルは党首を辞任)、UUPの支持がそんだけ落ちた裏では、DUPが支持を伸ばしていた。

DUPの宣伝活動のコアにあった(ある)のは、「シン・フェインには何としてもNO」だ。その表向きの理由は「シン・フェインはIRAと組んでるテロリストだから」なのだが、実際には彼らはカトリックへの差別意識を内包した「彼らのために私たちが損をするなんて我慢できない」論をかき立て、それを利用している。

そのDUPが今回アイルランド共和国側と同席するということは、実際かなり大きな動きなのではないかと思うのだが、一方でそんな程度で「大きな動き」ってのもなぁ、と思う次第である。

※この記事は

2006年04月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:23 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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