「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年12月03日

シリアがしばらく、通信遮断状態にあった件。

11月29日、シリアでネットと電話が遮断された。

その様子を、今はシリア国外に出ているダマスカスのブロガー、RedRazanがツイートしているのを読み返している。

#Syria: シリア、ネット不通 (29 Nov 2012) #InternetCutSY
http://matome.naver.jp/odai/2135419982446344801








RedRazanは今年夏に、シリア国外に出た。キャリアの長いブロガーで、今回の動乱の前にも当局に「ちょっとちょっと」されるなどしていたが、今年春に本当に逮捕されて連行されてしまった。結果的には無事に解放されたのだが、それでダマスカスに残るかどうかを真剣に考えたようだ。(詳細は彼女のブログでご確認を。ツイッターのアカウントからたどれます。)

既に友人たちが戦火に斃れており(評価の高かった映画製作者が殺されたときのエントリーは痛切だった)、今なお家族や親族、友人が危険にさらされているダマスカスをあとにせざるを得なかった彼女が、遠く離れたところから、ネットと電話がだんだんと通じなくなっていくのを見ているしかできなかったときの心境を、私には想像しきれるはずもないが、それでも想像しようとしてみれば、それがいかに心細いか、というより「ガクブル」なことであるか、少しはわかると思う。






(そういったことを考えてみようともせず、「大きな物語」ばかり語りたがる知的好奇心の奴隷が多い、ということに、私はうんざりしているが、それは個人的に、RedRazanのような人たちの存在を、その人たちの文章を通じて、何年か前から知っていたからだろう。つまり「大きな物語」で「語れる」範囲はごく限られている、ということ。特にシリアのような監視国家、警察国家では。)







結局、ここ1年半以上のシリアのこの状況を基準にしても異常な緊張状態のなか、通信遮断は3日目に解除された。その様子は下記のページに。

【2日目に突入】#Syria: シリアのネット不通→【3日目に入って復旧】
http://matome.naver.jp/odai/2135430314858525301










※この記事は

2012年12月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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