「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年12月03日

東京・渋谷で、ある映画館が閉館した。

何を隠そう(隠していないが)、「ミニシアター」世代である。「企業メセナ」で「アメニティ」な世代である。ParcoにWaveに池袋の美術館のセゾン・グループが時代の最先端(の一角)だった世代である。

その世代で、『ぴあ』じゃなくて『シティロード』を読んでいた人たちの間では、「音楽を聞く」といえばユーミンではなく(ぞぞぞぞぞ)ノイバウテンだったり60年代のサイケだったりし、「映画を見に行く」といえば、『私をスキーに連れてって』のようなものではなく、『ダイ・ハード』のようなものでもなく、トリュフォーだったりゴダールだったり、フェリーニだったりタルコフスキーだったり、『エル・トポ』だったり『イレイザーヘッド』だったり『草迷宮』だったりしていた。『2001年宇宙の旅』、『さらば青春の光』、『イージーライダー』など、とにかく見ていなければ話にならないような「20年くらい前の映画」もたくさん、「見るべき映画」としてそこにあった。

家庭用ビデオデッキが普及しきったころで(まだ「ベータ」か「VHS」かの戦いのさなかではあったが)、レンタルビデオ店も多くあったが、映画を見るのはそういったソフトよりも(「メジャー」な作品はソフト化されるけど!)、映画館か、テレビの映画番組枠(NHK教育で月に一度の「名画劇場」があり、フジテレビは毎週木曜の深夜にノーカットで「ミニシアター系」のアート・フィルムを放映し、ほかの民放各局も週に一度は深夜に「洋画」を流していた)。「ハンリュウ」など兆しもなかった。それどころか「韓国? 軍政でしょ」の時代。中国は「大中」のチープな雑貨などの形で身の回りにあふれていたけれど、中国の映画はほとんど知られていなかった。ただし、香港(返還前)はジャッキーとかレスリーとかトニーという名前の俳優が主演する映画で知られていた。ボリウッドは、『ムトゥ 踊るマハラジャ』で大ブレイクする前で、「マニア」の世界。

そのころ、「映画館」といえば、今標準の「シネコン」はまだなく、『ダイ・ハード』のような商業的な映画を全国できっちり組織立って上映する封切館と、「難解な映画」というレッテルを貼られる欧州映画や、いわゆる「カルト・ムービー」や「芸術映画」などを単館で上映するミニシアターがあり、さらに、少し前の映画を2本立てで上映する名画座があった(今も残るのは早稲田松竹、飯田橋ギンレイなど……)。3本立てで、学生なら800円で見られる三鷹オスカーという伝説のハコもあった(お弁当持って1日過ごしに行くのだ)。

「あの映画館には、誰とどの映画を見に行って、帰りにどの店で何を食べた」みたいな記憶が貼りついた映画館が、都内のあちこちにあった。

「旧ユーロスペース」は、そういうハコの1つだった。

2000年代に、ユーロスペースは別の建物に移転していき、そのあとが「シアターN渋谷」という映画館になった。やたらとレイトショーでやたらと音楽ドキュメンタリーをやるハコであった。

最後に見に行ったのは、Shellshock Rock + Protex Hurrah + Self Conscious Over Youの北アイルランド70年代パンク3本セットという、「ありえない」企画だった。感謝にたえない。



ステッカー、大事に持ってますよ。貼れるものが、今はない。(昔ならレコ箱に貼るなどしていたが。)

「ここでなければ上映されない(公開もされない)」ような映画の数々は、「全作品リスト」としてアップされている。
http://www.theater-n.com/movie_list.html

※落ちているときのために、そのウェブ魚拓:
http://megalodon.jp/2012-1202-2211-04/www.theater-n.com/movie_list.html

映画館からのツイート、閉館の日に映画を見に行った人々のツイート、閉館を惜しむ声、などなど。

シアターN渋谷、最後の日(2012年12月2日)【アーカイヴ】
http://matome.naver.jp/odai/2135446418776195901


※この記事は

2012年12月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 09:26 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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