kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年12月31日

2006年の「うはー」&「うわーっはっはっは」ニュース。

BBCで「今年最も読まれた記事の月別一覧」が出ている。どちらかというと「下世話」な関心と、世の中を覆う緊張感の両方が、よく現れていると思う。

こんなところで、2006年の「うはー」&「うわーっはっはっは」ニュースで、さくっと思い出せるものを、人名ベースでリストにしておこう。

ガイ・ゴーマさん@BBCの「人違い」事件(ただBBC本社のロビーにいただけで、ただファーストネームが同じだっただけで、「IT専門家」として生放送のニュースでコメントする羽目に)

マイケル・ストーン@議事堂乱入未遂事件など(ロイヤリスト武装組織UDAのヒットマンだったマイケル・ストーン、画家になっておとなしくしていたかと思いきや、驚愕の「アート・パフォーマンス」を実行)

Banksy@数々の「芸術テロ」(「お前はなぜ音楽をやるのだ」と小一時間問い詰める代わりに、CD差し替えテロを決行し、「彼らはなぜあそこにいて裁判も受けられないのか」と半時間演説する代わりに、お人形設置テロを敢行)

ジネディン・ジダン@頭突き事件

教皇@「マヌエル2世の引用」事件(「ギリシャ的なものとキリスト教」の関係を言うならスコラ哲学でよろしいのでは、というところであえてビザンチンの皇帝を引っ張り出し、そのビザンチンの皇帝について書いた大学教授はおそらく歓喜し、すでに戯画で怒っていたムスリムは大激怒)

ジャック・ストロー@「顔を見て話したいのです」論争けしかけ事件

デイヴィッド・ブランケット@Nuke them発言暴露事件(2003年に英内務大臣だったブランケットが、アルジャジーラ爆撃をブレアに進言)

■2人@「あ、言っちゃった」事件
(1)川渕キャプテン(JFA)
(2)オルメルト首相(イスラエル)= "Can you say that this is the same level, when they [Iran] are aspiring to have nuclear weapons, as America, France, Israel, Russia?" --"Israeli PM in nuclear arms hint", the BBC, 12 December 2006

元MI5(MI5で用済みになると、こういうふうに切り捨てられてしまうらしい)

デニス・ドナルドソン(シン・フェイン上層部にいながら英国の情報屋だった人物の射殺事件。真相不明)

元KGB(真相不明すぎ)

CIA

BNP

アンナ・ポリトコフスカヤ



なお、サダム・フセインについては、
私がやっているもう1つのブログ内、関連記事:
http://teanotwar.seesaa.net/tag/%83T%83_%83%80

メディアやブログの関連記事クリップ:
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/Iraq/Saddam/



よいお年を。

※この記事は

2006年12月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼