Irish language to get EU status
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6212033.stm
The Irish language (Gaeilge) is set to get official status in the EU on 1 January, bringing the total to 23.
1月1日からEUの公用語になるのは、「アイルランド語」のほか、ブルガリア語とルーマニア語。(ブルガリアもルーマニアも2007年1月1日にEU加盟国となる。)「アイルランド語」の翻訳作業には29名の常勤のスタッフと450人のフリーランスの翻訳家があたり、コストは350万ユーロ。
EUではこのほか、カタルーニャ語、バスク語、ガリシア語がsemi-officialのステータスを有している(いずれもスペインで話されていますね)。
アイルランドにおける「アイルランド語」の位置づけについては:
According to Ireland's 2002 census, 1.57 million of the four million population can speak Irish.
...
Despite the resurgence of interest in Irish, increasing numbers of students are choosing not to sit exams in Irish, the commission says. The language is compulsory in Ireland's schools.
つまり、2002年の国勢調査では、人口400万人のうち157万人が「アイルランド語」を話すことができ、アイルランドの学校(義務教育)では「アイルランド語」は必修である。一方でアイルランド語で試験を受ける学生は多くはない。
「アイルランド語(Irish)」については:
http://en.wikipedia.org/wiki/Irish_language
私は「アイリッシュ・ゲーリック」とか「アイルランド・ゲール語」とかいう言い方(特にスコットランドのゲール語との区別のために「アイルランド」は必ずつける)になじみがあるのだけれども(単に最初にそう習ったから)、BBCでは「アイリッシュ・ゲーリック」ではなく「アイルランド語」という言い方を採用している。(スタイルガイドを見ても特に記載はないが、アイルランド共和国の第一言語は「アイルランド語」なので言わずもがななのだろう。)
こういった名称の獲得――「アイルランドの言語」というステータスの獲得――の背後に、弾圧と流血があったことは、最近では、映画『麦の穂をゆらす風』に極めて具体的に描かれていた。(名を問われたときに断固として「ミホール(IrishでMichaelのこと)」としか言わない18歳の子が、自分の家の納屋で、英国側武装勢力によってなぶり殺しにされる。)
英国(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)内では、同じゲール語の系統では、「ウェールズ語」や「コーンウォール語」、「マン語」が「〜の言語」のステータスを獲得している(それぞれWelsh, Cornish, Manx)。
一方で、スコットランドのゲール語は、「スコットランド語」ではなく、「スコティッシュ・ゲーリック」である。というのは、「スコットランド語(Scots)」はゲール語ではなく別の言語(英語の変種)のことを指すようになっているからだ。この「スコットランド語」については、「独自の言語」であるのか「英語の方言」であるのかについての議論がある(し、「スコットランド語」を認めた場合でも「スコットランドで用いられている英語」との境界線は曖昧だ)。"Little" を意味する "wee" という語は、「スコットランド語(and/or スコットランドで用いられている英語)」に含まれる。
で、英国側で俗に言う「アルスター地方」こと、アイルランド共和国的には「アイルランド北部」こと、国際的には「北アイルランド」では、「アルスター・スコッツ」という言語/英語の方言(→簡単な単語集)が話されているのだが、そこはもちろんアイルランドなので(<こういう言い方が「政治的に正しくない」なら、「『アイルランド島』なので」と言い換えることもできる)、アイルランドの言語、すなわち「アイルランド語(Irish)」、すなわち「アイリッシュ・ゲーリック」も話されている。北アイルランドのニュースブログ、Slugger O'Tooleのミック・フィールティさんは、両方の言語を使う。(ただし「アイルランド語」の記事は量的にはとても少ない。)
が、これも例えば「東京に引っ越してきた大阪の人が大阪弁を使っている」とか、「テレビでタレントがお国訛りで喋る」とかいったほのぼのとした言語風景であったわけではない。あれもこれもすべてが「あれかこれか」で対立して「お前はどっちなんだ」という社会においては――レンジャーズかセルティックか、オレンジか緑か、ポピーかイースターリリーか、フルートかハープか、etc etc――、歴史と文化を背負った「言語」というものは最も見えやすい対立点だったりする。(そういえばベルギーで、フラマン語の人がフランス語の人に話しかけるときは、どっちでもない英語を使っている、という体験談を読んだことについて書いたことがある。過去記事を「ベルギー」で検索してみてください。)
北アイルランドで「アイルランド語(ゲール語)」がステータスを獲得したのは、1998年のグッドフライデー合意(ベルファスト合意)でのこと、わずか8年(ほとんど9年)前である。
Irish language in Northern Ireland
http://en.wikipedia.org/wiki/Irish_language_in_Northern_Ireland
Maze/Long Kesh刑務所ではリパブリカンの政治犯たちが看守(英語しかわからない)の目と鼻の先でゲール語で堂々と「内緒の話」をしていた(例えばBy using Irish to discuss strategy with his fellow prisoners under the noses of the prison guards, he [=Bobby Sands] made it a living language. -- from Bobby Sands and Britain's Own Gitmo, 25 Years On)。後に囚人の自主活動が行なわれるようになると、リパブリカンの囚人の棟では「ゲール語学習会」が開かれるようになり、言語によってナショナリズムというかnationとしての意識を強く保った。シン・フェインのジェリー・アダムズも刑務所内でゲール語を習得した政治犯のひとりだ。(つまり、普通に生活していたのではゲール語は身につけられなかった、ということだ。)IRAのプロパガンダ・フィルム(YouTubeにごろごろしてるんで、検索を。以前、少しだけ紹介している)でも、多かれ少なかれ、「ゲール語を使う私たち」を強調している。
もちろん、UDAだのUVFだのLVFだの(これも資料はYouTubeでどうぞ。アルスター・スコッツは私にはほとんど聞き取れませんが)は、ゲール語は使わない。
こういうのをまずは「歴史」(つまり「過去のこと」)にしていくことを、北アイルランドは進めている。(一部、「No Surrender」派のものすごい抵抗勢力は「ゲール語を認めたら負けだと思っている」ってなフシもなくはないが。)

さらにまた、今月半ばには、北アイルランドで「アイルランド語」を公用語化することが検討されていることも報じられている。(Irish language future is raised, the BBC, 13 December 2006)
27日の音楽についてのエントリを書いたときに、Colum Sandsという北アイルランドのミュージシャンのことを知り、彼のサイトを読んでみた。彼は2001年10月にイスラエルの舞台芸術家(ストーリーテラー)と共同で、イスラエルのアンチ・セクタリアンな村(Neve Shalom, "Oasis of peace," the first intregrated village and school for Jews and Arabs)の学校を訪れて演奏をしている。
http://www.columsands.net/En/Talking_frame.html
Talking to the wall(「壁に向かって話す」)というタイトルの、この「壁」は、ジューイッシュとアラブの間の心理的な「壁」のことだろうが、例の分離壁のことも含まれていたのかもしれない。2001年だと、分離壁は着工プランができていたか、あるいはプランの検討が進められていた段階のはずだ(着工は2002年)。
彼と組んでいた舞台芸術家はアンチ・セクタリアンな活動をしてきた人だったけれども、そのとき(2001年10月といえば、米国での「9-11」の直後である)は現地の学校の責任者が公演の数日前になって「危険だからキャンセルしたほうがいい」と言ってきた。舞台芸術家はそれを説き伏せて公演を行なった。そうして行なった公演は大成功だった。ヘブライ語(ジューイッシュ)とアラビア語の通訳をつけた歌(サンズ)と物語(舞台芸術家)は、出だしこそぎこちない空気が流れていたものの、最後にはジューイッシュの子たちがアラブの歌で踊り、北アイルランドの音楽家はアイルランドの太鼓を叩いていた。
音楽家はこう書いている。
Not going to change the universe but every little bit helps and in a certain way, it will change the world for those young people.
世界を変えるとかではなく、少しずつ変えること。そうすれば彼ら若者たちにとっての世界はきっと変わってゆく。
※Neve Shalom - Wahat al-Salamについては:
http://www.nswas.com/
(サイトは日本語にも翻訳されています)
今年の夏にロジャー・ウォータースが「壁反対」のメッセージを「壁」に書いたのは、この「平和のオアシス」でのコンサートの前だった。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/5104930.stm
ついでに、北アイルランドでも「ピース・ライン」という皮肉な名称の「壁」が、「プロテスタント」と「カトリック」の間に建設されてますが、あの壁はセクタリアン対立が激化して相互に襲撃しあうという状況になったときに、その襲撃を阻止するために第三者(とはいえプロテスタント寄りだが)の治安機関によって作られたもので(これは本当に名目だけでなく)、「壁」を作った側がもう一方の土地に食い込むように作ったわけではなく、「壁」によって土地を奪われ生活の手段が奪われたということでもなく、「壁」を作った側がもう一方の分断をもくろんでいたわけでもなく、それゆえ、イスラエルが勝手に作っている分離壁とは違います。ただしゲットー化は北アイルランドでもあったそうです。
「同じように『テロを阻止するための壁』なのに、イスラエルは何をしても悪く言われる」という意見を見ないわけではないので、念のために書いておきます。
つか、英国がほんとに「阻止」とか「封鎖」したかったのは南北アイルランドのボーダー(「国境線」と翻訳されることもある)でしょう。何しろリパブリカンの「テロ組織」には南も北もなかったわけで。
もちろん「国境の軍検問所」はありました。(『プルートで朝食を』で、村を出たキティがビリー・ハチェットに拾われて北に入るシーンで、英軍兵士が「今日ロンドンデリーで13人死んだ」と言う場面、あれがボーダーの検問所。)でも根本的に、アイルランドって「島」なのよね。。。
※この記事は
2006年12月28日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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アイルランド語・ブルガリア語・ルーマニア語はわかるのかな?
KANSAIはわかるらしい。ほんまやでぇ〜
「ぬまぬまいぇい」で爆発的に流行した
『恋のマイアヒ』(でしたっけ?)がルーマニア語ですね。