「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年12月25日

【リトビネンコ事件】毒殺とは関係なく、スカラメッラ逮捕。

24日、イタリアのナポリで、イタリア警察によって、マリオ・スカラメッラが逮捕されたと報じられた。彼はイタリア国内で違法行為の容疑があり、今回の逮捕はリトビネンコ事件とは関係ないとのこと。

BBCでは24日付けで、わずか10センテンスほどの記事で、スカラメッラの逮捕を伝えている。
Dead spy's Italy contact arrested
Last Updated: Sunday, 24 December 2006, 15:16 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6208065.stm

以下にAP、PA、ロイター報道とあわせ、詳細。

■スカラメッラの逮捕容疑
BBCによると、逮捕の容疑は以下のとおり、「武器の不正取引」と「国家機密漏洩」。
Mario Scaramella is being investigated in Italy for arms trafficking and violating state secrets.


一方、同日付のAP報道によると、スカラメッラの容疑はinternational arms trafficking and slander、つまり「武器の国際不正取引」と「名誉毀損」となっている。
Italian Who Met Poisoned Spy Is Arrested
Sunday December 24, 2006 10:31 PM
By MARIA SANMINIATELLI, Associated Press Writer
http://www.guardian.co.uk/worldlatest/story/0,,-6301651,00.html

同じく24日付のPress Associationの報道によると、容疑はclaims of arms trafficking and revealing state secrets、つまり「武器の不正取引」と「国家機密漏洩」である。
Italian who met Litvinenko arrested
Press Association
Sunday December 24, 2006 8:28 PM
http://www.guardian.co.uk/uklatest/story/0,,-6301380,00.html

これらの報道をまとめると、容疑には「国家機密漏洩」と「名誉毀損」と「武器の不正取引」があるようだ。

■逮捕の状況
APの報道によると、スカラメッラの父親が、ロンドンからナポリに戻ってきたところでスカラメッラが逮捕され、身柄はローマに送られた、と語った。

Press Associationの報道によると、スカラメッラはBA機でロンドンのガトウィック空港を出発し、到着したナポリ空港で逮捕状を持ったイタリアの対テロ局(DIGOS anti-terrorist unit)の捜査官に逮捕されたそうだ。

以前、ロンドンで放射能の検査を受けるなどして入院していたときに、スカラメッラは「(体調には問題はないので)クリスマスは家族と一緒に迎えられるのではないか」と述べていたそうだが、たぶん、本当にクリスマスは自宅に帰るつもりだったのだろう。クリスマスぎりぎりの日程でロンドンからナポリに飛んだのは、元からその予定だったのか、濃霧でヒースロー空港が機能せず、BA機の運行に遅延が発生していたことによるものなのかはわからない。

■「武器の不正取引」事件
Press Associationの報道によると、イタリアで2005年夏に、警察がRPG(rocket-propelled grenades)を押収するという事件が発生した。警察にその情報を告げたのはスカラメッラだった。そして、スカラメッラは、その情報をリトビネンコから教えられたと主張している。

この事件では4人のウクライナ人が逮捕され、現在裁判が開かれている。しかしスカラメッラの情報があまりに詳細だったため、警察は疑いを抱いた。

また、11月末のコリエレ・デッラ・セーラによれば、「去年の初め、スカラメッラが関わった事件」、つまり「武器や放射性物質の取引で、ナポリ検事局が捜査を開始した」とのこと。同紙が述べるに「この件はローマに送られ、そこで捜査が止まってしまった」のだそうだが、その捜査が再開されたのだろう。(この段、カギカッコ内はリンク先からの引用。)

Press Associationの報道によると、逮捕状は今月に入ってから、検事総長(<だと思いますが違うかも。原文ではinvestigating magistrate)のオルランド・ムントーニ(Orlando Muntoni)が署名したもので、ロンドンでの逮捕も可能だったが、容疑者がナポリに戻ってくるのを待った。スカラメッラの弁護士のセルジオ・ラストレッリ(Sergio Rastrelli)はイタリアのテレビRAI Tg1に出演し、水曜日に尋問が行われる予定だと述べている。

24日付、ロイター通信の報道によると、今月行われたロイター通信との電話インタビューで、スカラメッラは「できるだけ早くイタリアに戻り、当局とともに(with authorities)事態をはっきりさせなければならない」と語っていた。(In a telephone interview with Reuters earlier this month, Scaramella said: "I need to come back to Italy as soon as I can and to clarify with authorities," he said.)

■・・・というわけで
アレクサンドル・リトビネンコがプーチン政権とFSBを公然と批判していたのは事実だが、彼にはそれ以外にもしていたことがある。これはごく当然のことなんだが、「批判者」以外の面はあんまり書かれていないからほとんど見えなくなっている。

例えば「東京都大田区在住」で「東京駅近くの会社に勤務している」○○さんが、「週末には湘南にサーフィンに出かける」が、「通勤電車の中ではiPodで英語学習をしており、最近英検準1級を取った」人である場合、本人や友人たちはそのすべてを知っているけれども、その人のことがメディアで語られる場合は、メインの話題に関係のないことは書かれない。つまり「大田区の住環境」について書かれるものでは「大田区在住」と「勤務先の場所」と、あと時には「湘南(への交通の便)」が言及されるとしても、「英語学習」については書かれないだろう。「空いた時間に英語学習」という話題の文章なら「電車の中でiPodを使って」とか「英検準1級取得」とかは詳しく書かれるだろうし、「家から会社まで○分」といったことも書かれるだろうが、住んでいる場所や会社の所在地については書かれないかもしれないし、週末のサーフィンについては書かれないだろう。というかそもそも本人がそれを語らないかもしれない。

アレクサンドル・リトビネンコについては、「元KGB/FSB」ということと「プーチンを激烈に批判」ということは耳にタコどころか目で見てもスルーしちゃうくらいに繰り返し書かれているし、「ベレゾフスキーと関係がある」とか「ザカーエフとは友人同士」とかいったことも何度も書かれているが、何の仕事をしていたのか、どのような活動をしていたのかはほとんどまったく書かれていない。ロシアのメディアは「彼は金に困っていた」と強調しているが、その可能性はあるよね、というか何というか・・・だ。

また、彼について「元スパイ(ex-spy)」という形容があるが、夫人は「夫はスパイではなく犯罪撲滅に尽力した人物だ」と、今月のインタビューで語っている(She told the paper he had been an honest man and a crime fighter rather than a spy.: BBC)。それでもリトビネンコは「元スパイ」とか「元エージェント」と語られ続けている。夫人の言葉が本当のところ何を意味しているのかは難しいところだが(rather thanは「〜というよりむしろ…」、「もっと正確に言えば…ということだ」というときにも用いられるし、and notど同じ意味で「〜ではなく…」と積極的に否定したいときにも用いられる)。

■マリオ・スカラメッラについて
以前の報道によると、スカラメッラはナポリ在住だそうだ。出身もナポリかもしれないが、この点については疑問もある――12月4日のFT記事によれば、「スカラメッラは自分はナポリで生まれたと言っているが、彼に会ったことのある人たちは、言葉の訛り(アクセント)やしぐさから、スカラメッラがイタリア南部の出身とは思えない、と言っている」。また、彼は「ナポリ大学の教授」と自称しており、その肩書きでアメリカのSan Jose University(その名称の大学は実在しない)やStanford Universityで教壇に立ったことがありNew York Universityの法学部で講演を行ったことがあるほか、コロンビア(<国名:「コロンビア大学」ではなく)の大学にも行っていたらしいが、ナポリ大学は「マリオ・スカラメッラという名前の人物は所属していない」と明確に否定している。

「大学教授」とは別に、彼は廃棄物の不正投棄による海洋汚染を調査する組織、「CCPE(環境犯罪防止計画)」の事務総長を務めていると言われているが(そう自称してもいるようだ)、その組織の事務所は彼が在籍していないナポリ大学におかれ、12月はじめの段階で、事務所の電話には応答がないという。

また彼は、ベルルスコーニ政権下でイタリアの議会が設置した「ミトロヒン委員会」*のコンサルタントとして、ベルルスコーニのフォルツァ・イタリア党所属のパオロ・グッツァンティ上院議員のもとで(<「もとで」という日本語は不正確かも)仕事をしていた。委員会はロマノ・プロディ現首相(2006年〜:1996〜98年に「オリーヴの木」で首相、1999〜2004年に欧州委員会の委員長)が「KGBから送り込まれたスパイである」と主張したが、その「プロディはスパイ」説は、1985年に英国に亡命した(元)KGBのオレグ・ゴルディエフスキー(オレク・ゴルジェフスキイ/ゴルジエフスキー)によれば、殺されたアレクサンドル・リトビネンコから、英国のUKIPの欧州議員に伝えられた(ゴルディエフスキーはその場に同席していたと述べている)。スカラメッラはこのUKIPの議員(名前はGerard Batten)とつながっており、おそらくはそこから「プロディはスパイ」説を得たのだろう。

ただし盗聴されていたグッツァンティ上院議員とスカラメッラの電話のやり取りによると、その説は「固い」ものではなかった。まるで証拠がなかった。スカラメッラはその「証拠」を固めるよう依頼(あるいは命令)されていたようだ。(インディペンデントの記事によると:「プロディはKGBのエージェントだとまでは言えません」と、ある時点でスカラメッラが言う。「しかしロシア人はプロディを友人と考えているとは言えます」。するとグッザンティが爆発する。「友人だと。それじゃ何にもならない! 俺をまったくのアホだと思っているのか?」)

当のプロディ首相は「市民として、機関の長としての私の威厳を、言葉や行動で傷つけた者は、全員」起訴すると語っていたとのことで、今回の逮捕の容疑のうち「名誉毀損」と報じられているのは、おそらくこの件に関係したものだろう。

というわけで、この件は、イタリアの報道が読めないと、これ以上は無理。英国では今のところ「よその国の出来事」扱いで、しかも今はクリスマス。。。

注:
ミトロヒン委員会:
イタリア国内での旧ソ連の諜報機関の活動を調査する委員会で、ベルルスコーニ政権(右派政権)下で設立され、2002年から2006年にかけて活動。「ミトロヒン文書」のワシリー・ミトロヒン(2004年死去)の名を冠しているが、ミトロヒン自身は委員会のメンバーに会うことは拒絶していたとの情報がある。委員会は何ら結論を出すことができないまま、2006年の政権交代(左派政権成立)で終わっている。




ところで、文中に出てくる「1985年にロシアから英国に亡命したKGBのオレグ・ゴルディエフスキー(オレク・ゴルジェフスキイ/ゴルジエフスキー)ですが、彼のロシアからの脱出作戦(身柄をひそかに運び出す、というもの。スパイ小説でよくありますね)を指揮したのは、ジョン・スカーレットだそうです・・・このことは、スカーレットについてのen.wikipedia記事には書かれていないし、ゴルディエフスキーについてのen.wikipedia記事にも書かれていないのですが、ja.wikipedia記事には書かれています。。。ちなみにジョン・スカーレットという人は、ソ連崩壊後の1991年に駐モスクワMI6支局長となり、1994年にロシアを追放され、その後MI6の内部保安局長となって2004年にMI6長官に就任(任期は5年)した人です。

前任のMI6長官、サー・リチャード・ディアラブ(Sir Richard Dearlove)は、名前はラヴリィなのですが、何といいますかその・・・。
http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Dearlove
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/3121085.stm



ところでリトビネンコが亡くなってから早くも1ヶ月となるのですが、22日付けでロイターが「これまでのまとめ」のような記事を出していたので簡単に。時間は多分米国西海岸時間です(掲載メディアがサンディエゴのものなので)。

Month on, police baffled by murder of ex-Russian spy
By Mark Trevelyan, Security Correspondent
REUTERS
5:00 a.m. December 22, 2006
http://www.signonsandiego.com/news/world/20061222-0500-britain-poisoning-.html

概要:
リトビネンコの死から1ヶ月が経過した。スコットランドヤードの捜査の行方次第によっては英国とロシアの将来の関係が左右されるかもしれないが、事実として明らかになっていることはいまだ少なく、刺激的な「説」がいくつもささやかれているだけで、リトビネンコに近しい人たちでさえ、殺害の動機については意見が割れている。

金曜日(22日)、警察の報道官は「捜査は進展していますが、かなり複雑な調査であり、まだ結論は出ていません」と述べ、それ以上のコメントは拒否した。

最も新しい説では、リトビネンコはプーチン大統領の側近について大きなダメージとなる書類を作成し、そのために殺害された、という。これはリトビネンコの仕事上のパートナーだったユーリ・シュヴェッツ(Yuri Shvets)がメディアに語ったものだ。シュヴェッツの話では、彼はその調査をある英国企業から依頼され、その結果、数百万ドルの契約がキャンセルされた。その契約にはプーチン側近が関わっていたという。

しかしリトビネンコの友人で隣人のアフメド・ザカーエフは、今週、ロイター通信に対し、そのような書類の存在も調査のこともまるで知らないと語った。「リトビネンコがそれを行なっていたとは思えないのですが。彼はFSBやクレムリンに対する一般的なことはやっていましたが(He was conducting a general case against the FSB ... and the Kremlin regime.)、誰かから依頼されて、あるいは誰かのために、特定の件について彼が動いていたとは思いません。私としては、シュヴェッツの説には疑問があります。件のビジネスの計画について、アレクサンダーは私には何も言っていませんでしたから」

一方で、失われた契約に関わっていたというプーチン側近の名前はわかっていない。シュヴェッツに近い筋はその名を特定することは拒否したが、FSBとの関係がある2人のロシア高官(イーゴリ・セーチンIgor Sechinとセルゲイ・イワノフSergei Ivanov)ではない、としている。セーチンは大統領府副長官イワノフは国防相である。

謎の多いこの事件であるが、最も大きな謎は、射殺したり交通事故に見せかけて殺したりといった方法もあった中で、なぜあえて、稀少で高価な放射性物質ポロニウム210を使い、あのように残酷な方法で殺害したのか、ということである。この点についてはまだ何もわかっていない。

リトビネンコが体調を崩した11月1日に、ロンドンのミレニアム・ホテルで彼と会ったアンドレイ・ルゴボイとドミトリ・コフツンが訪れた先や利用した飛行機から、ポロニウムの痕跡が発見されている。2人はロシア人で、リトビネンコとは仕事上の付き合いがあった。2人とも入院中である。ポロニウムが発見されているのはロンドンでの訪問先やミレニアム・ホテルのほか、10月下旬に訪れたドイツのハンブルクや、やはり10月に彼らのうちの1人が利用したモスクワ・ロンドン便の機体。ミレニアム・ホテルのバーの従業員のうち8人が、低レベルのポロニウムに陽性反応となっている。

2人とも元KGB職員だが、事件への関与を強く否定している。また、コフツンは、言われているよりも早い時期――10月16日と18日にロンドンでリトビネンコと会ったときに、自分も被曝したのかもしれない、と述べている。

今週、警察筋がロイター通信に語ったところによると、ロンドン警察は年明け早々にも報告書を検察に送る見込みである。告訴するかどうかについてはその後検察が決定する。しかしモスクワは、容疑者を英国に引き渡すことはないと断言しており、裁判の可能性は不透明である。

※この記事は

2006年12月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:26 | Comment(1) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
12月27日のイタリアの英語メディアの記事。

MITROKHIN: GUZZANTI, TARGETTING COMMISSION, NOT SCARAMELLA
(AGI) - Rome, Dec 27
http://www.agi.it/english/news.pl?doc=200612271925-1245-RT1-CRO-0-NF11&page=0&id=agionline-eng.oggitalia

イタリアのグッツァンティ上院議員が、AGIに、こう語った――4月5日の発言(プロディKGB説)はリトビネンコ→スカラメッラの話に依拠したのではなく、3日の欧州議会でのバッテンMEP(UKIP)の書類を元にしている。3日にバッテンは「FSB副長のGen Anatolij Trofimovから、イタリアは危ない、政界にはうちの者がうようよいる。プロディはうちの者だと言われた」と述べた。。プロディの過去について推測することは不幸を呼ぶ。Trofimovは殺され、リトビネンコも殺された。スカラメッラは刑務所だ。一方で新聞は私についてあることないこと書き立てている。連中の標的はスカラメッラではない。ミトロヒン文書とイタリア諜報についての調査結果が標的なのだ。

・・・コンテクストがないのでイマイチわかりづらいのですが、つまりUKIPのEU議会での活動と、フォルツァ・イタリアのミトロヒン委員会での活動は、パラレル。イタリアのマスターマインドはベルルスコーニだろうけど(党首)、英国は左右の対立に依拠していないので大政党に持っていっても適当にあしらわれてUKIPに行ったのではないかなあ・・・(与党が労働党だが親米タカ派で欧州右翼と馴れ合いつつ、やっぱり左派なのだが、ロシアとの関係は微妙。野党の保守党は外交より内政で労働党を叩こうとしていた・・・ということか?)。
Posted by nofrills at 2006年12月30日 18:04

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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