「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年10月26日

北アイルランド武装組織によるブリテン島での脅威のレベルが引き下げられた。(北アイルランドでは変わらず)

今週、北アイルランドのリパブリカン武装組織による脅威が、ブリテン島(英メインランド)については、"substantial" から "moderate" に引き下げられた。北アイルランドにおける脅威は "severe" のまま変わらず。

つまり、彼らは北アイルランドでは絶賛活動中だが、ブリテン島で彼らが何かをすることは「ありえなくはない」という程度の位置づけになる。

MI5 downgrades dissident Irish republican GB threat
24 October 2012 Last updated at 11:28 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-20066672

このBBC News記事に付属している映像がわかりやすい。彼らがブリテン島で最後に攻撃を行なったのは2001年のイーリング爆弾事件だ。その翌月、ニューヨークとワシントンで飛行機を使った攻撃があり、世界全体が、というかアメリカが「テロ、テロ」と騒ぎ出したのであるが、イングランドではその前に(北米からの資金提供に助けられた)「テロ」は「よくあること」だった。リパブリカン武装組織がその後、「テロ」を行なわなくなった背景には、北米の支援者が「テロ」を目の当たりにしたことで「直接の力による解決」というリパブリカンのやり口に(ようやくのことで)嫌気がさした、という要素がある。(それでもまだ、「アイリッシュ・リパブリカンの『闘争』」は否定されていないが……ピーター・キングの発言などを参照。)

「リパブリカン武装組織」とはいっても、何度も書いているように、「北アイルランド紛争」当時のIRA、つまりProvisional IRAは、シン・フェインの和平路線にともなって、もはや武装組織としては存在しないも同然になっており、現在活動しているのは集合的にdissident republicansと呼ばれる、リパブリカン主流派の「和平」の方針に反対する人々のみである。今回、ブリテン島での脅威レベルが引き下げられたのも彼らの活動についてである。


今年、2012年はエリザベス女王即位60周年(ダイヤモンド・ジュビリー)と、ロンドン五輪&パラリンピックという大きなイベントがあり、ディシデント・リパブリカンの組織がそれを狙って行動を起こす可能性が警戒されていたが、それらが終了したことで内務省による見直し(再評価)があったのかもしれない。

いずれにせよ、今のディシデント・リパブリカンは、かつてメインランドでの爆弾闘争を行なっていたときのProvisional IRAとは、活動の方針がまったく違う。

PIRAはメインランドで爆弾攻撃を行なうことによって英国の世論を喚起し、また経済中枢に影響を及ぼすことで、アイルランド北部(北アイルランド)からの英軍の撤退を促そうとしていた(ことになっている。一部、どう見ても爆弾を仕掛けることそのものが目的みたいなケースもあると個人的には思うが)。

しかるに、2007年7月のオペレーション・バナーの終結で、北アイルランドの住民に暴力を行使し、また圧力をかけてきた英軍は北アイルランドの基地を引き払っていき(今も残る北アイルランドの英軍基地は、基本的に、普通の英軍基地である)、今のディシデント・リパブリカンは、軍よりもむしろ北アイルランド警察を「敵」として、直接の攻撃対象としている(このほか、おそらく組織維持を目的とした活動で、「麻薬の売人」を殺害したりしてもいるが)。

つまり、わざわざメインランドで攻撃を展開することで彼らが「得をする」点は、あまり考え付かない。

それに、彼らにそうする能力があるようにも見えない。

だが、最新の展開としてはこんなこともあった。
Earlier this month, a horizontal mortar was discovered in north Belfast.

It is understood the device included the military explosive Semtex, and would have been capable of piercing the armour of a police vehicle.

http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-20066672


より深いところは、マーク・シンプソン記者の解説を。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-20055144


※この記事は

2012年10月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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