「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年12月17日

モスクワで「反プーチン」のデモ。

※この記事は2006年12月のものです。2007年4月の状況についてはコメント欄で補足してあります。ずーっと下のほうまでスクロールしてください。

モスクワで、反プーチンのデモが行なわれたそうだ。BBCのモスクワ特派員は、「デモ参加者はバリアの向こうに閉じ込められ(were kept confined behind barriers)、ヘルメットを着用した機動隊に囲まれていた」と伝えている。

Security high at anti-Putin rally
Last Updated: Saturday, 16 December 2006, 16:18 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6181613.stm

BBC記事によると、主催者側は参加者5000人を見込んでいたが、警察発表では2000人ほど(「低すぎる」との批判あり)。主催者にはチェスの元世界チャンピオンで現在はUnited Civil Frontという政治組織を主催しているガルリ・カスパロフ(Garry Kasparov)や、2000年に首相となり2004年に解任されたミハイル・カシヤノフ(Mikhail Kasyanov)など。参加者は急進的な若者のグループ(radical youth groups)から、ソ連時代を懐かしむ共産主義者、自由市場論者までとさまざま。「反政権」にはいろいろとあるけれども、今回はとにかく「プーチン政権にNO」という共通点で集まっているようだ。BBC記事の末尾には、来年の議会選挙と再来年の大統領選挙に向けて、「反政権」側もまとまりつつある、との分析もある。デモの間、警察のヘリが上空を飛び、人々の声をかき消そうとしていた、という記述もあります。

BBCの記事に添えられている写真は、デモ隊のものではなく、ずら〜っと並んだ治安機関の人たちのもの。(制服を見ても警察なのか何なのか私にはわからないのですが、キャプションには "forces of law and order" とあります。)

ほかの写真を見たいなぁと思ったので、探してみました。(BBCの記事の右肩にあるニューズレポートを見れば、デモ隊の様子もわかるのですが、それは後回しにして。)

英国とか米国などで規模の大きなデモが行なわれると、ほとんどいつでもflickrに写真が投稿されるのだけれども、今見てみたところ、"moscow"のtagの検索でも、groupの検索でも、それらしき写真はない。もう少し時間が経てば出てくるかもしれないけれど、とりあえず、次。

Google news UKでmoscowで検索。。。

まず、このネタでは外せないと思われる「自由ヨーロッパ・ラジオ/自由ラジオ(Radio Free Europe/Radio Liberty)」。写真(クレジットは「epa」となっている)は・・・20代と思しき背の高い男性と、もう1人男性が機動隊(だと思う)の方を向いて何かを叫んでいて、その背の高い男性の前に中年の男性(黙って下を向いているような?)、その隣になぜか笑顔の若い女性(たぶん)。背景では声のするほうを見ているといった風情の野球帽の男性が2人いますが、あとは単に前向いてる感じの人・・・ほかははっきりしません。赤い旗のようなものが見えるのだけれど、開いていないので、これが何かもわからない。ただ間違いなく言えるのは、これだけの人数に対して、スペースが狭い。「相手のスペースを消す」という印象を受けます。

この記事に書かれていることでBBC記事にないのは、「多くて3,000人の人がデモに参加、警察は8,000人以上」(うはー、それじゃ警官のデモだよ)ということと、「50人ほどが機動隊とちょっとやりあって拘束された」ということ。また、「100人ほどがモスクワに入るのを妨害されたと主催者が述べている」ということ、「今週、カスパロフの団体のオフィスに、『過激派の文書』を探すためとして警察のガサ入れがあった」ということ。

次。アルジャジーラの記事。写真は「かまトンカチ」の旗が15枚くらいずらーっと。。。ってこれ、この人たちの旗ですね(オフィシャルな旗は地が赤だが、黒い旗は何だろう? アナキスト・バージョン?)。

背景の建物は、私には何なのかはわかりませんが、観光ガイドか何かで見たことはあるような気がします。写真クレジットはありません。もう1枚の写真もクレジットなしで、警察の機動隊がデモ参加者を逮捕しているところ。

記事では、デモの様子が「参加者はおよそ2500人」、「権威主義を拡大させるものとして、選挙法改定に抗議」、「複数のグループが、『もうひとつのロシア (the Other Russia movement) 』の旗の下に結集、参加者の手にはプーチン政権を批判するバナーやプラカード」、「カスパロフやカシヤノルがスピーチを行なった」、「『違うロシアが必要だ』、『憲法を守れ』といった声が、低空を巡回する警察のヘリの音でかき消されていた」などと説明されています。the Other Russiaはアンブレラ・グループのようです。

また、「主催者によると、デモに参加していた40人が拘束された」、「200人がモスクワに向かう途中に電車やバスから降ろされ、留置所に入れられた」とも。

「警備」の厳重さは、すごいですね。「ウォーターキャノンのトラックが2台」に「レイザーワイヤーを丸めたもの(巨大)」に「ジャーマンシェパード(alsation)とロットワイラーが少なくとも12匹待機」。野党は「この厳重な警備は、クレムリンが反対者を恐れていることを示している」との見解で、ロシア国会にわずかに残っている無所属(independent)議員のひとり、Vladimir Ryzhkovは「ショックです。これはまさに、ロシアは民主国家ではなく警察国家だということを示しています。政権は、平和的な反政権デモを脅威だと受け取っているのです」と語っている。

プーチン大統領の支持率は70パーセントを超えているが、カスパロフは「2週間、テレビを無検閲にすればこの政権は崩壊する。私たちの言うことが数百万の人々の共感を得るからこそ、彼らは私たちを恐れている」とコメント。

アメリカのCNNは、AP通信配信記事に「モスクワで珍しい反体制デモ」という内容の見出し(Moscow sees rare opposition rally)をつけ、写真はアルジャジーラと似たような「かまトンカチ」の旗のもの。このAP記事はここまでのどの記事より詳しい。ちょっと引用:
The demonstration, organized by several opposition groups who joined forces in the Other Russia movement, had originally planned to march down a main Moscow avenue in what was dubbed the "March of Those Who Disagree," but city authorities banned the march, allowing only a rally instead.

Organizers had vowed to go-ahead with the march despite the ban, but the activists ended up only holding a demonstration and the crowd began dispersing after 1 p.m. Moscow time, over an hour into the event.

The march did not take place because police and defense troops had sealed off the square and the street the activists planned to march on was lined with dozens of detention trucks and water cannon machines, said Natalya Morar, a spokesman for Other Russia.

とのことで、大通りのmarch(行進)が許可されず、rally(集会)になり、開始から1時間で参加者は去り始めた。主催者は許可されていないにも関わらずmarchを行なうつもりだったが、警察が大通りをがっつり固めていて、不可能だった。

となると、デモ見物の人が広場に近づけるような状況ではなかっただろうし、報道機関のカメラマンを除いては写真は無理だったかも。。。

で、BBC、AP、アルジャジーラ、RFE/RLと見ても、どこにも「10月に殺害されたジャーナリストでプーチン政権を批判してきたアンナ・ポリトコフスカヤ」への言及がない。言及がないということ自体、あまりに興味深くて、ついつい陰謀論をでっち上げそうになります。

私が見た中で唯一、ポリトコフスカヤへの言及があったのは、playfuls.comのまとめ記事
With banners from obscure groups like the Avant Gard of Red Youth and National Bolsheviks waving alongside posters of murdered journalist Anna Politkovskaya, the protest lasted only an hour.

"Avant Gard [Avant-Guard] of Red Youth" はその名の通りだが、「昔はよかった」系ではなく若い世代のグループ。

"National Bolsheviks" はAPの写真の旗の人たちで、RFE/RLにものすごく詳しい記事がある(長いので半分までしか読んでない)けど・・・ロシアについての予備知識がないので、私には読解が難しいです。創設者の手法がどう、とかいう話はわかるけど(ル・ペンとかの名前があるので)。また、Wikipediaの解説ページの最後、External linksのところに、アンナ・ポリトコフスカヤが彼らについて取材した記事あり(ただしロシア語:意味がわかるほど精度が高くないロシア語→英語の自動翻訳にかけてみたところ、彼らは「反プーチン」でまとまっているグループだということははっきりわかりました)。

また、Wikipediaによると、National BolsheviksはNashiのナンバーワン・エネミーだそうで。。。Nashiという名前には見覚えがあるなと思ったら、先日、BBCがRussian youths 'hound UK envoy' と伝えていたyouthsですね。

ところでデモの主催者のカスパロフ(1963年生まれ):
http://en.wikipedia.org/wiki/Garry_Kasparov

2005年3月に競技チェスからの引退を表明したそうですが(モチベーションが保てなくなったことと、競技団体が分裂したままであることへの不満から)、1996年にIBMのコンピュータ「ディープ・ブルー」が対戦して勝った「人間のチャンピオン」。

タイムズ記事によると、カスパロフはプーチンのロシアのことを「ピノチェトのチリ」や「ビロード革命前の東欧諸国」と同じだ、と言っている。
"We are not fighting to win elections in Russia, we are fighting to have elections," he said. "The word 'election' should be removed from our political vocabulary now. It is an appointment process."

「選挙に勝つために戦っているのではない。選挙を行なうために戦っているのだ。『選挙』という語は現在の政治の語彙からは外すべきだ。今の『選挙』は結果は最初から決まっているのだから。」

この人の語る「選挙」からは、昨今の日本の国会での「審議」を連想しますが。いや、昨年9月の「郵政民営化選挙」がまさにこうだったような気も。今のロシアって、ある意味、他山の石かも。

あと、デモが行なわれる前に書かれているインディペンデント記事によると、今回のデモを皮切りに、来年の議会選挙に向けて何度か反対勢力のデモが予定されているようです。

で、いくつも記事を挙げましたが、文字情報として状況が一番よくわかるのはplayfuls.comの記事です。BBCの「モスクワからお伝えしました」の映像よりもいいくらい。

背景解説としては、タイムズ記事(カスパロフのインタビュー)が優れています。

※この記事は

2006年12月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 13:22 | Comment(8) | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どうもはじめまして、NBP創設者のリモーノフが登場したので、あれこれのご紹介の記事読んでしまいました。私は「「英雄」たちのロシア」 川崎 浹 という本でこの人物について知りました。反体制作家として亡命して、亡命先のアメリカで、「ぼくはエジーチカだ」という破天荒なスキャンダラスで西洋と(ソルジェニーツィンのような)有名反体制派への罵倒を満載した小説を出して、ソ連解体後は反エリツィン(でスターリン万歳!)を唱えてNBPを結成したという人で、まーすごいなと。ただ、チェチェン戦争を支持したのは、彼の基本的な思想(ユーラシア主義)上もおかしいのですが…。

 久しぶりに話題を聞いたと思ったら、また転向(というほどではないけれど)したみたいですね。ロシアではソ連解体と経済の崩壊のあと、ショービニズムと反「改革」のソ連回帰という相容れない傾向が微妙に重なってしまいしたから、彼のような人も出るのですが。さすがに現在になるともうそのような傾向は薄れたみたいですね(NBPも数年前にはっきりと分裂したみたいですし)。英語のホームページを見ると、何か、妙にまともな人になって不思議な感じです。

 チェチェン戦争に関しては他の反体制派の多くと同じく脛の傷として残るでしょう。しかし、それも93年のエリツィンによるクーデターの帰結ですから、川崎 浹のようなそれを支持した人が問題だともいますが(そのころのロシアの「改革」派にはピノチェトは人気でしたし)。今回の反体制派の結集も、個人名の突出を含めてむしろプーチン政権の(とりあえずの)強さゆえに行わざるをえなかったと見えてしまうのです。しかしそう考えると今度の事件は…。

 しかし、リモーノフの小説は日本ではなぜか全く翻訳されないのも残念です(なんせ私はロシア語なんて読めない)。では、失礼しました。
Posted by N・B at 2006年12月17日 18:51
>N・Bさん
はじめまして。

リモーノフという人についてはこれまでまるで知りませんでした。Radio Free Europeの記事ではいかにも!の「反体制活動家」に見えますが、それはお上品にきっちりまとめた書き方と見せ方によるもののようですね。「反体制」とかっていうより、一種のPUNKのような。。。

検索してみたら、沼野充義さんの解説(北大のサイト)が1番上に出てきました。
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/limonov.html

リモーノフは1943年生まれ。詩作を始めたのは15歳のころ(1958年ごろ?)。「15歳から21歳のころまでは『本物の犯罪者』で、店やアパートに押し入って強盗を働いていたという。親友が逮捕され、死刑を宣告されてようやく、犯罪活動を止め」て、「1967年にモスクワに移住」(24歳ごろ)。「1974年に亡命を余儀なくされ、1975年にニューヨークに住み着く」。生活のために現場仕事をしつつ、文筆活動。そして「1979年にニューヨークで出版した『おれはエージチカ』がスキャンダルを呼び、一躍「悪名」を高め、亡命ロシア人社会ではその名を知らない者がいないくらい有名な存在となった」。その後「アメリカに嫌気がさし、1983年にパリに移る」。(以上、カギカッコ内は沼野充義さんの解説からの引用。)

ということは、ニューヨーク・パンクの時代にニューヨークにいた、いわば「ボヘミアン」で、『おれはエージチカ』の出版が1979年。まさにNo Waveのころ。WikipediaではHe fell in with the New York punk and avante-garde sceneとあります。RFEが「アメリカのトロツキストやアナキストと仲良くなった」と書いているのは、パンクの人たちのことでしょうね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Eduard_Limonov

Wikipediaにはブコウスキーと対照するような記述もあり、沼野充義さんの作品解説を読んで、どういう作家なのかが非常によくわかった気がします。「気がする」だけかもしれませんが。

あと、Wikipediaによると、1974年に亡命を余儀なくされたのは市民権を剥奪されたためで(詩人としてある程度の成功をおさめていたそうですが)、その後、ゴルバチョフによって市民権を回復。1991年にロシアに戻る。その後政治的な活動を始めた、と。

というわけで、リモーノフが「PUNKである」ということははっきりわかったのですが、彼の思想とか考えといったものによって政治組織ができると考えるには彼はあまりにPUNKでは、と思いました。なおかつ、そうだからといって共感や支持が生じないということにはならなかったのかな、と。(むろん、NBPのイデオローグは彼だけでなかったにせよ。)90年代のロシアの、いろんな意味での「熱狂」について、私はほとんど知らないのでどうにも具体的なイメージは見えないのですが、「直情的で迷わない」「わかりやすい」という人物像を感じます。「一貫性」とか「ぶれのなさ」からはちょっと遠い、一種のワーキングクラス・ヒーロー的というか。。。しかも「言葉」の使い手。

> しかし、リモーノフの小説は日本ではなぜか全く翻訳されないのも残念です

翻訳されれば売れそうな気がしますけどね。。。ソ連の市民権を剥奪された「本物の犯罪者」で、No Waveのニューヨークを生身で知っていて、80年代のパリも知っていて、ボスニアでカラジッチと一緒にいたのを激撮され、Slateが「ロシアのセリーヌ(になれたかもしれない)」と称するちょっとブコウスキー的な作家。出版社さ〜ん。
http://www.slate.com/id/2078955/

Wikipediaからたどったthe eXileというロシアの英語メディアに、リモーネフの書いたもののアーカイヴがありました。
http://www.exile.ru/archive/by_author/edward_limonov.html

作品を日本語で読むのは無理そうなので(『「英雄」たちのロシア』も、地域の図書館にはないみたいで残念)、とりあえず、the eXileのアーカイヴを読んでみます。政治的なものより、回想録のようなものから。

あと、RFEの記事に最後まで目を通してみたら、"The Other Russia" がリモーネフの著書(2001年に「テロ」容疑で逮捕され獄中で書いたもの)の題名だということがわかりました(<だから最後まで読んでから記事を書けと)。今回のデモ、「複数のグループが、『もうひとつのロシア (the Other Russia movement) 』の旗の下に結集」(アルジャジーラより)ということですが、その名称がNBPのリモーノフの著書名ということで、報道写真に「NBPの旗を持つ人々」が多かったのも何となく納得しました。(明らかにナチスを思わせる意匠のあの旗が「報道写真」として提示されることも珍しい。)
Posted by nofrills at 2006年12月18日 20:51
 どうも丁寧な返事ありがとうございます。私は旧東ドイツの劇作家ハイナー・ミュラーのファンで、彼の弟子筋の人たち(カストルフ「終着駅アメリカ」など)の日本での上演(素晴らしかった、「Pubulic Image Limited」と題して劇評を書きましたw)を見たりしているので、東欧のパンク左翼反体制派はわりと知っています(音楽はあまり聴かないのに!)。ですが、さすがロシアでこの人は破格です。ニューヨーク・パンクとのかかわりは今回やっと気づいて…。

 亡命ロシア作家を扱った『「英雄」たちのロシア』では主役の1人です、はっきり言ってこの人の逸話が面白すぎるので買ったのです。その後もまた活躍していることがわかって(政治犯として刑務所まで入ってw、日本のロシア文学業界はいつもどおり無視しているみたいですが)うれしいやら、今回はいろいろ紹介ありがとうございます。

 パンクと政治の関係は微妙ですね、確固たる政治的思想(例えば最近亡くなった一貫して反体制の作家ジノヴィエフにはあったもの)とパンクはなじみませんから。しかし、ロマン派的な志向と「運動」は割と近いわけで(日本にはほとんどありませんが)。彼の場合は「一貫して」反体制ではあるのですが(西側を知りすぎているがゆえの反西洋・アメリカは地としてありそうです)。若者が惹かれるのはとてもよくわかります。

 そういう人物とカスパロフのような人ぐらいしか、大衆的な反体制運動をシンボルになる人がいないのが今のロシアの厳しさでしょう(実はロシア共産党が前の選挙までは議会での実効力のある歯止めだったわけで2期目のプーチンがますますやばくなっているのはこれが大きいのです。当然、今も地道にやっている方々もいるのですが)。

>沼野充義さんの解説
 これはど忘れしてました、唯一の彼の翻訳者なのに。でも、最近はちっとも取り上げてくれないし、未確認が多いw。あとここで紹介されてる人ではアリーナ・ヴィトノフスカヤがいいですね
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/vitukhovskayaA.html 

>、the eXileのアーカイヴを読んでみます。政治的なものより、回想録のようなものから。
 そうですね、文学作品も活字ならかなり英語に訳されて手に入るようですがさすがにそれを読む能力は私にはありません(^_^;)。


>今回のデモ、「複数のグループが、『もうひとつのロシア (the Other Russia movement) 』の旗の下に結集」
 やはりそれだけカリスマ性と言葉のセンスがあるのだと思います。いいフレーズですから。

 ナショナルボルシェヴィズムですが、英語のウィキにもありますが、戦前ドイツにも同名の運動があり、ナチにたてついてエルンスト・ニーキシュ(実はそれについてはミュラーの本で知っていたのですが)というリーダーは地下活動の後8年間牢獄にいたそうですから、由緒ある名前でデザインのセンスなどもこのあたりから来ているのではと。

>Slate
 最後に紹介されている著書は面白そうですね、ノーベル賞詩人のブロッキーは93年のクーデターを支持したのですから(「「英雄」たちのロシア」)、私にはリモーノフより悪質に思えるのですが。それがここ20年で一番よいというのだから興味深いです。

ただ、ウィキにせよ、英語メディアはバイアスが強いですね。私が偏っているだけかもしれませんが。

>出版社さ〜ん。
 せめて、「ぼくはエジーチカだ」と上の本の2つは読みたい。露文業界には期待できないので出版社の方が(^^ゞ。
 

 90年代ロシアの雰囲気は、金平茂樹さんの二冊のロシア駐在員時代の本でよくわかります、ロシアのロック事情もありますし。私は彼の報道で強烈な反エリツィン派になりましたw。20世紀ロシアについては塩川伸明さんがオススメです。

http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/index.htm

 では、長々失礼しました。
Posted by N・B at 2006年12月20日 09:16
>N・Bさん
どうもです。レス遅くなりましてすみません。

そっか、金平茂樹さんのご著書がありますね。正直、当時リアルタイムでロシアにはそんなに関心を持っていたわけではないので、ニュースとかを見ても「ふーん」で流してしまっていたことがたくさんあると思います。金平さんが本を出しててくれてよかった。塩川伸明さんについてもご紹介ありがとうございます。まずは図書館に行ってみます。

> 「Pubulic Image Limited」と題して劇評を書きましたw

にやり、です。>PIL

> 最近亡くなった一貫して反体制の作家ジノヴィエフ

この人のこともまったく知りませんでした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Aleksandr_Zinovyev
※末尾のExternal linksから、諷刺画集などへのリンクあり。

90年代前半の東欧のパンクについては、何となく耳に入ってきた範囲だけですが、さすがに濃いな、と思ったことがあります。

そういえば、一度、ロンドンの友人たち(ミュージシャン周り)にロシアのどこかから英語の手紙が来たことがあります(バルト三国だったかもしれないし、ロシアだったかもしれない)。便箋数枚にわたる、けっこう熱い手紙でした。「自分たちはDIYのパンクバンドです。自分たちにできることをしたいと思っています。the Clashなどロンドンのパンクには大きな影響を受けました。自分たちの音源をカセットテープで配りたいのですが、テープが手に入りません。捨てようとしている使い古しのテープがあったらぜひ送ってください。とにかく配らないことには始まらないんで。一度再生できればOKです。捨てるんなら送ってください」ということが書かれていました。最終的にはどうなったのか、私は知らないのですが。

いかにもネットがなかった時代の話ですが、90年代初めの段階で、「鉄のカーテン」の向こうで「西側」のパンクが聞かれているばかりでなく、その音楽が存在する、ということがリアルに感じられました。彼らにとっての「西側」って何なのだろう、とかも思いました。うちらにとってはあまりに当たり前なものが、彼らにはどういう存在なのか、とか。

今考えてみれば、あの「いらないテープがあったら送ってくれ」の手紙を送ってきたような人たちが、リモーノフの支持層だったのかもしれないですね。「自分たちの知らない『西側』を、実際に知っている人」として、「『西側』のよいところも悪いところも知っている人」として。「西側の価値観すべてを受け入れるのはいかがなものか」という気持ち・考えがあるところでは、「政治思想」以前の「感覚」としても、リモーノフという人は非常に大きな存在になったのかもしれない。

> そういう人物とカスパロフのような人ぐらいしか、大衆的な反体制運動をシンボルになる人がいないのが今のロシアの厳しさでしょう

なるほど。そうか、このニュースはそういうふうに見ることができるのですね(というか、そう見るべき?)。

> アリーナ・ヴィトノフスカヤ
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/vitukhovskayaA.html 

ご紹介ありがとうございます。落ち着いて読めるときに読みます。年末のばたばたしているときに読むと、何か、大変なことになりそうで。。。

> ナショナルボルシェヴィズムですが、英語のウィキにもありますが、戦前ドイツにも同名の運動があり、ナチにたてついてエルンスト・ニーキシュ(実はそれについてはミュラーの本で知っていたのですが)というリーダーは地下活動の後8年間牢獄にいたそうですから、由緒ある名前でデザインのセンスなどもこのあたりから来ているのではと。

なるほど。Wikipediaで見ると下記ですね。まさに同じ旗。
http://en.wikipedia.org/wiki/National_Bolshevism

1920年前後の欧州は、英米中心で語るのとは別な視点で見ないと(特に米国からのは多くは後知恵かも)、見えないものがたくさんありますね。。。この「共産主義とナショナリズム」は、アイルランドのナショナリズムともつながっていそうな気がします。アイルランドでは「反植民地主義」がほかの何より大きかったのですが。(実際に植民地でしたし。)

> ただ、ウィキにせよ、英語メディアはバイアスが強いですね。私が偏っているだけかもしれませんが。

アーサー・ビナードさんという、東京在住で日本語で詩を書いているアメリカ人の方が、「英語ですべてが語られると信じ、英語で語られているものがすべてだと信じていることに無理がある」ということをどこかで書いていらしたのですが、結局それに尽きると思うことが時々あります。私も日本語と英語でしか世界を知ることができないわけですが。
Posted by nofrills at 2006年12月21日 18:40
最近(2007年4月)のモスクワでの動きについて、検索などでこのページにたどり着く方が少なくないようなので補足しておきます。

4月13日(金)に英国の全国紙(大新聞)のひとつ、ガーディアンに、「ボリス・ベレゾフスキーがプーチン政権に対する革命を計画」というインタビューが掲載。(ベレゾフスキー自身がそう語った。)ガーディアン記事(音声つき)は下記にリンクしてあります。
http://nofrills.seesaa.net/article/38686201.html

それと関係があるのかないのかはわかりませんが(カスパロフは「あれはただのPRスタントである上に、我々の活動に悪影響を及ぼしている」とコメントしていますし、特に関係はないだろうと思いますが)、14日(土)にモスクワでカスパロフらのOther Russiaによる反政府デモ。
Putin opponents step up pressure
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6554699.stm

このデモでは警察9000人が出動(一部は機動隊)、当局は「法を破った者は誰でも強硬に対処する」と警告。(まるで1972年1月30日の北アイルランドのデリーのようだ。。。)

Other Russiaのカスパロフとカシヤノフは「デモには出ないように」と警告されていた。(「誰によって」かは記事に書かれていないので不明なのですが、別の記事によるとthe prosecution office、つまり検察がそういう警告をしたようです。)

デモの写真レポート:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_pictures/6555811.stm

このデモでカスパロフは逮捕され、数時間後に40ドルほどの罰金を払って釈放(罪状はpublic order offences、つまり「公共の秩序を乱した」罪)。
Kasparov arrested at Moscow rally
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6554989.stm

逮捕時の様子を上記BBC記事から:
He said he had been "walking with a group of people along the pavement without any slogans" when riot police had surrounded them.
カスパロフは「何もスローガンなしで、歩道を人々の一団と一緒に歩いていた」ところ、機動隊に囲まれた。

"They grabbed everyone without distinction, without asking any questions," he said.
「機動隊は誰が誰という区別もつけず、何も質問もせず、とにかく誰も彼もを連行した」とカスパロフ。

Before being pushed away, he shouted: "Tell your leaders that this regime is criminal, is a police state. They arrest people everywhere because they are scared stiff."
押しやられる前に、カスパロフは「あなたがたの指導者に、この政権は残酷だと、警察国家だと伝えてください。怖くてたまらないから、どこでも人々を逮捕しているのです」と大声で叫んだ。

逮捕されたのは少なくとも170人で、中にはジャーナリストも含まれていた。(上記の「BBCの写真レポート」の最後の写真が、「連行されるカメラマン」をとらえています。)

カスパロフについては「チェスの世界王者」として英国でも有名で、BBCが人物紹介記事を複数出しています。一例。
Russia's outspoken chess genius
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6555377.stm

それから15日(日)は、サンクトペテルブルクでデモ。参加者数は主催者が思ったほど伸びなかったが、デモ参加者と同じくらいの人数の警官が出動し、デモ隊を取り囲み、行進を妨げた。(集会は行なわれたが、行進は当局によって禁止されていた。)小規模な衝突があり、数名が逮捕。逮捕された人たちのなかにリモーノフの名前が。
Russian opposition in fresh rally
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6556739.stm

また、サンクトペテルブルク市外からデモに参加しようとしていた人たちも拘束されたそうです。(人名を含む箇所を記事から引用= A number of participants had been detained on arrival in the city, including the leader of the Pora youth movement Andrey Sidelnikov and Olga Kurnosova, the local head of Mr Kasparov's United Civil Front.)

エコーモスキーのレポーターによると、市街はまるで軍事作戦の様相(A reporter for the private Moscow Echo radio station said before the rally that he saw interior ministry troops and a water cannon in the city, adding that people could be forgiven for thinking a military operation was about to start.)。何人かは警官に殴られた。年輩の男性も殴られていた。

また、サンクトペテルブルクの状況を伝える記事の末尾に、前日にモスクワで逮捕され罰金刑となったカスパロフのコメント@釈放後:
After being released Mr Kasparov said: "It is no longer a country... where the government tries to pretend it is playing by the letter and spirit of the law."
「これはもはや国ではない・・・ここでは政府は、文字と法の精神によってプレイしているふりをしようとしている」

Posted by nofrills at 2007年04月16日 01:36
モスクワの現場で取材していた毎日新聞の杉尾直哉記者が警察に殴られて怪我をされたそうです。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20070415k0000m030061000c.html
[quote]
 デモ隊が並木道に入ったところだった。突然、ヘルメット姿の特殊部隊が行進を阻止し、デモ参加者に突入してきた。「うあー!」。こん棒で容赦なく殴られ、悲鳴を上げる参加者。現場を取材していた記者(杉尾)の頭にもこん棒が振り下ろされ、眼鏡が自分の血で真っ赤になった。

 記者はカメラを持ち、ロシア外務省発行の記者証を首から提げていた。こん棒を持った特殊部隊員がこちらに向かって来た時、目が合い、手を上げ、ロシア語で「参加者ではない」と説明しようとしたが、次の瞬間には頭をたたかれていた。

・・・

 負傷した杉尾記者は14日、モスクワ市内の病院で、頭部を4針縫う治療を受けた。毎日新聞モスクワ支局は日本大使館に状況を説明するとともに、ロシア外務省に文書で抗議を申し入れる予定。
[/quote]
Posted by nofrills at 2007年04月16日 13:55
金曜日(20日)、カスパロフが警察の尋問を受けたとBBCに記事が上がってます。

Russian police question Kasparov
Last Updated: Friday, 20 April 2007, 10:57 GMT 11:57 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6575371.stm

記事に書かれていること:
カスパロフはラジオでのインタビューで過激なことを述べたとの疑いでロシアの治安当局の尋問を受けたと語ったが、本人はどうということはないと言っている。

伝えられるところによると、治安当局の建物での尋問に向かうカスパロフは意気軒昂であった。

カスパロフは「検察はFSBを通して、当局についての犯罪的発言の中で犯罪行為の痕跡がないかどうか突き止めようとしている」と述べていたとロイター通信は伝えている。

先週末の反政府集会では彼は逮捕されることになったが、彼はその立場は正しいものであるとのスタンスを変えていない。「ロシアの政治的・公的life(<このlife、情けないですが意味断定できません)と法律学にとって、重要な時を迎えていると思う。というのは、明らかに、政治活動であればどのようなものであっても刑法で対処しようとしているのですから」

カスパロフのウェブサイトのステートメントによれば、カスパロフが先日の反政府デモの前にラジオのインタビューと新聞記事で述べたことについてFSBが尋問を行なっている。

また、カスパロフはデモで逮捕されたことについて警察に苦情を申し立てる予定であり、彼のグループ(the other russia)の活動はロシアの憲法によって守られていると主張している。

・・・というわけで、カスパロフがラジオや新聞でどんなことを言っていたのかは、BBCの記事ではわかりません。

私もそう興味があるわけではないので特に調べませんが、興味がおありの方は、Radio Free Europeあたりを当たるのが最も早いかと思います。
Posted by nofrills at 2007年04月20日 21:44

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼