kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2012年10月16日

CBFCFのウェブサイトが消えていることを確認した。

ほぼ1年と1か月前、こんなエントリを書いた。

2011年09月20日 busbylab.comなるサイトからたどってみたら、「パーキンソン病と幹細胞」(?)に行き着いた。
http://nofrills.seesaa.net/article/226758902.html

2011年09月23日 busbylab.comなるサイトについてのアップデート
http://nofrills.seesaa.net/article/227232604.html

それ以降、継続的にウォッチしてきたのが、下記だが:

「バズビー基金 (CBFCF)」についての調べ物まとめ (9/18〜28)
http://matome.naver.jp/odai/2131715965328992001


これが先ほど、pp. 22-23をもって更新終了となった。つまり、ずいぶん前に閉鎖されていたbusbylab.comを含む関連サイトだけでなく、「総本山」だったらしいCBFCF.orgも、閉鎖を確認した。



おりしも「iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った世界初の臨床応用が行われた」云々の誤報(「臨床応用した」と語っている研究者が、とんでもないデタラメさんだった件)が「大ニュース」となっているときに、何年か前に「難病には幹細胞医療ですよ、奥さん!」的なデタラメをしていた人たちの名前が、昨年の「福島の子供たちを守れ」云々の美しいスローガン(ただし中身はゼロ)の背後にもあった、などということを振り返るという奇妙な偶然。

デタラメな人といえば、【上杉隆事務所より重要なおしらせ】(2012年10月15日)なんてのもあって、さらに英語圏でもすさまじいことが起きているのだが、なんかもう、デタラメな人に割く(割いてしまう)時間がもったいないっすよね。

そういうときに、CBFCF.orgという「大物」が完全終了したことが確認できたのは、よかったと思います。

しかし……(典型的ホラー映画の結末のように)




いやぁ、ここね、「モナコのBallの資料より抜粋」とかって掲載されてる写真が、どう見ても普通の「モナコのrose ball」ではありえないとか(これを見て「モナコの社交界ってすてきぃ」と思う人がいるのだろうか)、いろいろと楽しめましてよ!



この、同じ人類とは思えない美女、アイシュ様よね。

それとバズビー基金のときに懲りたのか、少しは日本の法律のことを勉強したのか、こんなことになってますわね。



東京の住所をGoogle Mapで:
http://goo.gl/maps/i3qVa

「新宿」じゃなくて「西新宿」だと都庁なんですよ。関係ないけど。
http://goo.gl/maps/Tmr54

大阪の住所はバンタン大阪校と同じ?
http://goo.gl/maps/TWk2y

愛知の住所は「愛知県豊明市沓掛町小廻間」ですね。
http://goo.gl/maps/ZKUob

※この記事は

2012年10月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼