「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年10月13日

北アイルランド、妊娠中絶、そしてドーン・パーヴィスの新しい仕事。

ややステレオタイプ的な書き方だが、北アイルランドで、プロテスタントとカトリックの区別なく人々の意見が一致することはめったにない。その数少ない例外が、「妊娠中絶」だ。正確には、pro-life(中絶反対)。

イングランド&ウェールズは1967年に定められた「中絶法」があり、スコットランドもそれを採用している。しかし北アイルランドはこれの適用範囲外である(1967年当時はユニオニスト独占の自治政府があった)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Abortion_Act_1967
The Act does not extend to Northern Ireland, where abortion is illegal unless the doctor acts "only to save the life of the mother" or if continuing the pregnancy would result in the pregnant woman becoming a "physical or mental wreck." The situation is the same as it was in England before the introduction of the Abortion Act 1967. The Offences against the Person Act 1861 and the Criminal Justice Act (Northern Ireland) 1945 remain in full force.


というわけで、北アイルランドでは妊娠中絶は非合法ではないが、厳しく管理されている。合法的中絶は錠剤を使用して行なわれるもののみで、妊娠の継続および出産が母体の健康状態に深刻な影響をもたらす場合に限られている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Abortion_in_the_United_Kingdom#Northern_Ireland

一方、ボーダーの南側のアイルランド共和国では、基本的には、女性はアイルランド国外に出ないと妊娠中絶ができない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Abortion_in_the_Republic_of_Ireland

……というコンテクストでの、これである。

「選択 choice」を求める動きが、アイルランド島で本格的に始まった。
http://matome.naver.jp/odai/2134993788054022501


来週にならないと本格的な動きは始まらない(ステートメントなども出ない)のだけれど、今週出た分だけ先に「まとめ」ておいた。また動きがあれば書き足すことになる。

とにかく特筆すべきは、この新たな動きの「顔」になったのが、元PUP党首のドーン・パーヴィスということだ。



※この記事は

2012年10月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼