「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年10月11日

「MI5は用済みの人間はポイっと捨てる、そんなことはわかっていたのでは」

北アイルランドという人口160万人程度の規模のコミュニティで30年以上も続いた「紛争 the Troubles」の中、最も「醜い」ことになったのは、英治安当局が主導して行なった「スーパーグラス supergrass」(密告者)作戦だった。

例えば、全体としてはハッピーでスウィートな映画『プルートで朝食を』は、1970年代の北アイルランド紛争を背景としていてところどころとてつもなく陰惨なのだが、その陰惨なセグメントのひとつは「スーパーグラス」に関係している。すなわち、後頭部に一発、ズドン。弾丸を無駄にせず、確実に始末する方法。IRAの鉄の掟。

英当局が「スーパーグラス」としてリクルートしたのは、そのコミュニティ内部の若者だった。つまり、IRAに入ることがまったく自然であるような、ワーキングクラスのカトリックの、特に学があるわけでもなく仕事の口も見つからないような若者。

そういう彼らに声をかけるとき、英当局は「そこそこのカネになる」、「人命を救える」(IRAの攻撃を事前に察知して阻止することで、結果的に犠牲者の発生を抑止できる)と言い、同時に、「まずいことになったら逃してやる」、「新たな住所、名前と身分を用意する」、「補償金が出るので、将来の収入の保証もある」として説得した。

そういったことは、後に自分が「スーパーグラス」だったことを公にすることになった人々の著作などに書かれている。日本語訳があるものとしては、マーティン・マガートランドの手記がある。(彼の手記は、Fifteen Dead Men Walkingとして映画化もされているが、根本的な部分がデタラメに改変されてしまっていて、マガートランド本人が怒っているありさまだ。)

4821105691IRA潜入逆スパイの告白
マーティン マガートランド Martin McGartland
ぶんか社 1997-10

by G-Tools


こんな例が複数件あるので、9日に下記のようなツイートを見たときも、何かまたテレビ番組があったのかな、今度の証言者はマガートランドかフルトンか……みたいなことを思っただけだった。




IRA supergrass Raymond Gilmour 'abandoned' by MI5
9 October 2012 Last updated at 10:34 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-19829532

レイモンド・ギルモア。1959年、デリーのクレガンに11人きょうだいの末っ子として生まれる。いとこのヒュー・ギルモアは、1972年1月30日にボグサイドで英軍に射殺された13人の1人(ブラディ・サンデー)。当時12歳だったレイモンドもあの日のデモの現場にいた(資料映像を見ればわかるが、あの日のデモは銃撃が始まるまではお祭りムードで、子供たちも大勢、街頭に出ていた)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Raymond_Gilmour

学校からドロップアウトして窃盗、強盗などの犯罪を重ねていたレイモンドは、逮捕されて放り込まれたクラムリン・ロード刑務所(ベルファスト)で、カトリックのコミュニティの自警団として活動していたIRAからシメられる。警察から徴募されたのはこのころだそうだ。

警察のエージェントとなった彼は、最初は、友人たちが入っていたのでという理由で、INLAに加入する。それから2年間INLAで活動した後、警察の指示で組織を抜けて、同じ年に結婚する(この結婚では2人の子供ができた)。

そして何か月か経過したころ、警察の指示で今度はIRAに入る。そこでデリーの作戦実行部隊の一員(主に逃走用車両の運転手)として活動しつつ、警察に情報を流していたが、1981年11月に警察に逮捕される。

In November 1981, he was arrested by the RUC, along with two other IRA members, on their way to carry out a shooting attack on riot police, who were combating disturbances arising out of the 1981 Irish Hunger Strike. Gilmour was sent on remand to Crumlin Road Prison. After a riot that destroyed much of the republican wing there, he was transferred to the Maze Prison. His RUC handler then applied pressure on the authorities for his release, he was freed on 1 April 1982.

こうして1982年4月に刑務所を出た彼は、その4か月後、IRAをやめて警察の保護下に入る。彼の流した情報に基づいて警察が動き、IRAの武器が押収されたことで、組織から彼が情報を流しているのではないかと疑われたためだ。
He left the IRA and went into protective custody in August of that year, as he believed that his position in the IRA was about to be discovered after his information led to the capture of an M60 machine gun. Around 100 IRA and INLA members were then arrested in Derry on his evidence, of whom 35 were charged with terrorist offences.

「その後、彼の証拠に基づいて、デリーで100人ほどのIRAやINLAメンバーが逮捕された。うち35人がテロ行為の容疑で起訴された」。

この年の11月、レイモンドのお父さんがIRAに誘拐された。殺されはしなかったそうだが、1年近くもどこかに監禁されていたそうだ。(映画『父の祈りを』でのお父さん、ジュゼッペの扱いを見て「イギリスはひどいことをする」と憤っていた人は、IRAも英当局と変わらないことをしていたということを知っていただろうか。北アイルランドの当事者でもない立場の者が「イギリスはひどいことをするから、私はIRAを支持する」という選択をすることで解決するような問題など、ないのだ。)

レイモンド自身は警察の保護下に置かれ、逮捕された約100人のうちの35人が起訴されたとき、北アイルランド紛争関連の裁判についてのみ認められていた陪審なしの特別裁判(ディプロック法廷)で証言を行なった。ほかに証人はいなかったが、最終的に、判事はレイモンドの証言は信用できないと判断を下した。

……といったことが、ウィキペディアには書いてある。

レイモンド・ギルモアはグッドフライデー合意のころには手記も出している。(私は未読である。)

0751526215Dead Ground: Infiltrating the IRA
Raymond Gilmour
Time Warner Paperbacks 1999-01-07

by G-Tools


そのレイモンド・ギルモアが2012年10月の今、BBCの記事(インタビュー映像あり)になっているのは、彼が警察の情報屋になったときに約束された生活保障が、実際には与えられていないためだ。

(これ自体、nothing newである。)

10代でRUCにリクルートされ、INLAとIRAに潜入して情報を流してきた彼がリパブリカン武装組織にいられなくなったのは20代初めで、彼が証言を行なった裁判が(彼の証言は信用できないとの理由で)ポシャったのが1984年、彼が25歳のときだ。

それ以来、彼は偽のアイデンティティで北アイルランドから離れたところで生きてきたのだが、ほかのスーパーグラスと同じく、「新たな人生」など送ることはできていない。PTSDとアルコール依存という問題をかかえ、約束されていた生活保障もない。

Mr Gilmour, who is from Londonderry and has lived under a false identity for 30 years, claims his MI5 handlers promised him £500,000, a new home, psychiatric support and a pension.

However, he said he was provided with modest accommodation and £600 a month for three years and was not provided with employment. He also said his false identity does not stand up to scrutiny.

http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-19829532


今回、自分の選挙区選出の下院議員(レイモンドの居場所の特定につながる議員の名前をBBCは公開しないことにした……賢明で、なおかつ通常の判断である)の支援を受けて、諜報機関に対するこのような訴えを調査する機関、Investigatory Powers Tribunal (IPT) に事態を持ち込んでいるという。

"I brought the INLA to their knees in Derry, I brought the IRA to their knees in Derry and I saved countless lives," he said.

"If I'm being treated like this after so many years, what do you think people down the chain are being treated like?

"I am living on a knife edge because of my mental health, I have no financial stability, which I was promised - I have nothing."

http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-19829532


BBC記事がこういう話だけで終わっていたら、私もぐるぐると考えることはなかったし(基本的に、MI5のこのような行動は既知である)、エントリを書くこともなかっただろう。

BBCの記事は、 By Colin Campbell (BBC South East Home Affairs Correspondent) という署名の入った記事で、私はこの記者の名前はこれまでに見たことはないと思うが、火曜日にBBC South East(イングランド南東部……)で放送されるレポートの概要を示した記事だ。

そして記者は、「両サイド」に話を聞いていて、それを私たちに伝えている。

この場合、「両サイド」(「両」というのは言葉のあや)とは、レイモンド・ギルモア本人、MI5(コメントするわけがない)とNIO(少しコメントあり)、IPT(コメントしない)、および彼が潜入していたリパブリカン武装組織、そして北アイルランド紛争のもうひとつの当事者であるロイヤリスト/ユニオニストの側の政治的代表者だ。

ユニオニストの側からは、英国下院議員であるイアン・ペイズリー・ジュニアがコメントしている。北アイルランドの「ユニオニズム」の政治家の発言を見るときに、「親英」=「英国政府のことを批判しない」と前提しているととんだ間違いをおかすことになる、という実例のひとつだ。(こういうところは北アイルランドの政治家は筋が通ってると思う。)
Ian Paisley Jr, the Democratic Unionist Party MP for North Antrim, said he had sympathy for anyone who had risked their life and the government had failed to protect them.

"An agent - that's who we're talking about - who worked for the government in the dirtiest war ever this side of Kosovo should be protected and given his contractual obligations," he said.

スーパーグラスであったとはいえ、レイモンド・ギルモアはINLAやIRAのメンバーとして、デリーで英軍を襲撃していた当事者だ。その彼について、DUPの、それもあのイアン・ペイズリーの息子からこういう言葉が出るようになっているということは、「和平プロセス」の終着点という点で非常に興味深く、また心強いことである。(同じDUPでも、デリーのキャンベルなどは全然別のことを言うだろうけれども。)

一方で、文字通りhauntingなのが、シン・フェインからの反応だ。
Former Sinn Fein publicity director Danny Morrison said: "There will be no love lost for him, no sympathy for him and it doesn't come unexpected that when MI5 are finished with people they discard them."

ダニー・モリスンのこの言葉が、じわじわと、自分の思考を侵食する。

レイモンド・ギルモアは、自身の過去の行為について、「人命を救った」と言う(情報を警察に流すことで、INLAやIRAの標的となっている人物を遠ざけたり、警察の配置で身動きを取りづらくしたりしたことは事実である)。彼が人命を救いたくてスパイになったのか、それとも人命を救ったのは結果的なことにすぎないのかは、彼本人でなければわからない。彼本人にももうわからないだろう。30年にわたって隠れ住み、記憶は何度も重ねて改変されているだろう。

その彼の苦境について、シン・フェインの(かつての)プロパガンディストNo. 1は、「MI5は用済みの人間はポイっと捨てる、そんなことはわかっていたのでは」と言い放つ。

汚い、汚い戦争。

In 2007, Gilmour publicly voiced his desire to return home to Derry, asking Martin McGuinness for assurances of his safety. ... McGuinness said Gilmour must decide for himself whether or not it was safe to return to Derry and that he was not under threat from Sinn Féin, nor - he believes - from the IRA. He said if exiles such as Gilmour wanted to return home, it was a matter for their own judgment and their ability to make peace with the community.

http://en.wikipedia.org/wiki/Raymond_Gilmour


See also:
Spy killing – a dirty war – and Denis Donaldson's death – by Brian Rowan
April 24, 2012
http://eamonnmallie.com/2012/04/spy-killing-a-dirty-war-and-denis-donaldsons-death-by-brian-rowan/



※この記事は

2012年10月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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