「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年12月15日

【リトビネンコ事件】ザカーエフのインタビュー@BBC、など。

特に書かずにいた数日の間も、リトビネンコ事件ではあれこれと動きがあった。

まず、ドイツのハンブルクのフラットからもポロニウム210の痕跡が発見された。11月1日にリトビネンコと会ったロシア人ビジネスマン、ドミトリ・コフトゥンの前妻のフラットで・・・って「前妻」とか出てきた時点で私は頭がパンクした。何人出てくるんだ。。。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/6163667.stm
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/6173325.stm

関係者はポロニウムの影響は受けているが、健康に問題を及ぼすような状態ではない、とのこと。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6169193.stm

で、BBCが11日に、「キーとなる人」のまとめ記事を出した。リトビネンコ、ルゴボイ、コフツン、ソコレンコ、スカラメッラの5人についてのざっくりしたプロフィールと写真。特に新しい情報はないし、これでは少なすぎると思うが(アレックス・ゴールドファーブをはじめとする「友人たち」の何人かは、確実に、キーパーソンだろう)、便利なことは便利だ。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6170249.stm

それから、14日に、リトビネンコは実は11月1日より前に毒を盛られていたのではないかとの報道が出ている。
http://news.scotsman.com/international.cfm?id=1855702006

ルゴボイがモスクワのタブロイド、Moskovsky Komsomolets に語ったところでは、ルゴボイとリトビネンコは10月16日に毒を盛られている、とのこと。ルゴボイとリトビネンコが訪れたセキュリティ会社のオフィスからポロニウム210の痕跡が見つかっているが、彼らがここを訪れたのは11月1日ではなく10月半ばである、とルゴボイは述べているそうだ。コフツン(医師は被曝と診断している)も、10月半ばにロンドンでリトビネンコと会ったときに自分はやられたと述べているとのこと。

以上は前菜で、これからがメイン。。。まるでイタリア料理のフルコースですな(オナカイッパイと思ってるのにまだパスタが!みたいな)。

アフメド・ザカーエフがBBCの取材に応じている。

I will not be silenced, says Russia critic
By Steven Shukor
BBC London
Last Updated: Thursday, 14 December 2006, 05:21 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/6175627.stm

記者は、メディアの取材を調整しているパブリック・リレーションの会社のピカデリーにあるオフィスでこのインタビューを行なった。(このPR会社というのは、ロード・ティム・ベルの会社だろうか? 記事に書かれていないのでわからないが……ピカディリーにはこの手の会社はいくつもあるだろう。)

挨拶で握手を交わすのに迷いがあった、と記者は書いている。ザカーエフがポロニウムにやられているのではないか、と恐れていたためだ。(ポロニウムは汗にも含まれている。)握手を交わす前に、記者は検査を受けたかどうかを尋ねる。やや間を置いて、ザカーエフが「受けた」と答えたのを通訳者が伝える。そして陰性だったことを確認してようやく、記者は安心することができた。しかし、PR会社のオフィスのスタッフが用意した水には口をつける勇気はなかった、という。

11月1日、ザカーエフは都心部からマズウェル・ヒルの自宅に帰るリトビネンコを、車で送っている。2人はマズウェル・ヒルで隣人である(これまでの報道を見たところ、本当に隣で、それらの家はベレゾフスキーが手配したものであるとのこと。報道写真で見ると、最近建てられたテラスト・ハウスのようだ)。

その車中で、リトビネンコはその日にイタリア人のマリオ・スカラメッラから受け取った書類を読み上げた。

以下、記事の概要:
ザカーエフはリトビネンコが名前を読み上げるのに耳を傾けた。彼が読み上げているのはロシアの政治的反体制派のヒットリスト(殺す標的のリスト)だった。

この書類には、アンナ・ポリトコフスカヤの暗殺(assasination)についての情報が書かれていたとされている(it has been alleged <事実として確定していないということ。この時点でBBC記者がこう書いているということは、ザカーエフは書類そのものは見ていない、ということを意味するのか?)

書類にはクレムリンの敵のリストが含まれていた。ロシアのシークレットサービスに消される標的だとされている(allegedly)。リストには、スカラメッラやリトビネンコの名前があった。

ロンドン北部に向かう車中で、リトビネンコはザカーエフに、あなたもリストに載っていますと告げた。

「私は驚きはしなかった」とザカーエフは言う。彼は亡命しているチェチェン政府の外務大臣で、プーチン大統領を激しく批判している。「彼らが私をやりにくるだろうということはわかっているので」

その夜、リトビネンコは具合が悪くなり、その2日後に入院した。そして11月23日に死亡した。ポロニウム210が原因と思われる(apparently)。

・・・ってちょっと待った。「その2日後に入院した」? 原文では、Mr Litvinenko fell ill later that night and was hospitalised two days later. となっている。誤訳はしていない。

聞いてないな・・・と思ったら、10日更新のBBCのタイムラインには次のようにある。
4 NOVEMBER

After three days of sickness and stomach pains Mr Litvinenko is admitted to Barnet General Hospital, north London.

つまり、地域総合病院に入院したのは具合が悪くなった当日(およびその日の夜中、日付が変わって数時間内とか)ではなく、4日。うーむ。私が見落としていただけかもしれない。。。これだから情報が錯綜しているのはいやよ。

とすると、11月24日のタイムズのインタビューで、ルゴボイが、
「翌日に仕事の話をすることになっていたのだが、朝早くにアレクサンドルから電話があり、体調がよくないので、取引先には自分抜きで向かってもらえないかと言う。7日に改めて電話をすると、まだ体調はすぐれないという話で、1週間したらまた電話をくれないかと言っていた。13日に電話をすると、彼の奥さんが電話に出て彼につないでくれた。いかにも具合が悪い人という感じの声をしていた。」

と語っていた部分の「翌日……朝早くにアレクサンドルから電話があり、体調がよくないので、取引先には自分抜きで向かってもらえないかと言う」の部分は、まったく矛盾しない。ただし「7日に改めて電話」したときに本人が電話口に出たというのはありえないし、「13日に電話」したときに「奥さんが彼につないでくれた」というのも謎だが。(←修正:詳細はここ

記事の先に行こう。
ザカーエフは47歳。

・・・たびたび止まってすみません。47歳? 60歳に見えます。

アンナ・ポリトコフスカヤは2002年にロンドンでザカーエフにインタビューしたときに、目の前の「ごま塩頭」に「昔の面影を探」した、と書いているのですが、昔の面影など知らない私にも、この風貌で「47歳」はショッキング。「万年青年」的なルックスだったもののこの2年くらいでがくっと年を取ったこのおっさんより6歳も若い。。。

話を戻します。
ザカーエフは47歳。第一次チェチェン戦争で野戦司令官だった彼は、2003年11月に英国への政治亡命が認められたが、ロシアからの引き渡し要求が出されていた。ロシア当局は、ザカーエフは2002年のモスクワの劇場占拠事件の準備を手伝ったとか、1996年から1999年の間にテロ行為に参加したとしている。ザカーエフはこれを否定している。

現在、ザカーエフはリトビネンコ殺害事件のロンドン警察の捜査で、重要な証言者である。

「英国が安全な避難場所を提供してくれたことに大変に感謝している。自分の家に住むことができない場合、英国よりよい場所はない。サーシャ(=リトビネンコ)も私も心からそう思っていた。安全の話になると、サーシャはいつも、ロシア当局は英国内にいる私たちには決して手を出そうとしないだろうと言っていた。」

ロシアでは、リトビネンコとザカーエフはチェチェン紛争(Chechen conflict)のあちら側とこちら側にいて活動していた。リトビネンコはそれを不当な戦争と感じており、そのことで雇い主に幻滅を覚えるようになったのだ、とザカーエフは言う。

ふたりはロンドンで、ベレゾフスキーの庇護のもとでつながりを持った。彼らの輪は、オレグ・ゴーディエフスキーやウラジミール・ブコウスキーら、前の世代のロシア人亡命者まで含むように広がっていく。

オレグ・ゴーディエフスキーは1938年生まれ。亡命は1985年。KBG職員で英国に亡命した人では、この人が最も位が高かったそうです。そもそも1968年の「プラハの春」でソ連に幻滅してMI6のスパイになったそうです。(逆にMI6からモスクワへの亡命だと、「ケンブリッジ4」のキム・フィルビーとかがいる。)

ウラジミール・ブコウスキーは1942年生まれ。元反体制活動家で、政治犯として逮捕・投獄され拷問されてきた。収容所ももちろん経験している。1971年に西側に逃げて、1976年から英国のケンブリッジに在住。

両者とも、「ソ連」時代の亡命者です。

ちなみに、ボリス・ベレゾフスキー(1946年生まれ)のロシアからの脱出が2001年、亡命が2003年。アレクサンドル・リトビネンコ(1962年生まれ)は2000年にウクライナからトルコを経由して英国の空港でポリティカル・アサイラムを申請、2001年にそれが認められて2006年10月に市民権を獲得。

ザカーエフは、ロシア政府がリトビネンコ事件の捜査協力と引き換えに、再度、彼の身柄の引渡しを要求してくるだろうと考えている。

ロシア側はロシア側で事件の捜査を始めているが、ロンドンでならロシア捜査官の聴取に応じてもよい、とザカーエフは述べた。

クレムリンはザカーエフのように体制に反対する声を上げる人間を黙らせたがっているのだ、と主張する。

「私には恐れることなど何もない。なぜなら、彼らが私を抹殺するためには何でもやってみるだろうということはわかっているからだ。何も恐れるものがなくなったときに、人は反体制派(dissident)になる。彼らにとって最も重要なのは、私を黙らせることだ。私がそうすれば、サーシャを殺したことで彼らの目的は達成されることになる。しかし私は沈黙はしない」

インタビューで話したことがこんな抽象的な話ばかりだったとも考えづらいので、また記事が出ないかどうか、注意して見ておくようにします。

とりあえず、検索してみたら12月7日のロイター記事がありました。
"Not one of the political leaders of Western countries who were meeting under Putin's chairmanship in the Group of Eight made any protest about this," Zakayev told Reuters in an interview.

"They didn't say 'we won't allow Russian special services to carry out murders in our countries.' Putin took their silence for approval, and he began to implement these laws."

...

"I think responsibility for everything that's happening today in Russia lies not just with the G8 but all leaders of Western countries, European countries, who one way or another have helped to strengthen and establish this criminal regime in Moscow," Zakayev said.

"The fact that Russian democracy and freedom of speech has been betrayed -- the responsibility for that lies with those who today welcome Putin with outstretched hands and call him a crystal pure democrat."

He said Western reliance on Russian oil and gas supplies was no excuse for passivity.

"Today Europe doesn't just get energy from there (Russia). They get polonium 210, they get the dirty bomb, they get dirty money, they get corruption, crime," Zakayev said.

"If today, this country that occupies a sixth of the earth, on whose territory is concentrated tons of bacteriological, chemical and biological weapons, isn't taken under control and questions aren't asked about the responsibility of the man in charge and the government, that will be a danger for the whole world."


※この記事は

2006年12月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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