「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年10月03日

「ごらんなさい、と写真は言う。」

今日の午後、画面の中にまた聞いたことのない地名が連続して流れてきていた。Saad Allah Square 「サアド・アッラー広場」。明らかに人名を冠した地名。行ったこともない、どういう場所なのか想像もつかない、縁のない地名。

そういた「地名」を、手触りのあるものとして――「新宿アルタ前」とか「溜池交差点」とか「お茶の水の聖橋」のようなものとして実感することは、実はできないのだけれども、単に文字情報を見ているだけで、特に努力をしなくてもそういう手触りを感じることがある。そこを行き交う人がいるということが、その人がどういう人であるかということが、容易に想像できることが。




この人のご両親が結婚式をあげたというホテルは、今日、こんな姿になった。



シリア、アレッポの中心部で連続爆破、死傷者多数(2012年10月3日)
http://matome.naver.jp/odai/2134924931682513901


ごらんなさい、と写真は言う。こんなふうなのですよ。戦争はこういうことをするのですよ。それにあの写真の、ああいうことも、あれも戦争がすることです。戦争は引き裂き、引きちぎる。戦争は抉りとる。戦争は焼き、解体し、滅ぼし尽くす。

――スーザン・ソンタグ,『他者の苦痛へのまなざし』,みすず書房,2003年(北條文緒訳)


他者の苦痛へのまなざし他者の苦痛へのまなざし
スーザン ソンタグ Susan Sontag

写真論 反解釈 (ちくま学芸文庫) 私は生まれなおしている---日記とノート 1947-1963 他者の苦しみへの責任――ソーシャル・サファリングを知る 明るい部屋―写真についての覚書

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※この記事は

2012年10月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:35 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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