「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2012年09月21日

公約を破った政治家は……(※日本の話じゃないです)

2010年の総選挙のときのことを覚えておいでだろうか。政権は労働党で首相はゴードン・ブラウン。

1997年の総選挙で地滑り的勝利を収めて以来、ずっと政権与党の座にあった労働党の傲慢さに対する不満と批判は、イラク戦争以降蓄積する一方で、そこに(何も深いことを考えていない層からの)「(新規に流入する)移民」への嫌悪が重なっていて、その頂点に沸いて出たのが「bigot発言」騒動だった。選挙運動で戸別訪問に訪れた地方の街で無知をさらけだしつつ「この町には外国人の学生が多すぎる」云々と「不平」を連ねた女性について、ブラウン首相は車の中で「なんだあの無知蒙昧なおばさんは」的なことを、bigotedという「他人を無意味に見下すような(上から目線の)」言葉を使って、述べた。それがうっかり録音されていたのでニュースで報道され、大騒ぎになった。

そのときに波に乗っているかのように見えたのが、Liberal Democrats(自由民主党: LD)だった。40代前半の党首、ニック・クレッグは、投票直前、トニー・ブレアの劣化コピーのような保守党のデイヴィッド・キャメロンとも、使い古した雑巾のように扱われていたゴードン・ブラウンとも一線を画した、「希望の星」のように見えていた。彼は、当時問題となっていたことについて、「良心的」な見解を述べ、それを党の公約としていた。つまり「学費の値上げはしない」、「国民健康保険(NHS)は緊縮財政の影響を受けないようにする」……などなど。当時は「LDは、政権はもちろん取れないだろうが、保守党と労働党の二大政党に食い込む形で、有力な第三極になるのでは」ということが言われていた。

しかし投票が済んでみると、LDは選挙前より議席を減らしていた。これは小選挙区制のせいということもあり、選挙直後、クレッグは党本部前に集まった大勢の人々に対し、「選挙制度改革に本気で取り組む」と、真面目な顔で語った。Alternative voteを導入するというこの選挙制度改革運動は、紫色をシンボルカラーにしてしばらく続いたが、実際に選挙改革についての国民投票が実施されると、圧倒的な差で負けた。

選挙後、労働党も保守党もどちらも過半数を取れていないというhung parliamentの結果が出て、LDがキーを握った。LDがどちらの党と連立するのか……労働党も粘ったが(正直、うっとうしかった)、数日かけて出た結論は、保守党とLDの連立政権だった。

そのときは、保守党単独よりはいいんじゃない、的な受け取られ方をしていたと記憶している。私自身もそう思った。

しかし、実際には、LDは保守党に対して何ら歯止めにはならなかった。

LDは、公約にうたっていた「緊縮財政反対」を次々と破った。大学の学費は値上げされ、NHSはズタボロになった。一方でシティや銀行は守られている。

クレッグは、何一つ、公約を守れなかった形だ。

そして彼は、いさぎよく謝罪することにした。(守れなかったこと全てについてではなく、ひとつについて。)


カメラの前で、悲しそうな顔をして、シンプルな白いシャツを着てネクタイもジャケットも着用しないというカジュアルなスタイルで、40代の政治家はこう語った。

「約束したことが、守れませんでした。これからは、守れもしない約束は、最初っからしません」

いろいろと、「誠意」、「真摯」を感じさせるような美しい言い回しが並べられた謝罪だったが、要するにこういうことだった。

これには多くの人が呆れた。Twitterでこんな反応があったが、まさにそういうことだ。



「浮気したことは、ごめん、謝るよ。次からは、絶対に浮気しないなんて約束しないから」wwwwww

あまりの「これはひどい」っぷりに、全英が熱狂した。パロディ・ビデオが次々と作られた。

ご丁寧に、それをまとめているのがガーディアンの下記記事(こういうことをしているのは、ガーディアンだけじゃないだろうけど)。

Nick Clegg apology video: the best parodies
Thursday 20 September 2012 13.47 BST
http://www.guardian.co.uk/politics/shortcuts/2012/sep/20/nick-clegg-apology-video-parodies?intcmp=239

「悲しそうな顔で謝罪するニック・クレッグ」というオリジナルのビデオに、単に、フランコ・ゼフィレッリの映画『ロミオとジュリエット』のテーマ曲(「感傷的」のクリシェ)をかぶせただけのもの。(はまりすぎてて笑える)

映像はクレッグだが、音声が別の(ミーム化した)「謝罪」にサシカエられているもの。

メキシコ湾の原油流出の際のBPのトップ(英国人)の謝罪を『サウスパーク』がネタにしたのとのマッシュアップ。

「本音」を字幕にしてつけたもの(これが秀逸)。

そして、私がうっかりこれを見てしまってからずっと頭をぐるぐるして困っている、オートチューンのビデオ。このサビの、There's no easy way to say we're sorry. のところの no の、本当にすばらしいオックスブリッジ発音のゆがませ方(ゆがみ方、ひずみ方、かも)がクセになる。



The Pokeという「うそニュース」サイト(アメリカのThe Onionのような)のネタだが、天才すぎる
http://www.thepoke.co.uk/

(The Pokeは昔、「IRAのメンバーが、『バラクラバ焼けした』との理由で、指導部を訴える」というバカの極致のネタを出していたことがある。)

ガーディアン記事のコメント欄より。


この件、さらにオチがつく。

誰かが「クリスマスのシングルチャートでトップにしようず」と言い出したのが、まあ、そこまでは間がもたんだろうと言いつつ、実際にこの曲をiTunesで販売するということが立案された。

そしてオリジナルのスピーチの主であるニック・クレッグに打診したところ、収益をシェフィールドの子供NHSトラストに寄付するという条件で許可が出た。




現在、The Pokeではジャケのデザインを募集中である。
http://www.thepoke.co.uk/2012/09/20/hell-of-a-day-at-the-poke/




【追記】ガーディアンが天才にインタビューしている。

Nick Clegg apology song: 'It doesn't really have a message'
Friday 21 September 2012 13.30 BST
http://www.guardian.co.uk/politics/blog/2012/sep/21/nick-clegg-apology-song-alex-ross

スピーチを曲にしたのはアレックス・ロスさん(28歳)。Goldmanというバンド(非常に聞きやすいポップソング)をやっている音楽プロデューサー。
http://www.alx.co.uk/music.html

ロスさんがこれを作ったのは、前からつきあいのあるThe Pokeからの打診を受けてのもの。「オートチューン」とはいうものの、ソフトに丸投げしたわけではなく全部手動で、曲は以前書いただけでお蔵入りしたものを使った、とのこと。制作時間は6時間くらい。ネタが死ぬ前に出さないと、ということで作業を急いだらしい。

この一問一答形式にまとめられた記事で、ロスさんは「自分は政治的な人間ではなく、ただ楽しいポップソングが作りたいだけ」と述べている。

そのことについて、コメント欄では「だからこのパロディはイマイチつまらないんだ」、「自称中立でつか」的な書き込みがなされているが、Yawn, yawn, yawn.

クレッグ本人が(そんなんが通じると判断した根拠はわからないが)「真摯な謝罪、誠意ある態度」を大真面目に打ち出したのが、こういう「徹底したポップソング」に変換されたということは、それ自体の「政治的な意図のなさ」ゆえに、めちゃくちゃ政治的なものになっている。

「政治的であること」が「クール」ではない時代。レディガガみたいなのが「政治的なアティテュード」としてもてはやされ、マーケティングされる時代。

砂糖をまぶしたポップソングに変換されてしまう「政治」。

「浮気したのは悪かった。これからは浮気しないなんて誓わないから」と言い換えられてしっくりきてしまう「政治家の謝罪」。

ははは。

※この記事は

2012年09月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:59 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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