というか、20年前に「生きた英語」というセットフレーズにつきまとっていた強迫観念は――「おまえが学校で習ったそれは、『生きた英語』ではない」という呪詛か恫喝のような強迫観念は――、今もリアルなものなのだろうか。
そんなことを思わせられたのは、下記のこれを含むツイートがTLに流れてきたときだった。これ、基本的には「生きた英語」信仰の典型。プラス、英語(に限らず外国語)を真剣に学ぶとか、それを使って何かをするということをしていない人の聞きかじりで生じた情報の歪み。
Twitter Trackbacks for ”How are you?”“Don't mind!”“What time is it now?”は死語だった! [livedoor.biz] on Topsy.com via kwout
「死語だった!」じゃねーーよ。フカしてんじゃねぇよ、どタコが。
つまり、デタラメもいいところである。
"Don't mind."(運動部がよく使う「ドンマイ」)は、「死語」とかそういう問題ではなく「そもそも英語ではそのような言い方はしない」というもの、つまり「和製英語」だし、"How are you?" が「死語」だと言い張るのなら、日本語での「おはようございます」(rather than「おはよーっす」)や、電話の挨拶で「お世話になります」とかいったものも「死語」だ。
*「"How are you?"は死語」というのは、なぜか消えない「都市伝説」のようなものになっているが、その言説で言いたいのは "How are you?" -- "Fine, thank you. And you?" という古典的なやりとり(私は教科書でこれを習った)における応答の "Fine, thank you. ..." 云々が「古臭い」、ということである(それを使うべきフォーマルな場面というのもないわけではない)。それを、英語なぞろくに使いもしない人たちが伝聞情報として伝える間に、情報が歪んでしまうのだろう。* (この部分、NAVERまとめには書いてあるのでこちらでは書き忘れてしまったが、あとから補足した)
そもそも、"How are you? -- *Fine, thank you. And you?*" も "What time is it now?" も、少なくともここ10年か15年は「中学校の英語の教科書」には記載されていないはずだ(全点をくまなく見ているわけではないので「はずだ」と述べておく)。ただし「時差」を勉強する授業という設定で、"What time is it now in London?" みたいなフレーズは出てくる。(これは疑問形容詞のwhatの疑問文を学習するという目的と、《時間》を表す文では主語にはitを使うということを学習する目的がある。)
つまり、上のようなことを言われて「えっ!」と思うのは、大まかに30代以上か、さもなければどういう理由でか古い教材を使わされている人だろう。
20年前、インターネットなどというものが(少なくとも日常生活の中には)なかったころ、日本では「英語」というのは、印刷された紙の上か、録音されたテープ/フィルム/ディスクの上か、ラジオの電波に乗ってくるものでしかなく、それは一方的なコミュニケーション(あちらからこちらへの情報の伝達)で、つまりこちらから何かを言ったり書いたりした場合に、それに反応してくれはしないものであった。
「生きた」英語などという特別なものは、「ガイコク」(と呼ばれていたのは英語圏、それもほぼアメリカのことだったが)に行かなければ、接することができないものだった。
「大学の英文学の教授」や「学校の英語の先生」は「紙の上でしか英語を知らない」ので「英会話」ができない、って言って(密かに)嘲笑することが流行った。(これが当たり前じゃん、ということがわからない人と話をするのが、私は非常につらい。それでいて、そういう人が「どうせ習うならネイティブに習いたい」などとのたまう、などというのは普通でね。I can has cheeseburger. みたいな英語しかできないくせに。)
その時代、「あなたが学校で習った英語、実は間違いなんですよ」という論法は、リアルに力をもっていた。そういうこと言われたらみんなあせったし、じゃあ、ってんで、「いっぱい聞けて、いっぱいしゃべれる」環境を求めて、「講師はみんな外国人」という触れ込みの「駅前留学」に通ってみようかな、なんてことを考えたりもしたわけだ。
でもさあ、今は違うじゃん。
「生きた英語」なんて、まともな書き言葉でも、チャットのログみたいな形でも、ネットにあふれてるじゃん。
ネットで検索すれば、そのフレーズが実際に使われてるかどうかはすぐにわかるじゃん。(「英語だけの検索結果」を見るのはGoogleだと難しいけど、gooを使うと簡単だよ。)
YouTube見れば音声でも確認できるじゃん。
http://www.youtube.com/results?search_type=search_videos&search_query=%22how+are+you%22+-miku&search_sort=relevance&search_category=0&page=
なんかさあ、こんなに簡単に「生きた英語」に手が届くようになった今なお「あなたが学校で習った英語は間違いなんですよ」と恫喝されて、おたおたしてる人とか、恫喝を真に受ける人がいるっていうのが、本当に「生きた英語」には手が届かないなかで「学習」するしかなかった世代としては、信じられないんですよ。
下記は、そういうことです。
【実例つき】"How are you?" は《死語》ではありません。
http://matome.naver.jp/odai/2134800849361474801
んでさあ、Wassup? みたいなのばっかり「生きた英語」っつってありがたがる人もいるわけっすよ。
これね、自分の子供が「ありがとうございます」、「こんにちは」と言えず、「あざーっす」、「ちーッス」としか言えないような子になったらどうする、っていうことなんすけどね。
……っていうのがこれ。
英語で賛否両論、Twitter新デザイン!(英語でこんなの読めたら/書けたら「かっこいい」?)
http://matome.naver.jp/odai/2134799140460942101
かつて、印刷された紙の上の英語というのは、This is a pen. 式の、実際には使われそうもない(とはいえ、真面目に外国語をやればそれが「パターン認識」のための例文であるということはわかるはずだが)妙な文があったり、既に古風な響きがするようになってしまった数十年前の流行表現があったり、あと、日本の場合は英語の「学習」が体系化された明治期の例文がなぜか生き残っていたりもすることがあって、20年(以上)前でも、既に、「どこか信用しきれない」ものだった。
定評ある出版社の辞書を「批判する」出版物がベストセラーになったのも20年ほど前だが、その出版物はまっとうな「批判」よりも「重箱の隅をつついて言いがかりをつける」部分や、「エゴが肥大しきった筆者が独自の理論を展開する」部分があまりに多かった。(その出版物に続いて同じ著者が出した英文法本があまりにめちゃくちゃで、最初は「まあ、ゴシップとしてはいいんじゃないすか」的に見てた人からも That's not funny anymore. という反応を買っていたのだが、それでもその英文法本は売れたらしく同じ版元から続編が出るなどして、真面目に英文法やってる人たちを心底うんざりさせたものだ。)
その頃、「語学」の学習者は「生きた英語」を知るためには、紀伊国屋書店の洋書売り場や、(今はなき)銀座のイエナ書店に行ってそこにいる「ネイティブ」に声をかけて話し相手になってもらいましょう、みたいなことが真顔で言われていた(買い物の邪魔をされたら迷惑だと思う)。そこでスポーツ雑誌をめくっているお兄さんが「ネイティブ」かどうか、誰がどうやって判断できるっていうんだろう。
「昔はこんなだった、今はいいなあ」ということではない。ただ単に、知りたいことがあるのなら、すぐそこに大量に答えがあるというのに、それにアクセスせずにパニクっていたりするのはあまりに効率が悪いのでは、ということだ。
特にTwitterというツールは、そういう「普段の言い方」、「生きた英語」がテキスト化されて検索可能になっているデータベースとしては、ある意味最強なんだけど。
そういえば「How are you? は死語」云々の火元になった記事は「ネイティブ」の座談会、みたいな形式なのだけど、そもそも、なんでそんなに「ネイティブ」が特権化されてんだろう。
20年前なら、「自分の身の回りで英語を使っているのは、日本人(=日本語話者をいう慣用表現)か、ネイティブか」という状況だったかもしれない。でも、今なお、「英会話」という文脈で、「ネイティブ」が20年前と同じように「特別な存在」と扱われていることが、どうにも理解できない。
英語というのはグローバルに使われている言語で、「ネイティブ」じゃなくても、第二言語として(「ネイティブ」並みに)英語を使っている人などは大勢いる。ネットが使えるようになって可視化されたことはたくさんあるが、「ネイティブじゃない英語話者は片言、というのは思い込み」ということもそのひとつだ。
Twitterで私がフォローしているエジプトの人々やアフガニスタンのジャーナリストはほぼみんな第二言語としての英語話者だし(一部、「エジプトで生まれ育ち、高校で渡米し、米国の市民権を取得」といった立場の人もいる)、インドなど多言語の環境では、「ネイティブ」(ネイティヴ英語話者)だが第一言語は別の言語、ということもある。ベルギーではワロニアとフランダースの対立を意識せずに会話するために中立的な言葉として英語が使われる場面もあるというし、そのようなケースでは「ネイティブ」かどうかなどほとんど意味を持たない。ビジネスの現場でも、「ネイティブと堂々と渡り合う日本人」みたいなのは、何というか、昔の自動車のCMみたいなもので、あくまで「イメージ」だ(と、一線のビジネスパーソンの方がおっしゃっていた)。
※この記事は
2012年09月21日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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