「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年09月19日

(諜報ではない)「情報」というものをめぐり、アフガニスタン、2題

アフガニスタンについての英語圏の大手メディアの報道を見ていると、「スピン」というのがどのようにかけられるかがよくわかる。といっても、ここで私が見ている「英語圏」は事実上英国のみで(アイルランドも見ているが、アイルランドではアフガニスタンについてはあまり報道がない)、ISAFの主力である米国での報道は、Foreign Policyの論説記事はそこそこ見ているが、マスメディアの報道としては、ときどきTwitterで配信されてくるNYTのヘッドラインをクリックする、という程度だ。WiredのDangerroomもときどき見るが、ここは「マスメディア」というより若干「特定分野に関心のある層」向けだ。ほかはやはり、ロイター。

と、列挙してきて改めて思う。それにしてはちょくちょく見るんだよな……と。ほんの1秒ほど考えればわかるが、私はTwitterでアフガニスタンから直接、英語でツイートしているジャーナリストを何人もフォローしているのだった。フリーの人もいればBBCなど大手所属の人もいるし、現地メディアのTolo Newsの人もいる。在外アフガニスタン人もいるし、元アフガン駐留米兵の学者もいる。

その特色が、2つの方面ごとにはっきり示されたのが、17〜18日のことだ。

ひとつはこれ。人数はともかく、範囲としては全世界的規模で行われていた「ムスリムのデモ」でカブールの情勢も注目されていた17日。

フォトジャーナリストが伝える「デモ」の現場〜9月17日、カブール
http://matome.naver.jp/odai/2134786324949487001


最初、「カブールの米軍基地の近くに、1000人以上が集まっている」と伝えられていたそのデモを、アフガニスタン人フォトジャーナリストのマスード・ホセイニさんが現場から伝えていた。

マスード・ホセイニさんは、昨年12月のシーア派宗教行事アーシュラーに対する自爆攻撃の現場を撮影した緑の服の少女の写真でピュリッツアー賞を取った。彼自身、爆発のせいで左腕に大けがをしていた。後日、その少女を取材したガーディアンのCiF掲載の記事がある。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2012/apr/24/massoud-hossaini-pulitzer-image-afghanistan
要旨は下記に一部日本語で。
http://matome.naver.jp/odai/2133474301384003901?page=2

17日のデモは、現場にカメラを持って飛んで行ったマスード・ホセイニさんと、彼からの報告を受けるPressistan(通信社)のアカウントなどのツイートで、リアルタイムで英語で情報が流された。最終的に、集まったのは1000人に及ばず(数百人規模)、暴力的なデモ隊の「暴徒化」を未然に防いだ警察の賢明な対応(「一発の銃弾も発射しなかった」と署長は言っていた)でおおごとになる前に終息したようだった。

しかし、これを伝えるBBCやCNNの記事は、「数百人集まった」的なセンセーショナルな書きぶりが目立った。実際には、どちらかというと「盛り上がりに欠けるアンチ・クライマックス」に近い状態であったようなのに。

きっと、「暴徒化する群衆」ということになるという期待感(予期)が、そういうバイアスを生じさせたのだろうと思う。

「外部の目」がそういうふうに曇っているときに、現地から信頼できる情報が流れてくる、ということは、それも読める言語で流れてくるということは、とても貴重なことだ。

というわけで、アフガニスタンのジャーナリストのアカウント、どんどんフォローしましょう。下世話な話、イケメンが多いので、アフガニスタン情報をフォローして、イケメンの並ぶTLを構築しよう、とかいうこともできるし(ベッカム、クリスチアーノ・ロナウド、フェルナンド・トーレス……などなどのワールドカップのときの「報道(笑)」のごとく)。

もうひとつは、これはもう完全にISAF/NATOの情報統制のお話。

アフガニスタン、米軍とアフガニスタン軍・警察の合同作戦が中断に?(9月18日の情報の混乱)
http://matome.naver.jp/odai/2134797688959595301


最初、ガーディアンがワシントンDCから伝えて、その後、BBCが伝えたことについて、英国会での質疑で外相も国防相も否定、というか「メディアは大げさ」論をぶち上げたのだが、結局はBBCなどの報道が正しかった、というひどい顛末で、政治家たちの言い訳も含め、まさに(言葉のある)「劇場」めいていた。(日本の「劇場型政治」は言葉がつまらないので見ててもおもしろくない。)

壮絶なオチはこれ。
http://twitter.com/sommervillebbc/status/248082932516913154

さらに多段オチになっているので要注意。

いやあ、情報って、難しいですね。



※この記事は

2012年09月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:46 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼