彼らの商談が行なわれたホテルからは放射能が検出された。バーの従業員も検査で陽性となった。ルゴボイとコフツンも体調を崩して入院している。ルゴボイが11月1日の商談のあとにサッカーの試合の観戦に訪れたスタジアムからも放射能が検出された。そして飛行機からも、モスクワの英大使館からも。(ちなみに、リトビネンコがその日、ホテルとは別に訪れたスシ・バーからも放射能が検出され、スシ・バーで会っていたイタリア人も放射能検査で陽性となっている。)
アンドレイ・ルゴボイは41歳のロシア人ビジネスマン(セキュリティの分野)。「元KGB」とか「リトビネンコと同僚だった」(<日本語のこれは、誤訳に近い直訳だ)とか言われているが、彼についてはタイムズが「容疑者?」と伝えているにせよ、どのような人物なのかなどについての詳しい話は、これまでメディアにはほとんどなかった。ここにきてようやく、彼の経歴についての1〜2センテンス以上の記述を見るようになった。なお、これまで記事によっては「元FSB」とあったのだが、それは誤りのようだ。(ルゴボイは「元KGB」ではあるが、担当していた仕事の関係で、FSBに所属していたことはない。)
まずはガーディアンの8日の記事から:
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,1967180,00.html
軍人の家に生まれたアンドレイ・ルゴボイ(Andrei Lugovoi)は、1987年にソ連の軍アカデミーを卒業し、要人警護にあたるKGBの第9局のクレムリン連隊に採用された。1992年にKGBが解体されると、ルゴボイは連邦警護庁(the Federal Protection Service:略称はFSO)に異動となった。スパイ活動や攻撃的作戦の訓練を受けたことはなく、またFSB(連邦保安庁:防諜、犯罪対策と諜報)に所属したことはない。
書類上では、ルゴボイはロシア国家機関からは1996年に退職している。ベレゾフスキーの所有していたテレビ局、the Russian Public TV(ORT)に勤めるようになったのだ。
現在ではルゴボイはPershinという会社を所有し、仕事も順調なアントレプレナーのように見える。この会社は、セキュリティのコンサルティングや飲料の製造を手がける会社をコントロールしており、社員数はおよそ500。自宅はモスクワ郊外の高級住宅街にあり、妻と3人の子供と暮らしている。
今年ロンドンでリトビネンコと13回ミーティングを行なったのは、この会社の社長としてである、とルゴボイは言う。「イギリスの大企業と渡りをつけてやるという話でした」とルゴボイは語る。
11月1日にも両者はミーティングを行なっているが、警察はこの日のより早い時間帯にリトビネンコが毒を盛られたと強く疑っている。ルゴボイとその妻子に微量の放射能が検出されたのはそれで説明がつくかもしれない。ほかに放射能のトレースが見つかったのは、11月1日にCSKAモスクワとアーセナルの試合を観戦しに行ったエミレーツ・スタジアムや、ルゴボイがモスクワに戻る前に訪問した会社のオフィスである。
しかしながら、ルゴボイはリトビネンコが倒れる1週間前にも渡英している。毒物はこのときに、ルゴボイと同行していた人物によって運ばれていたのかもしれない。このとき2人はBA875便でロンドンに来て、シェラトン・パークレイン・ホテルに投宿した。BA875便からも、このホテルの5つの客室からも、放射能が検出されている。
ルゴボイ自身は、「誰かが私をはめようとしている。しかし誰なのか、わからない。理由もわからない」と語っている。
ルゴボイは、現在体調を崩して入院中である。放射能の影響によるものと考えられる(ロシアの医師らからの公式の発表はまだない段階かもしれないが、ニュースを追いきれない)。
情報分析を専門とする人たちが運営しているらしいサイトAXISには、ルゴボイについてより詳しい解説がある(記事は12月5日付け)。ここで注目されているのは、FSOを退職してORTに勤め始めたあとも、ルゴボイが政府機関時代の同僚たちとの付き合いは続けていたこと、そしてプーチン政権の誕生でオリガルヒが失脚したあとも、ルゴボイはロシアに残り、セキュリティ分野などのビジネスマンとなったということ。また、その時点でルゴボイは外国に逃げたオリガルヒとの付き合いを続けており、それを隠してもいなかった、ということ。ルゴボイはそのことについて、オリガルヒとの付き合いが続いていたからといって、ロシアのシークレットサービスから注目されるようなことは何もなかったと述べている。
さらにまたこの記事は、ルゴボイは5年前にニュースになった人物であるにもかかわらず、彼についてのオープンな情報は1987年から97年の時期に関するものしか見当たらないということに注目し、かつてルゴボイの部下だったという情報源から得られた話を詳細に記述している。
以下、概略。
ルゴボイは軍人の家系の出身。祖父は日露戦争(1904〜05)で勲章を2つ受けたロシア帝国陸軍の軍人、父親もソ連陸軍の将校で、兄も軍人である。1966年、アゼルバイジャンに生まれたアンドレイ・ルゴボイは、父親の仕事の都合でソ連およびワルシャワ条約機構加盟国の基地を転々としていた。コーカサスで12年を過ごし、チェコスロヴァキアにも数年間住んでいたことがある。1983年にモスクワの軍アカデミー(Moscow High School of the General Military Command)に入り、86年にKGBからのコンタクトを受け、卒業後の97年にKGBの第9局(要人警護)入りし、政府要人の警護を担当。91年までクレムリン連隊(今日の大統領連隊)でコマンド・ポストを歴任。
1991年秋、KGBは解体され、要人警護の部門はGeneral Guard Department(GUO)となった(その後、96年にFSOと改組改称)。ルゴボイはGUO創設とほぼ同時にstaff servicemanとなった。ソ連崩壊でシークレットサービスは弱体化したが、GUOはインテリジェンス、監視、捜索などについてほぼ無制限のオーソリティを有し、他の組織とは一線を画していた。
1992〜93年、ルゴボイはエゴール・ガイダルの身辺警護を担当する部署の副部長をつとめた。当時ガイダルは財務大臣、経済大臣、首相代行といった要職にあった。ガイダルの外国訪問に同行したことで、ルゴボイは海外での要人警護について知るようになった。さらにまた、ルゴボイはほかの要人の警護も担当し、組織を辞める少し前にはベレゾフスキーの身辺警護もしている。ベレゾフスキーは1996年10月にロシア安全保障会議副書記に就任したが、この年の終わりにルゴボイは組織(このときにはFSOという名称になっていた)を辞めた。
1997年、ルゴボイはロシア公共テレビ(ORT)の警備のトップとなる。ORTは1995年以降はベレゾフスキーが事実上のオーナーとなっていた。また局の副会長兼財務担当は、ベレゾフスキーの昔からの友人でグルジア人のBadri Patarkatsishvili(たぶん「バドリ・パタルカツィシヴィリ」と読むのだと思いますが、入力しづらいことこの上ないので、以下アルファベットのままで)が務めていた。90年代後半、2人はテレビを通じてロシアに大きな政治的影響力を及ぼした。
ルゴボイがベレゾフスキーと知り合ったのは1993年にさかのぼるという。ベレゾフスキーの会社の警備に、かつての教え子や同僚たちを何人か推薦したのが始まりだった。ORTに移り、ルゴボイはPatarkatsishviliやその家族の身辺警護や、彼の配下にある会社の警備で忙しくしていた。中でも大変だったのは、Patarkatsishviliがコーカサスに出張するときの同行警備だった。出張先のなかには軍事衝突地帯もあった。
1998年と1999年にルゴボイの力は大きく拡大する。Patarkatsishviliの身辺警護だけでなく、ベレゾフスキーの警備も行なうようになり、しかもロシア国内だけでなく外国での警備(特に欧州での)に参加するようになった。同時にこの2人の配下にある企業(ロシア最大の石油企業のひとつ、Sibneftを含む)の警備についての意思決定プロセスにも関わるようになる。ルゴボイはベレゾフスキーとPatarkatsishviliの帝国の警備システムの中央集権化と再編に貢献した。これによりほかの警備会社からは否定的な反応を得た。ほかの警備会社のトップの多くは元KGB職員で、ルゴボイがまだ若かったので(注:当時30台前半)ばかにしていた。1999年の夏、ルゴボイは自身がトップを務めるセキュリティサービスの改革に着手。同年12月の総選挙を見越してのことだった。(結果的に、ベレゾフスキーは国会議員となる。)改革を実行しつつ、ルゴボイは外国の警備会社の支援を頼るようになる。自身で外国の専門家との交渉を行なったこともあり、その中には(外国の)シークレット・サービスで高い地位にあった者もいた。
セキュリティ・サービスの長として、ルゴボイは個人的な問題にとりわけ注目していた。新たに雇い入れるのは、彼が個人的に知っている人物からの推薦がある場合のみ。主要なポストはルゴボイの以前の同僚やその親戚を当てる。こうして、近しい友人のヴァチェスラフ・ソコレンコ(Vyacheslav Sokolenko)が副長となり、その父親が小火器の管理責任者となった。スタッフにはルゴボイの兄もいた。このような人選で、内部情報の漏洩が避けられただけでなく、競合他社や政府機関のエージェントの浸透も防ぐことができた。
一方でルゴボイは法執行機関、シークレット・サービス、私営警備会社との緊密な関係も有していた。そのなかにはベレゾフスキーとPatarkatsishviliのライバル企業や反対派の警備を行なっているところもあった。これにより、ルゴボイは貴重な機密情報も入手でき、人的つながりを通じて紛糾した問題を平和的に解決することもできた。何よりも、ルゴボイはFSOにとどまるか、FSBなど他の治安機関に移った昔の同僚たちとのつながりを断ち切っていなかった。大統領警護部門の友人たちはとりわけ貴重な「コンタクト」であった。1997年から2000年はルゴボイはベレゾフスキーら2人の側近中の側近だったにも関わらず、2人が脚光を浴びるなか、自身は表に出ることはなく、オリガルヒと元KGBとの対立の行方を見届けることとなった。
・・・ほんっとに、頭の切れる人のようですね。長い話をまとめると、ロシア全体で「昔ながらの勢力」と「新興勢力(オリガルヒ)」という対立の構図の中で、自分自身のバックグラウンドは前者なのだが、後者にスカウトされて後者の企業帝国で仕事をするようになったものの、前者とのつながりを完全に絶つ(つまり前者と敵対する)ようには動かず、パイプはつないだままにしておいておいた。そして自分の仕事の範囲では、情報漏洩や浸透を防ぐために顔のわかる人しか使わなかったし、責任者のポストには個人的な関係のある人しか置かなかった。
あのままオリガルヒがロシアで大きな力を発揮し続けていたら、このルゴボイさん、今頃は「旧KGB」に代わるものを作っていたかもしれないですね。「旧ソ連時代のシステムはそっくり根本的にリニューアルする」って感じで。官僚ではなく民間人だから(元KGBではあっても)本人が表に立つことはなかったかもしれないけど、でも国家の警備の民営化という非常にラディカルなことも、ソ連崩壊後のロシアでは、荒唐無稽ではあるがありえないシナリオではなかったんではないかと、何となくそう思う。。。
1990年代後半といえば、2000年の大統領選挙を前に、ロシアは「昔ながらの勢力」と「新興勢力(オリガルヒ)」の抗争が最も激しくなっていた時期。当時の大統領のボリス・エリツィンは健康状態に問題があり、オリガルヒはプーチンを次期大統領にするために、それこそ何でもしていた。また1999年8月には第二次チェチェン戦争が勃発、コーカサス情勢は悪化していた。なお、ベレゾフスキー(当時は下院議員)はチェチェン独立派支持の立場を表明していた。
しかし番狂わせは、プーチンがオリガルヒにではなく旧来の勢力に頼ったことだった(参考)。プーチンはオリガルヒ潰しの方向で動く。これによりオリガルヒのベレゾフスキーは失脚、OTRの株式は油様(<ローマン・アブラモヴィッチ)に譲り、2000年にロシアを去る。(亡命先は英国。)
一方Badri Patarkatsishviliもまたロシアに居場所がなくなり、出身地のグルジアに戻る。(今はグルジアでディナモ・トビリシのオーナーだったりしているようです。)
こうしてオリガルヒが失脚するなか、オリガルヒ組というか彼らとつながりが深かった人たちはロシアを去るか、あるいはいろいろな違法行為で摘発されたりしていた。ルゴボイも例外ではなかった。
1999年の春の段階で、ルゴボイは、権力闘争の火の粉が自分にも降りかかるかもしれないと感じていた。彼は逮捕されるが、個人的につながりがあった人たちや影響力の強いボスたち(=オリガルヒ)のおかげで、早期保釈となった。
だが、2001年に2度目に逮捕されたときには、すでにロシアにはベレゾフスキーもPatarkatsishviliもいなくなっていた。ルゴボイの名はロシア中に知れ渡った。Patarkatsishviliの命令でニコライ・グルシュコフ(Nikolay Glushkov)の脱出を画策したとの容疑だった。(注:グルシュコフはベレゾフスキーのいわば「子分」のような存在。当時はアエロフロートの重役で、マネーロンダリングで告発されていた。参考)
2002年9月、裁判でルゴボイは有罪を認め、懲役1,2 years[原文ママ]の判決が下されたが、裁判開始前の勾留ですでにその期間は相殺されていたので自由の身となった。
つまり、「ロシアを揺るがした汚職事件」に関連して逮捕・起訴され、アンドレイ・ルゴボイという名前は知れ渡ったけれども、彼のプロフィールはほとんど知られていなかった、と。そして結局は、起訴されて有罪になったけれども、時間の関係で懲役や禁固は経験していない。
出所後、ルゴボイが何をしていたかはわかっていない。イタリアの日刊紙レプブリカは、ルゴボイはしばらくの間ロンドンのベレゾフスキーのセキュリティ・サービスを率いてから、モスクワで私立探偵事務所を開いた、と主張している。ロシアの新聞イズベスチャによれば、「ルゴボイはBadri Patarkatsishviliの警備会社の写真をしていた」。一方で、Ekho Moskvyラジオでルゴボイが語ったところでは、特に警備の分野でビジネスに携わっていたと結論付けることは可能だ。(注:原文の英語の意味がイマイチわかりません:In turn, from a performance Lugovoy on the Ekho Moskvy radio, it is possible to conclude that the last years he was engaged in business, in particular in the sphere of security.)
これらの報道にはそれぞれいくばくかの真実は含まれているだろう。この4年、ルゴボイが警備の分野で個人向けサービスを行なっていたこと、ベレゾフスキーとPatarkatsishviliが顧客として登録されていたこと。死の直前のリトビネンコの話でもこれは裏づけされている。その話をしたとき、リトビネンコは、ルゴボイはモスクワの "a private security bureau" (<日本語化不能)オーナーで、100万ドルの資本を持っている、と語っていたという。リトビネンコの友人たちは、そのような大金は、ロシアのシークレット・サービスの支援なしでは稼ぐことができないと考えている。
うーんと、えーっと、つまり、「リトビネンコの友人たち」の考えでは、ロシアはシークレット・サービスが跋扈しているのだから、ロシアで事業がうまく行っているルゴボイはロシア当局のイヌだと考えるのが妥当、という理屈なのでしょうか。
そんなことで「容疑者」扱いですか。捜査当局でもないのに。>タイムズ。(しかも日本での報道はタイムズが基本だし。)
タイムズは、前から判明している通り、「リトビネンコの友人」たちとずぶずぶの関係で報道をしています。(ロード・ティム・ベルのPR会社が現在どのくらい関わっているのかはわかりませんが。)ではこの「リトビネンコの友人」たちとは何者なのか。それについてはタイムズは語らない。タイムズはこの件では要注意です。
先にいきましょう。
ルゴボイはEkho Moskvyのインタビューで、自分はロシア最大のクワス(飲料)製造工場の所有者のひとりである、と述べている。この工場はRyazanエリアにあり、Pershinというブランドである。しかしながら同じ放送で、ベレゾフスキー・ファミリーのメンバーが「セキュリティのこととなると今でも私たちを呼び、私たちはロシア国内でないところでもそれを供給する」ということも述べられている。ほぼ同時のサンデー・タイムズのインタビューでは、ルゴボイは、Pershin社は警備の分野と、ソフトドリンクとワインの持ち株会社であり、資産は推計10億ドルだと述べている。
記事を書いた人はこの後の部分で、パンフレットやカタログなどの資料から、このPershinという飲料メーカーの素性を洗い出している。「工場のオープンは2004年7月。工場設立などのプロジェクトの責任者として名前が出ているのはYevgeny Pershinという人物で、帝政ロシアの時代の有名なワイン製造者の曾孫で、工場のオーナーはEugene Boujele Vineという有限責任の団体で、会社の設立者はRiverwall Investment Limitedという名称のキプロスの企業である。Riverwall Investment Limitedは他のところでは名前を見ない。こりゃどう見てもオフショア会社だ」という見立て。さらにまた、警備の分野へのかかわりについては、Pershinの名前でも、Eugene Boujele Vineの名前でも、Riverwall Investment Limitedの名前でも、何も出てこない、と。
さて、記事はここで終わっているのですが、「キプロスでオフショア会社」って、どーみても、ロシア人の元官僚とかがやることというよりは、ごにょごにょごにょ。
私は「誰がやったか(whodunnit)」にはあまり興味がなくて、「何がどう報じられているか」に興味があるのですが、ルゴボイについての記事と同じaxisの、リトビネンコについての記事を読むと、基本的にはこれは、それなりの肩書き(元KBGで元FSB)と経歴(ベレゾフスキー暗殺計画暴露)のあるちょっと思い込みの激しい人物が、
1)いらんことばっか言ってて邪魔だったから消された
2)利用価値がなくなったから消された
という事件で、(1か2かのいずれか)
彼を「消す」方法として、「珍しい放射能物質を大量に与えて急性白血病にして緩慢に死なせる」という奇想天外でグロテスクな方法が用いられたのは、体調を崩した直後に病因を突き止められないようにする(確実に「消す」)とかいったこともあるだろうし、ほかに、
1)我々の力を思い知るがよい、と高笑いしたい
2)あんなことができるのは国家機関だけ、と思わせたい
3)メディアが飛びつくような事態を作り出したい
などの理由がありうると思うんですね。
陰謀論はいくらでも出てくると思います。そのうちのいくつかはそれなりの根拠があり、いくつかには根拠がないでしょう。
私が陰謀論をぶち上げるとしたら、「英国政府の陰謀」かな。最近、ブレアがトライデント(核兵器)リニューアルを提言するという、労働党にとってまことに都合の悪いことがあったのですが、そのニュースがリトビネンコ毒殺事件の報道で目立たなくなってた。というかロンドンはそれどころじゃなかったようだし(radiationのパニックで)。何しろ英国には"bury the bad news" 事件(2001年9月11日のことを「国内の悪いニュースがこれで目立たなくなる」と喜んでメールに書いた人物がいたことがバレた事件)がある。英国は失敗から学ぶのが得意なので、"bury the bad news" 事件は「うっかり」だったけれども、同じことを今度は戦略的・計画的にやったんです。そうに違いない。
(冗談ですってば。念のため。)
※この記事は
2006年12月09日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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