「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年09月13日

23年経過して公に認められた警察の嘘、下衆タブロイドの嘘…… Walk on with hope in your heart.

1989年4月15日。リヴァプールFCのファン96人は、シェフィールドにサッカーの試合を見に行って、帰ってこなかった。イングランドのサッカー(の観客席)を決定的に変えた群衆事故、「ヒルズバラの悲劇」(ヒルズボロとの表記もある)。

このブログでも何度か書いているが、「連中が乱暴だったので」、「連中が酒を飲んでいたので」、「連中はチケットすら持っていなかったので」など、「死んだ連中のせいだ(自業自得だ)」と言われていたこの「悲劇」は、実は警察など、本来ならあのような事態を起こさないようにする役割を負う当局者の怠慢や杜撰な仕事のせいで起きた。

そのことが、23年経過して、ようやく公式に認められた。(ただし法的にどこまで行けるかという点になると、心もとない。)12日、水曜日の下院恒例のPMQsに続いて、デイヴィッド・キャメロン首相が報告書の要旨を議会に報告し、そして "a proper apology" と本人が呼ぶような「謝罪」を行なった。

「被害者は悪くない」。そのことを言うのに、23年かかった。

警察は、当日はぐだぐだで、後日は164点の記録を改竄し、「悪いのは観客」というストーリーをでっち上げたのだが、キャメロン曰く、「現場は腐っていたが、上層部や政府ぐるみの隠蔽はなかった」のだそうだ。警察だけではなく、いろいろとぐだぐだでひどかったし、現場は隠そうとしてひどいことをしたけれど、政府が隠蔽したわけではない、のだそうだ。

2010年6月のサヴィル報告書(1972年1月30日、北アイルランド、デリーの英軍による発砲事件、いわゆるBloody Sunday事件の真相究明パブリック・インクワイアリの最終報告書)と、基本、同じだ。

議会で首相が報告を行なっていたときのBBC Newsのキャプチャ:


何よりショッキングだったのが救急隊の現場での不備で、それがまともだったら、96人も死んでなかったそうだ。

Justice for the 96 --- この問題をずっと追求してきた地元メディアのLiverpool Echoは、本来、死なずに済んだはずの人数を今日の一面にしている。
http://ow.ly/i/VAOK



Liverpool FCとLiverpool Echo, そしてヨークシャーのメディアの政治部長のツイートとRTを下記にアーカイヴしてある。

#JFT96 #Hillsborough: Tweets by @LFC, @livechonews and @JackBlanchardYP
http://chirpstory.com/li/22140


細かな解説は、ガーディアンのライヴ・ブログがわかりやすいだろう。
http://www.guardian.co.uk/football/2012/sep/12/hillsborough-disaster-report-panel-released-live

国会での首相によるステートメント、オフィシャル・オポジション党首によるステートメントと、議員からの質問を1時間ほどずっと、ウェブのストリームで聞いていた。

議場には北アイルランドの議員もいた。質問に立ったのはイアン・ペイズリー(息子のほう、DUP)とマーク・ダーカン(SDLP)だった。ペイズリーは、The Sunのデタラメ報道に言及して「あまりに野放図な報道に対する規制」について意見を述べ、首相の考えを訊いていた。

ダーカンはもっと形而上学的で、「謝罪する」ということの意味と重さについて、ブラディ・サンデー事件の報告書(2010年6月、同じキャメロン首相による謝罪が行われた)に言及した上で、念を押すかのように、質問していた。「口先だけで謝罪されてもよけいに傷は深まる」というダーカンの言葉を聞いたとき、私は「Provisional IRAの謝罪」(これまで何度かなされている)のことを思わずにはいられなかったが、「口先の謝罪」すらない事案が、かの地には、いかに多いことか。

……少し整理する時間がほしい。



You'll never walk alone.

※この記事は

2012年09月13日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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