「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2012年09月08日

今、英国の報道でトップニュースになっている、フランスでの一家射殺事件

表題の件、メディアに情報が出るペースが非常に独特なケースだったので、第一報があった日から日ごとにメモっている。

【陰謀か?】フランス、リゾート地で発生したイラク出身英国籍の一家銃殺事件、果たして動機は…
http://matome.naver.jp/odai/2134694796470543601


トゥールーズでのモハメド・メラーの立てこもりと最終的な銃殺のときに、フランスのリアルタイム報道や「警察情報」はまったく当てにならないということがわかったので(でも最終的には、あの事件当時否定された「警察情報」は実は正しかったとかいう捻転もあり)、今回は英メディア、それも定点観測ということで、BBCだけで見ている。

被害者が「イラク出身の英国人」で、しかも航空分野(軍事関連?)の技術者ということで、フレデリック・フォーサイスの小説ばりの「陰謀」の存在を疑わせられる向きもあるが、「イラク出身」といっても、殺された人は1970年代に英国に亡命した当時10代の子供で(お父さんが、サダム・フセインのものすごい粛清を逃れたらしい)、2003年のイラク戦争はおろか、1991年の湾岸戦争のときもイラクにはいなかった。

というわけで、今後、また進展があれば、「NAVERまとめ」にて。
http://matome.naver.jp/odai/2134694796470543601

※この記事は

2012年09月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼