「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2012年08月19日

「陰謀論」と「カルト」現象と「個人崇拝」の言説

今さっき、BBC Newsのサイトを見たら、また [LIVE] とかやってる。あれは「パーソナリティ・カルト」なんだから、いいかげんにそういう「ワイドショー的な注目」を浴びせるのやめろよ、と本気で腹立たしい。



しかしこれ、「カルト」的なもののサンプルとしては、非常に優れている。まず、「教祖様」は常に「俺」が一番なのだが、それだけでは人はついてこない。「あの話」と「この話」をごっちゃにし(「迫害や思想犯ではなく、刑法犯として手配されていること」と「政治亡命の権利」を結び付け、Free Assangeなるばかげたキャンペーンが「まともなもの」であるように見せる、など)、「事実」と「推測・憶測・想定」との垣根を取っ払って語る「陰謀論」の話術(「過去に〜しているので、〜する可能性がある」が、既に存在する事実より優先される、など)が、「反権威というヒロイズム」を強化している。「熱狂的なファン」は、おそらく、ただその名前を口にするだけで陶酔感を得ているだろう。「この俺が刑法犯罪に問われるなんて、何かの陰謀に決まっている。フェミニストを操っている闇の勢力の陰謀だ!」、「そうだそうだ、陰謀に決まってる!」、「フリー・アサンジ!」、「フリー・アサンジ!」なのだ。その気持ち良い流れに水をさす者は、おそらく「回し者」なのだ(彼らの中では)。(定番の「陰謀論」ではフェミの黒幕は「フランクフルト学派」で「ユダヤ人の共産主義者たち」ということになっているのだが、そういうところの整合性は気にしなくていいみたい。)

そこらへんの記録。

ジュリアン・アサンジが置かれている状況のまともな論点整理と、彼を取り巻く「カルト」的状況の記録
http://matome.naver.jp/odai/2134528340629074301


自分がこれに「はまらなかった」のはなぜか、ということを歩きながら考えたが、暑すぎて、「だってそんなめんどくさいことしなくたって、英国と米国の間でいかようにもなることじゃん」以上考えるのは無理だった。

帰宅して、お茶を飲みながら、「ああ、そうか、英国と米国の間でいかようにもなる」という《事実》の存在を知らない人たちが、「スウェーデンに身柄を送られれば米国に送られる(可能性がある)」とキィキィ騒いでいるのだ、と考えた。

そして、「アサンジの言い分すべてを受け入れるわけではないが、部分的には正しい」という甘い認識でヌルくアサンジを肯定する人々(「パーソナリティ・カルト」の深みと怖さを知らないのだろう)が、「法的な手続き」、「デュー・プロセス」よりも「彼の言っていることの“正しさ”」を基準に、法廷でのプロセスについて語るとき、自分が「判事」の役割を果たしている(そのために必要な量と質の情報を与えられてもいないのに)、ということにはまるっきり無自覚でいる、ということ。

「壊れた時計でも、一日に二度は、正しい時刻を指し示す」という箴言があることを、ご存じだろうか。

"Trial by media" という表現がある。メディアに書かれていることだけを根拠に、個々人が「奴がやったに違いない」などと考えること。日本で最も鮮烈な例は「ロス事件」だろう。アサンジについて、「まとも」に指摘している人たちの多くが、スウェーデンで何があったかについての素人たちの議論が、この "trial by media" の状態になっていることに懸念を示している。何しろ「決めるのは我々ではなく、スウェーデンの司法だ」と普通のことを述べただけでも、「反アサンジ」とレッテルを貼りつけにくる人がいるような状態だ(これをやられてたのは確かデイヴィッド・アレン・グリーンだったと思う)。

ジュリアン・アサンジ(側の弁護団)は、「スウェーデンでは誤訳される」と逃げ回っていたが(私が「こいつらおかしい」と思った要素のひとつ。「誤訳」におっかぶせるんじゃねぇという怒りと、欧州なめんなよという憤り)、問題の「行為」について英国の法廷での文書で彼ら自身が語っていることに照らして、「性犯罪容疑はでっちあげ」というのは、単に、荒唐無稽である。

そういった、判断のために最低限必要な知識のアップデートもせずに、当初の「情報戦」でアサンジ側がメディアに垂れ流した誘導(それは法廷の文書としても形になり、判事が子細に検討し、そして却下した)――例えば、「そんなのが違法行為になるのはスウェーデンだけ、アサンジが現在身を置いている英国では違法行為ではない」という主張は、ばっさりと全面的に否定された――を、いまだに再生産する人がいる。

今回、テリー・ジョーンズまでそういった無責任な再生産者の中にいることに、私は言い知れぬ恐怖を覚えている。

結局、この話になっちゃうんだろうかね。うんざりだ。

Assange, and feminism's so-called male allies
Cath Elliott
Posted on August 17th, 2012
http://toomuchtosayformyself.com/2012/08/17/assange-and-feminisms-so-called-male-allies/
It's that “yeah, of course you can have your equality, but wait 'till after the revolution eh love?” phenomenon

「ああ、もちろん男女平等は大切なことだ、実現させなきゃならない。でもそんなことより今はまず革命だろ?」

n fact since I first dared to suggest that Assange might not be as pure as the driven snow, that he might not be the perfect hero everyone wants him to be, I've certainly had my fair share of misogynist abuse from the Assange fanboys and the conspiraloons, and I know other feminist writers who've covered this subject have faced the same.

And yet for what? Not for saying we think Assange is guilty; not for accusing him of being a rapist; but for simply challenging the prevailing liberal left conspiracy theory narrative.

That's the narrative that suggests that Assange's two accusers are part of some CIA inspired honey-trap and that the great man himself is the only victim here – a victim of some dark and covert plot. Its also a narrative that says, yet again, that women who accuse men of rape are not to be believed, and that the rights of important men doing important work should trump a woman's right to justice.

「あのような偉大なことをした人物が、このようにくだらないことにはめられて……」云々の英雄崇拝。カーライルでも読むか。

ただ、このブログで指摘されてるsuretyの件は、「奴を『政治犯』気取りにしない」ために(「投獄された」という《事実》を作らないために)必要なことだったと思ってます。カネ出した人々がそういうつもりだったのかどうかはわからないけれど。というのは、ジョン・ピルジャーのような熱心なサポは別として、当時カネだした「リベラル」の知識人たちがあまり多くを語っていないので……でも当日の裁判所前の一言インタビューで語られていたのは「収監するなどという無茶」へのNoの声だったはずで(英国ではよほどの凶悪犯かすぐに国外に逃げそうな人以外は、基本的に保釈。2009年の北アイルランドでの英軍基地銃撃事件で起訴され、のちに有罪になった男も、裁判を通して収監されてはいなかった。無罪になった「名うてのリパブリカン」はずっと収監されていたのだけど)、それを「アサンジへの無条件の支持」と解釈するのは、その時点で何か違うような気がする。ただ、当時保釈金を出した人々の何人かが今なお「熱心なサポ」として発言を続けてるのも事実。中には「芸風」が「アメリカの白人マッチョ」の人もいるが、罪深いよ。

今、Togetterが重すぎて開かないので参照できないのだけど、2010年夏にスウェーデンで最初にその「事件」でジュリアン・アサンジの身柄が手配されたとき(すぐに逮捕状は取り下げられた)のログを見ると、当時既にWikileaksに大きな関心を払っていた人たちは、最初は「CIAにはめられたか」的なことを思いはしたけれども(モルデハイ・バヌヌさんの例もあるし、ハニートラップ自体は普通にありうることだ)、被害を申し立てているのがスウェーデンでのウィキリークス関連イベント実行委員会の中心メンバーでアサンジに宿を貸した人と、もう1人別の人だといったことがわかってきて、「なんだ、単なる男女のごたごたがこじれたんじゃないか」ということで関心を失っていた。

要するに、そういうことだったんだと思うよ。それをここまで――エクアドルという国家を動かすまで――ふくらませることに成功したジュリアン・アサンジという人物は、やはり只者ではないと思う。

でもそれは、彼が標榜していた「政府の透明性」云々には、まったく寄与しない。彼自身の肥大しまくったエゴを満たすだけだ。

でも、「只者ではない」というところだけを見てると、簡単に、「アサンジ・カルト」の側に取り込まれてしまうね。



よく見かける日本語のこのネットスラングの語源、私はマンガ読まないので知らなかったんだけど、こんなこと(ひどいこと)だったんだね。で、無理やりキスされたエリナはそのディオとやらに「はむかう」ことはしないんでしょ。



ぴったりじゃん、アサンジ崇拝に。

「無理やりキスされた側」にいたことがあれば、そんなもんに「シビれ」たり「憧れ」たりしないよ。

ましてや、その「無理やりのキス」の原因はおまえ(被害者)だ、なんて言う奴が「憧れ」の対象になっているとあらば、狂ってるよとしか言いようがない。

※この記事は

2012年08月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:35 | TrackBack(0) | Wikileaks | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼