「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2012年08月18日

「時効」がない、ということ。「死刑」がない、ということ。

「時効」がない、ということは、事件が「解決」するまでは警察の捜査は継続される、ということだ。

「死刑」がない、ということは、ものすごく凶悪で許しがたいような事件を起こした人物が、起訴されて有罪となって、そののち、何年もずっと生きている、ということだ。

(無粋ですが当方の意図が伝わっていないようなので追記:「死刑がない」ということを責めているのではなく、単に「死刑が廃止された後に判決を受けているので、これほどの凶悪で許しがたいような殺人を行なった犯人であっても、死刑にされていないのだ」ということが言いたいのです。そして、犯人のブレイディには遺体を埋めた場所をお母さんに伝える機会はあった、ということも。)

1963年7月から1965年10月にかけて、現在のグレーター・マンチェスターの地域にあるムーアで、連続殺人が起きた。殺されたのは16歳女子、12歳男子、12歳男子、10歳女子、17歳男子の5人。殺したのはイアン・ブレイディという男と、マイラ・ヒンドリーという女のカップル。「ちょっとワルな雰囲気のイケメン」と「冴えない女の子」の(古の少女マンガじみた)ラブロマンスとして始まったことは、猟奇殺人者と、彼に支配されきった女と、5人の子供たちの陰惨な死という悲劇となった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Moors_murders
http://www.dailymail.co.uk/news/article-377875/Timeline-The-Moors-Murders.html
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/brady&hindley.html

最後の被害者となった17歳男子の殺害を知ったヒンドリーの義弟が警察に届けたことで事件は露見し、終止符が打たれたが、ここで義弟が別の判断をしていたら、どうなっていたことか。被害者は5人だったが、実はこのうちの2人(最初に殺した2人)については、ずっとのち、1980年代にはじめて、ブレイディは殺害を認めた。

1965年に逮捕・起訴されたブレイディとヒンドリーは、英国で死刑廃止の法律が成立したあと(1966年)に判決を受けた。両者とも、仮釈放のない終身刑。

そしてヒンドリーは今から10年前、2002年に、病気で死んだ。ブレイディは、高齢であることもありずいぶん弱ってはいるようだが、現在も存命。ときどきニュースに出てくる(入院した、とかいったことが)。

一方で、今日入ってきた訃報は、きわめて「残酷」なものだ。



事件被害者の1人で、1980年代になって(=殺害から20年も経過して)ようやくブレイディが殺害を認めたキース・ベネット(当時12歳)のお母さんが、亡くなったという。彼女はずっと、息子はどこに埋められているのかを知りたがっていた。「まともな埋葬」をしてやることすらできないかわいそうな息子。

つい昨日か一昨日、テレビ番組(ドキュメンタリー)で、実はブレイディは手紙で、キース・ベネットの遺体をどこに埋めたかを語っているということが、その手紙の受取人から明かされたばかりだった(詳細はわかっていない)。その手紙の受取人が、警察に身柄を拘束されて話を聞かれている(1964年のキース・ベネット殺害事件は、まだ「終わって」いない)というニュースがあったほんの少しあとに、ベネットのお母さんの訃報。もうしばらく具合を悪くしていて、ホスピスに入っていて、「ブレイディがベネットの遺体のありかを別の人に告げていたらしい」ということは知らされずに、亡くなったそうだ。












「コラムニスト」の件はこれ。
http://electronicintifada.net/blogs/ali-abunimah/new-guardian-team-member-openly-incited-israel-murder-alice-walker-and-others

このJosh Treviñoってのはほんとにひどくて、ラッシュ・リンボーとかがかわいく見えるくらいにひどい。Twitterで質問したり指摘したりしてきた相手をいきなりブロックすることでも有名。「ガーディアンUS」が変な方向に向かっている(「読者」がほしくてほしくてたまらないのでイロモノに走っている)ことは、アブニマさんの指摘(最後のセクション)が正確だと思う。(あと、今、「リベラル」の価値観をがっつり据えることで一貫性を維持してきた編集長やデスクが夏休みなのかもしれんね。Trevinoを雇ったことは編集長クラスの判断だろうけど。)





殺されて浅い墓に埋められた子供たち。「地元」のバンドであるThe Smithが彼らについて書いたSuffer Little Children という曲に、犠牲者を回想するスライドショーと説明文。


※この記事は

2012年08月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:55 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼