「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

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2006年12月01日

【リトビネンコ事件】キーはスシ・バーの可能性。そしてロシア人は「3人」?

Breaking news... 日本時間1日午前9時ごろにアップされたインディペンデント記事(Google News UK経由)。ただしまだScotland Yard published とかsaid in a statement とかいった「警察の公式発表」だという確定の記述がこの記事には出ていないので、インディの勇み足という可能性もあります。

Sushi bar identified as key link in poisoning
By Jason Bennetto and Cahal Milmo
Published: 01 December 2006
http://news.independent.co.uk/uk/crime/article2029289.ece

概要:
警察の捜査によると、リトビネンコが毒を盛られたのは、ピカデリーのスシ・バーまたはその近辺である可能性が高い。彼の具合が悪くなった11月1日の足取りを細かく追って調査した(放射能検査を含む)ところ、スシ・バーに行く前の時間帯に彼が訪れたところからは放射能は検出されていない。ということは、彼はスシ・バーにいる間に毒物を盛られたことを示唆する。スシ・バーからは核物質の検出もある。現在、警察の捜査は、スシ・バーの中で何があったかに集中している。

また、これとは別に、9軒の建物、BA機2機(モスクワに飛行した便)、リトビネンコを病院に運んだ車から極めて低いレベルの放射能が検出された。BA機はほかにも1機、検査を受けている。


スシ・バーでリトビネンコと会ったマリオ・スカラメッラは今週、自身も検査を受けたが被曝はしていなかったと述べている。

スコットランド・ヤードは、リトビネンコがマズウェル・ヒルの自宅を出てからの足取りをたどり、スシ・バーを焦点とした。携帯電話の通話記録やオイスターカード(SUICAみたいなもの)の記録やCCTVの映像の情報から、捜査官はリトビネンコが地下鉄ピカデリー駅に行くまでの足取りを分析。彼が途中で立ち寄った場所は放射能検査を受けたが、すべて陰性だった。

捜査の一環として、捜査官らはリトビネンコが11月1日に会った数名が利用した航空機を検査している。そのうちの誰かが放射性物質を持ち込んでいないかなどを調べるためである。

リトビネンコがスシ・バーを出たあとに向かったホテルで会ったモスクワのセキュリティ会社の社員であるロシア人3人[原文ママ]は、昨日、身を潜めてしまっていた。彼らが身を隠しているのか、ロシア当局に事情を聞かれているのかは定かではない。

そのうちの1人、元FSBボディガードのアンドレイ・ルゴヴォイは、リトビネンコとは10年来の知り合いで、ロシアの元首相[原文ママ]のエゴール・ガイダルの身辺警護の責任者だった。ガイダルはダブリンで具合が悪くなり、毒を盛られた可能性が浮上している。

この記事で変なところは、ホテルでリトビネンコが会ったロシア人が「3人」という点ですね。

ルゴヴォイとリトビネンコは面識があった。しかしそのときに同席していた男について、リトビネンコは顔も名前も知らなかったとし、その「第三の男」について、「背の高いウラジミール」と記憶していた。

しかしルゴヴォイはそれを否定。同席していた人物は「ドミトリ・コヴトゥン」で自分の幼なじみである、彼は背は低い、と。また、11月1日の2週間前にルゴボイはリトビネンコに彼を紹介してあったし、以前、中華街で一緒に食事をしたこともある。つまり、リトビネンコにとって初対面ではなかったはずだ、と。
http://nofrills.seesaa.net/article/28636161.html

ということは、確かに、ホテルにロシア人が「3人」いたと考えれば辻褄は合うんだよね。つまり、ルゴヴォイと、コヴトゥンと、それから「ウラジミール」。リトビネンコは、顔はあわせたことがあるかなというコヴトゥンのことは印象に残ってなかった。(あるいは、コヴトゥンは「ども」と挨拶だけして退席したとかいう事情かもしれない。つまり商談の席に残ったのは、昔から知ってるルゴヴォイと、「ウラジミール」と、リトビネンコ。)

むろん、この「3人」説がインディペンデントの間違いという可能性もある。いずれにせよスコットランドヤード待ちであることに変わりはない。

はてさて。。。

※以上、ほとんどが「想像力」の分野の話です。



上の話とは関係ないけど、12月1日(World Aids Day)、インディがまたREDやってる。
http://megalodon.jp/?url=http://www.independent.co.uk/&date=20061201104010

インディペンデントのREDについては:
http://nofrills.seesaa.net/article/24617979.html

またロンドンの自称まっかっかな人(マルキスト)が「俺らの色を盗むんじゃねぇっての!」と怒っていそう。(5月のときに怒ってたので。)

※この記事は

2006年12月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 10:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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