「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年11月30日

【リトビネンコ事件】25日段階でのあれやこれや。

以下、25日の段階での英各記事についてのメモのようなもの。すぐにポストするにはあまりに日本語が変だったので、それを修正してから、と思ってたら、投稿が遅くなりました。自分の誤読とか早合点とかもチェックしてからポストしようと思ってたのですが、この事件、細部でますますわけわかんなくなってきてて、そういうチェックも自分では無理。変なところあったらコメントでご指摘ください。

では、「25日の段階」ということを前提にお読みください。

▼ ▼ ▼ ▼ ▼ 

さて、マイケル・ストーンの攻撃未遂という予想外の事態が北アイルランドで突如発生した件で記事を読み漁っていた間に、リトビネンコ事件が大きく進んだ。一言でまとめると「事実は小説より奇なり」。ひとりのスパイの奇怪な死は、「一般大衆に健康被害の恐れ」という話に。。。

できる範囲で整理しておこう。

■英国政府の対応
現在、英国政府は「Cobra」ことCabinet Office Briefing Room Aを召集している。つまり緊急事態だ。Cobraは99年コソヴォ危機、2000年ガソリン危機(<トラック運転手などがものすごい規模の抗議行動をした)、2001年口蹄疫、2005年地下鉄・バス爆破、2006年航空機爆破計画などで召集されている。
http://www.news.com.au/story/0,23599,20818747-1702,00.html

これは英国とロシアの関係とかいうよりは、一般大衆への被害が懸念されるからだろう。リトビネンコを殺した毒物は放射性物質だった。

■毒物の特定
リトビネンコが亡くなった翌日、毒物が特定された。「ポロニウム」という放射性物質(正確には「ポロニウム210」)だ。特定したのはThe Health Protection Agency (HPA)で、「感染症から人々を守り、化学物質、毒物、放射能による危険が発生したときに被害を防ぐために極めて重要な役割を果たしている独立系機関」(<公式サイトの説明書きを日本語化)。リトビネンコが亡くなる直前に、ポロニウム210が尿から検出されたそうだ。

HPA Press Statement
24 November 2006
Mr Alexander Litvinenko - Health Protection Agency Statement
http://www.hpa.org.uk/hpa/news/articles/press_releases/2006/241106_litvinenko.htm
Tests have established that Mr Litvinenko had a significant quantity of the radioactive isotope Polonium-210 (Po-210) in his body. It is not yet clear how this entered his body. Police are investigating this.


Dead spy was victim of radiation
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,1956337,00.html

■ポロニウム210
ポロニウム210はアルファ線を出す。アルファ線は、その物質を飲み込んだり吸い込んだりした場合に、人体に被害を及ぼす。(皮膚の角質層の外からは通っていかない。)自然界にも存在するもので、人体には微量のポロニウム210が存在しているが、大量に体内に取り込むと細胞や組織を破壊する。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/6181688.stm

つまり、普通に生活している過程で、骨髄がやられてしまうほどに大量のポロニウム210を体内に摂取することはありえないということに読める(よね?)。そうだとすれば、リトビネンコは何らかの方法で、尋常ではない量のポロニウム210を摂取させられたことになる。その辺のことはまだ判明しておらず、ロンドン警察が捜査している。(世界じゅうでこの物質を入手可能だった人物を把握することから始めるというから、気が遠くなる。)つまり、現段階での「情報」があるとしても、それらはすべてspeculationである。

■放射能の検出と他の人たちへの被害の懸念
一方で、ロンドンで11月1日にリトビネンコがいた場所から、ポロニウム210の痕跡(traces)が検出された。具体的には、午前中にロシア人と会ったホテル(ミレニアム・ホテル@グローヴナー・スクエア)、午後にイタリア人と会って書類の受け渡しをしたスシ・バー(Itsu@ピカデリー:検査が終わるまでは休業中)、それから自宅(Muswell Hill)。検出された量については警察は明らかにしていない。細かい検出場所も記事にはない(トイレにあった、席にあった、など)。
http://www.24dash.com/health/13516.htm
【投稿時追記】
27日報道によると、これら3箇所のほか、メイフェア地区2箇所で痕跡を検出。またスシ・バーでの検出場所はテーブル。
http://nofrills.seesaa.net/article/28430897.html

マズウェル・ヒルというのはロンドン北部、フィンズベリー・パークの北西に位置するけっこういい住宅街。リトビネンコの自宅は、報道写真を見ると、新しく建てられたテラスト・ハウスだ。「隠れ住む」という感じでもないが、ここに住んでいたからといって特に目立つということもなさそうな雰囲気。(空き巣狙いはうろうろしていそうだが。)
The radioactive spy
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,1956680,00.html

ホテルやスシ・バーでは、その時にその場にいた従業員や他の客も把握しなければならないが、警察の説明では「リスクは極めて低い」とのこと。また病院のスタッフや看護士、医師、および病室を訪れた家族や友人などは、被曝していないかどうか検査を受けることになるが、やはり被曝のリスクは低い。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6180682.stm

一方で、警察ではなく毒物を特定したHPAでは「痕跡が見つかった場所にいた一般の人々へのリスクについては何とも言えない。判断するだけの情報がないから」としている。
But the agency said it could not assess the level of risk to the public who had visited locations which had been contaminated with the substance. Professor Roger Cox, director of the HPA's centre for radiological, chemical and environmental hazards, said there was insufficient information to make such an assessment. Last night police were refusing to say how much of the substance was found at the hotel and restaurant, or at Mr Litvinenko's house in Muswell Hill, north London.

http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,1956680,00.html

英国政府と警察は、何年か前から「dirty bombの脅威」を叫んでいたが(でもTerrorism Actの改定後はほとんど聞かなくなったが)、まったく予想外の形で、dirty bombに近いようなことが起きたわけだ。

■ロシア政府の反応
英国の警察はこの事件を「殺人事件」ではなく「不審死(変死)」として捜査している(While Scotland Yard say they are treating his death as suspicious, they are not describing their investigation as a murder inquiry)が、英国政府は緊急対策室(Cobra)を召集するという形でこの「事件」に反応を示した。だがそれは「FSBの犯行」を疑ったからというわけではない(少なくとも表向きは)。毒物が放射性物質だったことによる一般市民へのヘルス・ハザードのためだ。

一方で、リトビネンコの容態が悪化して、一気にメディアが報じだしたときから、在ロンドンのリトビネンコ周辺の人たちはロシア政府のしわざだと非難していた。これに対し、ロシア政府関係者(Kremlin officials)は「くだらない」と一蹴していた。

24日、まだ毒物が特定される前だが、ロシアのプーチン大統領はリトビネンコの死はロシアに対する「政治的挑発」として利用されているものであり、彼の死が自然死ではなかったという証拠は何もない、と述べている。
Putin: Spy's death 'provocation'
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6181050.stm

この発言があった記者会見の様子を詳しくレポートした記事が、BBCにある。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6182456.stm

ロシアはポーランドの畜肉や野菜を輸入禁止にしている。今回のEUサミットはロシアを迎え、それを大きな焦点とするはずだった。が、サミット開幕前夜の24日のロシアの記者会見(何かとても風変わりな環境で行なわれたようですが)では、当時危篤だったリトビネンコについての質問がなされると、ロシア側担当者はアホかという態度で否定した。その夜、リトビネンコは死亡。翌日、プレスルームでは、記者団がリトビネンコについての質問をロシア代表団に浴びせた。そして難しい協議を終えた首脳らの会見が始まったが、壇上のプーチンはまったく動じている様子はなかった。EU関連で記者団が鋭い質問をすると、モスクワの記者団がプーチンにいいパスを出した(参考)。そして質問がリトビネンコのことに及んだ。
And when the question about Mr Litvinenko's demise came, the response was classic Mr Putin.

He expressed his condolences. He noted that it was the responsibility of the British authorities to secure the safety of their citizens.

He said it was unfortunate that the death was being used for "political provocations".

And he cast doubt on the veracity of Mr Litvinenko's deathbed accusation.

And that was that. Vladimir Putin stood up, more cameras flashing, and shook hands with the others on the platform.

And then, as the summit ended, he broke into a series of broad smiles.

ははは。。。笑うしか反応ができませんな。classic Mr Putin(いかにものプーチン流)って。。。「ご遺族の皆様にはお悔やみを」とか「英国当局には英国の市民はしっかり守っていただきたい」とか言いつつ、否定するところは反論の余地のない形で否定し、最後は余裕の微笑み、と。(汚い言葉というのが入ることもよくあるが、今回はなかったのかな。)

引用文中、Mr Litvinenko's deathbed accusationとは死の2日前に病床で口述筆記で残された最後のメッセージ。下記で全文読める。
In full: Litvinenko statement
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6180262.stm

むろん、この「不審死」はまだ捜査中で、リトビネンコが自分で毒を飲んだ可能性も、何らかのアクシデントだったという可能性も、理論上は、否定されていない。その辺のことが明らかになるのは、しばらく先のように思う。というか、警察の公式発表を待たなければならない。(その間でも「情報」がどんどん出されるだろうけれども。)

■「陰謀論」と情報戦
リトビネンコが息を引き取ったあと、このミステリアスな事件はますます関心を集めていることがメディアの記事の様子からうかがえるのだが、情報が錯綜していて、状況はさながら「陰謀論のデパート」だ。

簡単に整理しておくと(以下、必ずしも「陰謀論」でないものもありますが整理の都合上):

陰謀論1)「ロシア当局(FSB)の謀殺だ」 ←報道を見る限り、UKで最も有力視されている

陰謀論2)「スシ・バーでリトビネンコと会ったマリオ・スカラメッラが怪しい」 ←報道を見る限り、既に否定されている。本人も否定

陰謀論3)「ロシアの評判を貶めるための何者かの陰謀だ」 ←主にロシア政府に近い筋から。彼らの言う「何者か」はどうやらボリス・ベレゾフスキー周辺のことか?

陰謀論4)「リトビネンコ本人が服毒したのではないか」 ←同上。および症状を引き起こした原因が究明される前に、医師があくまで「可能性」として指摘していた

陰謀論5)「リトビネンコがスシ・バーに行く前にミレニアム・ホテルで会っていたロシア人が怪しい」 ←後述。本人は否定

このうち「陰謀論5」については:
陰謀論5a)「ミレニアム・ホテルでリトビネンコと会ったアンドレイ・ルゴヴォイ(Andrei Lugovoi:元KGB)が怪しい」 ←ベレゾフスキー筋などから。本人は「ばかばかしい」と一蹴

陰謀論5b)「アンドレイ・ルゴヴォイと一緒にいた人物で、リトビネンコは顔も名前も知らなかったロシア人が怪しい」 ←リトビネンコ本人が疑惑の目を向けていたらしいがこの人物も・・・後述

このうち「陰謀論5b」に出てくる「謎のロシア人」は、いくつかの報道で「ウラジミール」という名前だとされているが(誰がそう言い出したのか不明。私が記事を追いきれないため)、実際には「ドミトリ・コヴトゥン(Dmitry Kovtun:カタカナは適当です)」という名前だとルゴヴォイは説明している。ホテルで会ったとき、ドミトリ・コヴトゥンは名乗りもせず、同席している理由も告げなかった。これがリトビネンコの疑念の根拠。リトビネンコはこの人物のことを「背が高く、無口で、鋭い感じの40代初めの男」と記憶していた。(が、実際にはそうではないとアンドレイ・ルゴヴォイは述べている。)

リトビネンコがミレニアム・ホテルに呼び出されたのは、ルゴヴォイからの「仕事上の提案」のため。

一方でベレゾフスキーは、ルゴヴォイはロシア当局に協力する代わりに仕事の立ち上げをサポートしてもらう約束をしていた、と主張している。ルゴヴォイは「ばかばかしい」と一蹴しているが。

以上、下記のガーディアン記事から。この記事の内容は、BBCやテレグラフと基本的には同じだと思います(すべての記事を読んだわけではないのですが)。
From leafy suburbia to heart of Mayfair
Jeevan Vasagar and Tom Parfitt in Moscow
Saturday November 25, 2006
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,1956739,00.html

さて、「陰謀論5a」のアンドレイ・ルゴヴォイは、モスクワで、タイムズのインタビューに答えている。その中で、上記のガーディアン記事とはまったく別の話(つまり報道されている内容とまったく食い違う話)が、大きく3点出ている。1点は「名乗らなかった第三の男」について。2点目が「リトビネンコと会った時間」について。もう1点が「リトビネンコが入院した時期」について。

Victim's tea companion denies any involvement
Tony Halpin, Moscow
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,13509-2469663,00.html
In an exclusive interview with The Times, Andrei Lugovoi confirmed that he met Mr Litvinenko on the day the Russian dissident was poisoned, but he insisted he was a business associate and had nothing to do with the attempt on Mr Litvinenko's life.

He also said that he had an opinion on who was behind the poisoning, but refused to elaborate further.

つまり、11月1日にリトビネンコと会ったことは事実だが、自分と彼とは仕事上のつきあいで、殺害など企ててはいない、と。また、毒物を持った人物について個人的に心当たりはあるが、それ以上は述べたくない、と。

また、同席していた「第三の男」、すなわち「背の高いウラジミール」については完全に否定。同席していた人物は「ドミトリ・コヴトゥン」で自分の幼なじみである、彼は背は低い、と。また、11月1日の2週間前にルゴボイはリトビネンコに彼を紹介してあったし、以前、中華街で一緒に食事をしたこともある。つまり、リトビネンコにとって初対面ではなかったはずだ、と。

ルゴヴォイの仕事とは、security company、日本語では「警備会社」ということになるが、昨今security companyといえばPMCじゃないのかなあ。。。モスクワ中心部の豪華ホテルの2階に事務所を構えている。彼の話によると、10月31日に妻子を連れてロンドンに行ったのだが、目的は、アーセナル対CSKAモスクワの試合(チャンピオンズリーグ)の観戦だった。(確かに、11月1日にはアーセナルのホームでCSKAモスクワとの試合がありました。0 - 0のドロー。)

リトビネンコとは仕事の話で11月2日に会う予定だったが、リトビネンコから電話があり、予定を1日繰り上げてほしいといわれた。彼らは宿泊していたホテル(ミレニアム・ホテル)で会った。しかし彼らのミーティングは、報じられているようにマリオ・スカラメッラ(スシ・バーに行った人)とリトビネンコのミーティングの前ではなく、後だった。(!)
【投稿時追記】
彼の述べた「その日の行動の順番」は、28日のタイムズ報道では前提となっている。
http://nofrills.seesaa.net/article/28456471.html

「仕事の件を進めたいから会おうと言い出したのはアレクサンドル(リトビネンコ)のほうだ。イタリア人と会うから少し遅れるかもしれないと言っていたが、そっちの用が済んでから、あと10分で行くという連絡が入った。ミーティングではコヴトゥンは私の向かい側に座っていて、私と彼の間にアレクサンドルが座っていた(テーブルの3辺に3人が座っていたということか?)。テーブルの上にはお茶や酒が出ていたが、アレクサンドルは何も注文せず、何も飲まなかった。」

「少しすると、私の8歳の息子がテーブルのほうにやってきたので、私は息子をアレクサンドルに紹介した。それから一緒に席を立って、玄関ロビーに向かった。そこには妻が待っていて、私は妻をアレクサンドルに紹介した。それから、私は家族と一緒にサッカーの試合を見に行った。」

「翌日に仕事の話をすることになっていたのだが、朝早くにアレクサンドルから電話があり、体調がよくないので、取引先には自分抜きで向かってもらえないかと言う。7日に改めて電話をすると、まだ体調はすぐれないという話で、1週間したらまた電話をくれないかと言っていた。13日に電話をすると、彼の奥さんが電話に出て彼につないでくれた。いかにも具合が悪い人という感じの声をしていた。」

ロシアに帰国したルゴヴォイは、コーカサスに出張。(チェチェン、および/あるいはその周辺ですかね。。。あの一帯でPMCの仕事って、どういう構図かを素直に考えると・・・ガクガクブルブル。)リトビネンコの中毒を知ったのは月曜日(20日)のことだった。コーカサスからモスクワに戻った彼は、モスクワの英国大使館に連絡をし、必要であればロンドンまで出向いて警察の事情聴取を受けてもよいと伝えた。

リトビネンコを殺したのは誰かという点については、「個人的に考えはあるが、それを話すには時期尚早だ。英国とロシアのシークレットサービスが絡んできている話で、非常に微妙な問題だ」と述べて、それ以上述べることを拒否。自身の身の安全については、「怖れてはいないが、自分の身を守ることについては極めて慎重にやっている」と答えた。

また、ルゴヴォイが一枚噛んでいると示唆したアレックス・ゴルドファーブについては、何度かちらっと会ったことはあるとした上で、「世間の注目を浴びたいのではないか」と述べて、非難している。

・・・んーーーーー。この人が、タイムズでインタビューに応じたか。テレグラフでもなく、ガーディアンでもなく、インディペンデントでもなく、BBCでもない。

ガーディアンが指摘していた、「ベレゾフスキー →PR会社 →メディアへの情報」という流れで、第一に情報を流してきたのはタイムズですから(タイムズだけ異様に記事が多かった)、この件で最も影響力があるのはタイムズ。

このCSKAモスクワのサポさん(<ガナサポってことはありえないだろう)もプロですからね、元諜報で(←修正:彼は要人警護しか担当していない)、今はPMC(セキュリティ会社)で、コーカサスで事業展開してる。

で、一番びっくりするのは、UKの報道では「リトビネンコは午前中にミレニアム・ホテルでロシア人と会い、午後にスシ・バーでイタリア人と会った」というのがすべての前提になっているのに、ルゴボイの証言ではまったく逆である、ということ。
【投稿時追記】
http://nofrills.seesaa.net/article/28456471.html
を参照。

こんなことで嘘をついても、記者がちゃちゃっと取材すれば、スシ・バーやホテルの従業員の証言で、嘘だとばれるでしょう(従業員の記憶が薄れていなければ)。ということはこんなことで嘘はつかないと考えるのが妥当だし、となるとこれが真相か? 「スシ・バーに行ったあとで気分が悪くなった」という当初の報道(ホテルでのミーティングがスルーされていた)は、状況から考えれば、リトビネンコの証言に基づいていたか、あるいはリトビネンコ事件が大々的に報じられるお膳立てをしたPR会社(サッチャーの顧問だったサー某<名前失念と、ベレゾフスキーとつながりが深い)が準備した資料か何かに基づいていたか、というところでしょう。うーむ。謎。

そういう状況で、この「新説」を当事者の証言として述べるということは、本当にリトビネンコはスシ・バーでイタリア人と会ってからホテルでロシア人と会ったのかもしれない。まったくわかりません。何よりこの人(ルゴヴォイさん)、モスクワにいるんだよね。

んー。モスクワ。モスクワどうなのかな。少なくとも、モスクワで活動をするジャーナリストは真剣に身の安全を考えなければならない状況だということは言えると思うし。。。ロシア人でもロシア人でなくても(2004年に殺されたフォーブス編集長はアメリカ人)。

それから、リトビネンコの入院の日時もあまりに食い違っている。この人の話では、「7日」とか「13日」にもリトビネンコは自宅にいて、電話で話をしたということだけれども、英国での報道では(<リンク先、 LITVINENKO TIMELINEを参照)、彼は1日のうちにバーネット総合病院(自宅のあるMuswell Hillのエリアの総合病院)に搬送されていて、そこで容態が悪化したので、もっと設備の整ったユニヴァーシティ・コレッジ病院に転院している。

タイムズのインタビューを読むと、これも英国諜報の情報操作だと言いたいようですけど(で、その諜報にはベレゾフスキーの息がかかっているといわんばかりのものを感じるんですけど、妄想かな?)、確かに英国の警察とか諜報って、すぐにばれるようなバカみたいな嘘はよくつきますけど(「リシン」のとき、ストックウェルでのブラジル人射殺のとき、など)、これはなぁ・・・ふつーに考えて、病院のスタッフ数十人の口裏を合わせさせるなんてできんでしょう。北アイルランドみたいに丸ごと癒着とかならまだしも、ロンドンだしねぇ。

いずれにしても、リトビネンコ本人も、彼の友人たち(特に「NYCのNGO代表」のゴルドファーブ)も、そしてルゴボイも、みんな情報にかけては素人じゃないわけだし。。。(←修正:ルゴボイも「素人ではない」けれども、情報の扱いについては判断保留としたほうがいいのかも。)

全体的にはこういう状況↓になりそうですね。つまり「何が本当なのか」が、証言者の数だけ存在し、それぞれが激しく食い違っている。

1)
女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、――そうも喘ぎ喘ぎ云うのです。

2)
その紺の水干を着た男は、わたしを手ごめにしてしまうと、縛られた夫を眺めながら、嘲るように笑いました。夫はどんなに無念だったでしょう。……わたしは思わず夫の側へ、転ぶように走り寄りました。いえ、走り寄ろうとしたのです。……わたしは夫の眼の中に、何とも云いようのない輝きが、宿っているのを覚りました。

3)
盗人は妻を手ごめにすると、そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口は利けない。体も杉の根に縛られている。が、おれはその間に、何度も妻へ目くばせをした。この男の云う事を真に受けるな、何を云っても嘘と思え……が、盗人はそれからそれへと、巧妙に話を進めている。一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲も折り合うまい。そんな夫に連れ添っているより、自分の妻になる気はないか? 自分はいとしいと思えばこそ、大それた真似も働いたのだ、――盗人はとうとう大胆にも、そう云う話さえ持ち出した。
 盗人にこう云われると、妻はうっとりと顔を擡げた。おれはまだあの時ほど、美しい妻を見た事がない。……

―― 芥川龍之介、『藪の中』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/179_15255.html

※この記事は

2006年11月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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