http://matome.naver.jp/odai/2134288088663804001
Bloody Sundayは、ナショナリストの若者たちを激怒させ、IRAは新規人員補充に困らなくなった。
およそ半年後に、その報復として、ベルファストIRAが企画し指揮したBloody Fridayは、ユニオニストの若者たちを激怒させた。UDAは当時非合法組織ではなかったが(「自警団」だった)、「IRAという暴力」に対する「防衛」の意識を抱くことは当然のことだ、と多くの若者たちが考えた。
「暴力の連鎖」という言い方を、嫌う人たちもいる。でも1972年のデリーとベルファストで始まったのは、まさにその「連鎖」だった。
そのことを、特にロイヤリストでの武装活動の経験者の手記を読んで確認する作業は、さして難しくない。(1972年に10代だった世代の人の手記なら必ず書かれていると思う。)
※この記事は
2012年07月21日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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