「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年11月24日

アレクサンドル・リトビネンコ事件続報 4(リトビネンコ死亡)

アレンクサンドル・リトビネンコの死亡が報じられました。英各メディア、トップニュース(下図)。

bbctop-24nov2006.png
※テレグラフの写真の3人は、左から、マリオ・スカラメッリ(スシ・バーでリトビネンコと会ったイタリア人)、リトビネンコ、リトビネンコ夫人。

※the Timesはキャプチャ取り忘れましたが、トップ記事。ただ、今しがた確認したときには写真は別のニュース(パレスチナ)のもの。

※the Independentはサイトの更新が遅いからと思って見ていなかったのですが、トップページに記事は出ていました。

BBC記事によると、リトビネンコが死亡したのは「木曜日の晩」、つまり23日の晩(英国時間)。ガーディアンおよびテレグラフ記事によると、病院が発表した死亡時刻は23日の午後9時21分(英国時間)。病院では毒物検査を行なってきたが、結局、その毒物が何であるか(リトビネンコが具合が悪くなったのは何のせいなのか)は解明することができなかった、とのこと。各紙報道によると、ロンドン警察は彼の死を「不審死(an unexplained death)」として扱っている(つまり、事件性ありとして捜査に当たっている)、とのこと。ダウニング・ストリート(英国政府)からのコメントはなし。

以下、各メディア記事URLを列挙。

■BBC:
Russian ex-spy dies in hospital
Last Updated: Friday, 24 November 2006, 08:40 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6178890.stm

■ガーディアン:
Poisoned former KGB man dies in hospital
Ian Cobain, Jeevan Vasagar and Lee Glendinning
Friday November 24, 2006
http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,,1955864,00.html

■テレグラフ:
Ex-Russian spy dies after poison mystery
By Matt Barnwell
Last Updated: 9:04am GMT 24/11/2006
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2006/11/24/npoison24.xml

■タイムズ:
'The bastards got me, they won't get us all'
Richard Beeston, Diplomatic Editor
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,2-2469142,00.html
※タイムズは国際部の部長が記事書いてますね。

■インディペンデント:
Litvinenko loses battle for survival after 'poison' ordeal
By Thair Shaikh
Published: 24 November 2006
http://news.independent.co.uk/uk/crime/article2010086.ece

※この事件については、新しい情報が出るたびに新たにエントリを追加しています。下の「タグ」のところで「リトビネンコ」をクリックしてご確認ください。

※この記事は

2006年11月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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