北アイルランドでは、「プロテスタントの、カトリックに対する勝利」を祝う祭りである7月12日の前日、11日に巨大なボンファイア(かがり火)をたいて、その周囲に人々が集う。その地域の主に子供たちによって組まれたこのボンファイアには、ときどき、「カトリック」や「アイルランド」の表象がつけられる(「燃やしてしまえ」というわけだ)。こんな「祭り」を「文化」とか「伝統」と呼んでよいのかどうかという問題が常にあるのだが、そういう中でもあまりにもひどいことが行われる場合がある。
例えば、デリーのFree Derryの壁をハリボテの模型で作って、そこに1972年1月30日のブラディ・サンデーで殺された13人の名前を書き、それを燃やす、などということが。
今年、そういうことが行われた、という怪情報が、FBやTwitterに流れた。FBは見ていないので把握していないが、Twitterでもかなり大量だった。がっちがちのナショナリズムを語る人々が「オレンジ・パレードは廃止されるべき」論を補強するために「こんなことがあるんだから!」と引き合いに出していた。
怪情報によると、「デリーのファンテン地区(川の東側、プロテスタントの多い地域)でのこと」だったという。
しかしその事実はなかった。
FBやTwitterで流れた写真は、捏造ではなく実在したものだが、撮影時期は2010年7月11日(つまり2010年6月20日にサヴィル報告書が出た直後)で、場所はデリーではなくリズバーンだった。
誰が何の意図で流した誤情報なのかはわからない。わからないけれども明らかに(ファウンテン地区に対する)「悪意」を持ったこの誤情報は、まさしく「デマ」である。
以下、「NAVERまとめ」に記載した部分から。
※この記事は
2012年07月14日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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